東京長高会総会

2005年11月14日

東京長高会の定例総会である。ちょうど同期の飯田の最後の花道の会であった。才口、土屋、白田、和田、小林などに会った。土屋は風力発電の権威だ。人工台風発電について話すと、まだ大分先の話だなという感想であった。 彼は太陽エネルギーより核融合に期待しているようだったが、核融合も核分裂と同じく放射性廃棄物を作り出すことを指摘しておいた。彼は小諸近くのサンライン沿いの別荘に一年の40%は過ごしているそうだ。和田とは橋倉峠の特別探鳥会でも一緒だったのでその後どうしているという話になった。4日に一度はどこかに60才代のオバサン連を引き連れて散策に出かけているという。小林は今ベトナム経済研究所で働いている。都合がつけばアジア大の研究会に出席しようと言ってくれた。小林は東京都庁の元役人だった関係で翌日に予定されていた黒田さんの披露宴で石原都知事がどういう挨拶するか気がかりのようであったし、清子さんの上司である山岸が和服で参加するのではと心配する向きもあった。

次期会長は特許庁長官を歴任して現在内閣官房・知的財産戦略推進事務局長の荒井寿光にきまった。まだ公務でフランスに出張中とのことだったが、後は若い世代で楽しんでくれればそれでよい。

我々の世代は1学年定員400名で内、女子はたったの4名であったが、現在の長野高校の学年定員は少子化に対応して300名前後に減少し、内43%が女子とか。北信の秀才にとっては狭き門になっているようである。一時期、学力低下に見舞われ、沖縄と同じどん底までいった。なぜかこのとき長野県人の寿命も沖縄と同じレベルまで伸びたそうである。最近は学校側の努力で 大学現役合格率71.4%は過去最高レベルまで復帰したとのこと。

北信の市長はすべて長野高校の卒業生だが県知事だけ田中某という松本深志出身者なのが悔しい。来年の改選期にはぜひこのポジションを奪回したいと気勢が上がっていた。

恒例にならい長坂先輩の乾杯があり、校歌「山また山」、県歌:「信濃の国」を歌って散会。

日本が先進国の仲間入りをすることができた日露戦争に勝利したのが明治38年(1905年)だから旧制長野中学の2期生だった祖父が卒業したころだ。29期生だった父が学んだ頃は第二次大戦にひた走る昭和初期、そして新制高校9期生であるグリーンウッド氏が学んだのは第二次大戦敗戦後9年目のことだ。グリーンウッド3代、それぞれの時代を生きたということだろう。

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June 14, 2006


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