たぐいまれなる書

グリーンウッド氏の義理の甥が白血病で48才でなくなってもう2年になる。 彼は薩摩隼人の末裔でその気質は彼の体の中に流れていたように思う。

大学時代の同窓生や後輩に人望があったとみえ、彼らが追悼の書を編纂し、出版した。

題して「遊ぼうぜ!!  風の記憶 −佐々へー」

この本の1/3は2年半にわたる闘病中の重正君と親族の電子メールによるホームパーティーの記録の抜粋で、残りは彼を中心として展開する家族、同窓生、後輩らとの愉快な交友録、アウトドアライフである。

電子メールによるホームパーティーの記録は全体で10万字に渡る膨大なものである。新聞記者であった彼は入院とともにパワーマックを病室はもちろん無菌室まで特別の許可をもらって持ち込み、外界とのコミュニケーションを計った。グリーンウッド一家も声をかけられ、途中からホームパーティーに参加した。

入院した病院が慶応病院で、骨髄移植という最先端の治療を受けるととになった。本人は記者魂を発揮して自分の病状を主治医に取材し、記事にしてくれるので、最先端医療が手に取るように分かる。大変貴重な経験をさせてもらった。

一時期骨髄移植が成功したと見られ、職場に復帰した。成功を祝う、ビクトリーランと称する親族が一堂に会する伊豆旅行が行われたこともある。

残念ながら移植したドナーの骨髄があまりにも本人の骨髄と遺伝子レベルで近すぎて、癌化した自身の骨髄を他者として認識して完全に排除することができず、移植は失敗に終わった。あまり違いすぎれば、拒絶反応がでる。理想的な微妙な違いの骨髄を見つけることが成功の秘訣である。骨髄バンクの充実が大切であることがよくわかった。

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表紙

ホームパーティー参加者は彼が幽閉されている完全無菌室なるものを、彼の記事で想像するのみであったが、あらためてその写真を見せられてギョッとしたものである。

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完全無菌室内の重正君

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在りし日の重正君

重正君のおかげで文章を書き、友人とコミュニケーションする喜びを覚えてしまったグリーンウッド氏は重正君のなき後、電子メールを読んでくれる友人を見つけては地球上のどこであろうとせっせと電子メールを交換しているが、病はますまく重くなり、ついに不特定多数に発信するホームページ作りにのめり込んでいる。

追悼の書「遊ぼうぜ!!  風の記憶 −佐々へー」出版を知った文化出版局発行のミセスの更新雑誌、「ミマン」1999年11月号が特集、新世界への扉、Eメールで重正君の未亡人美帆さんに取材し、闘病サポートメールに癒され励まされてという記事にした。

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ミマン1999年11月号96ページ

1999年8月

Rev. May 4, 2006


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