化学工学誌1992年5月号論壇掲載論文

炭酸ガス排出量削減策のパラドックス

グリーンウッド

世の中には矛盾することがままある。「地球温暖化防止のため、炭酸ガス排出量を抑制する政策を世界的規模で一斉にとれば、発展途上国の経済成長が鈍化し、人口爆発が継続し、結果としてかえって炭酸ガス排出量が増加してしまうのではないか」というのもそれである。これを「炭酸ガス排出量削減策のパラドックス」と呼ぼう。

本誌2月号の巻頭言でそのような危惧についてふれたが、ほんとうにそのようなことがありうるのか気になって、簡単な世界モデルを作って検証したので思考過程と結果を紹介し、諸氏のご批判を受けたいと筆を取った次第である。

1972年に出たローマクラブの報告「成長の限界」はいまでも鮮烈な印象をもって思いだされる。奇しくもこの年「持続性のある開発」という概念がストックホルムの国連人間環境会議で提案され来月の地球サミットに連なっている。

現在人類が達している技術レベルでは、炭酸ガス排出量を削減するためには熱効率向上、省エネルギーとか炭素の少ない天然ガスなどへのエネルギー転換しかないのが現状である。この熱効率向上、省エネルギーとかエネルギー転換を進めるための費用は外部費用なため、市場原理だけでは限度がある。この外部費用を内部化するため税、課徴金、譲渡可能排出権または排出目標設定などが検討されている。

外部費用の内部化または排出目標設定などは先進国にとっては可能であっても、発展途上国にとっては負担となる。発展途上国は早急に国を豊かにして先進国のように物質的に豊かで快適な生活をしたいと考えてわけで、外部費用の内部化などしていたら国を豊かにすることすらおぼつかない。SOx、NOxなどの旧来の公害に関してすら着手できていないわけで炭酸ガスなどは論外ということになる。このような欲望の問題はしばらく置くとしても、発展途上国の人口増加は貧しさに起因していることに着目する必要がある。先進国で証明されているように、豊かになれば人口は減少傾向になる。たとえそれが発展途上国のエゴに見えようとも発展途上国が豊かになれば自ら人口が抑制されることに着目することが肝心である。

昨年はいくつかのエネルギーや環境に関係する国際会議に出席をする機会があり、多くの発展途上国の代表の方や欧州のエネルギー関連企業のトップの方の御意見を聞いたりしているうちにこのような点を再認識するきっかけとなった。特に1991年8月ブエノスアイレスで開催された世界石油会議でのシェル社元会長のL.C. van Wachem氏のスピーチは印象深かった。先進国の歴史的事実として豊かになれば出生率が低下することを指摘し、発展途上国の経済発展の重要性を述べられたのである。1991年12月横浜で開催されたGLENTEX'91でインドの代表の方が「産児制限運動をどう進めてもうまくいかないのは社会保障の無い国では生活保証は子供の労働力による」という事実のためであると紹介された。農業などのファミリー・ビジネスで生計をたてている人々にとっては子供を作ることは企業がリクルートを行うと同じように経済活動であるというわけである。女性教育うんぬんという説もあるが、豊かでなくては出来ない相談である。中国のように法律で強制的に制限しても未登記の人口が増えているという。このような人々には義務教育も授けられず、悪循環を絶ち切れていない。理想は良いのだが、結果として米国の禁酒法のようなものとなる。やはり経済発展が人口抑制の基本であろう。

このように考えていたとき、1991年12月の或る日、朝日新聞の人口問題特集で妊娠回数と個人年収の相関図を見てローマ・クラブの報告書と同じように世界モデルを作ってシミュレーションをしてみようという決心をした次第である。この相関図は実際の数値が国毎にプロットされていたが、どの国の点も同じ双曲線上に乗っている。それを線図にすると図ー1のようになる。これを使えば人口増加が経済成長によって影響をうける人口モデルを構築できる。

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‡人口モデル‡

 

人口は毎年誕生する人数と死亡する人数の差を初期値を開始点として積分したものである。

誕生する人数は一人当りの年収から求める平均妊娠回数と平均寿命と人口とから計算できる。一人当りの年収は一人当りのGDPから投下資本回収分を減じて得られる国民所得に労働分配率を掛けて得られる雇用者所得と同じとすればよい。最近話題になっている労働分配率の世界平均値を70%とすれば、一人当りの年収は一人当りのGDPに0.56のファクターを掛けるだけで容易に計算できる。

死亡する人数は平均寿命と人口から容易に計算できる。平均寿命は国の豊かさの関数になっているはずである。ここでは豊かさを一人当りの一人当りのGDPで表示することにし、収入が増すに従い平均寿命は50才から80才に伸びるものとした。一人当りのGDPは次に述べる経済成長モデルで得られるGDPを人口モデルで求めた人口で割り算して求める。

 

‡世界モデルへのアプローチ‡

 

世界モデルは個人が数日で完成できるモデルでなければならない。世界は多数の国家で構成されているが、国別に取り扱うほど暇はない。世界を単一で平均的な世界として扱うのもあまりに単純化しすぎる。人口のダイナミックスを中心としたシミュレーションをしようとしているのだから、世界を人口の増加が停止した先進国と、増え続ける発展途上国とに二分してモデル化することにした。この先進国とは一人当りの年収が2,000ドルを越えている国であり、OECD諸国に加え、東側といわれたソ連、東欧、NIES諸国および大洋州諸国である。

 

‡経済成長モデル‡

 

GDPの成長は複利計算の利子に相当するGDP成長率を使ってGDP初期値から複利計算と同じ複合計算で算出することにした。ここでGDP成長率は人口増加に起因するものと、人口に独立な要因を加味し、自然増加率と人口増加率の和で表示できるものとした。人口増加率は人口の微分値を採用し、自然増加率を3.3%とすると世界人口のピークが国連による2050年の人口予測の100億人になる。自然増加率は人口以外の経済発展に寄与する部分、すなわち開発のための投資という意味をもっている。従って先進国のように人口増加が止った、あるいは減少気味の国でも自然増加率から人口減少率だけ減じた経済成長は続くという意味を含んでいる。

 

‡炭酸ガス排出モデル‡

 

年間の炭酸ガス排出量は排出量初期値から排出量増加率を使った複合計算で求める。炭酸ガス排出量は経済と連動している。従って、排出量増加率はGDP成長率とエネルギーのGDP弾性率との積とした。1980年代のアジア地域の諸国の弾性率は0.5から1.8で平均1.0である。これから図ー2のような現時点における発展途上国(一人当たりGDPは1,000ドル/年以下))の弾性率を1.0とするエネルギーのGDP弾性率と一人当りGDPの相関図を作成した。

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この図の意味することは経済の成長とともに、エネルギー依存度が減少するということである。また過去の延長線上の連続的技術進化とか市場原理による熱効率向上、省エネは弾性率に組み込まれている。しかし、炭酸ガス回収・固定、炭素埋葬などの新技術、将来の化石燃料以外の新エネルギー開発成功などの技術の不連続なブレークスルーの可能性は考慮していない。

石油、天然ガス、石炭などの化石燃料の炭素換算の可採埋蔵量は約2兆トン、究極埋蔵量は約11兆トンといわれている。これにオイルサンド、オイルシェールの原始埋蔵量1兆トンを加えても12兆トンである。累積炭素量が化石燃料の埋蔵量の天井に達すれば、化石燃料のコストが非常に上昇し、想定した化石燃料のGDP弾性率より低い値になり経済も影響を受けるが、モデルには組み込んでいない。

 

‡炭酸ガス排出量削減モデル‡

 

炭酸ガス排出量削減モデルは炭酸ガス排出モデルの排出量増加率から排出量の削減率を減じることで表される。従って先の年間の炭酸ガス排出量を計算する複合計算の値は排出量の削減率だけ少なくなるわけである。

炭酸ガス排出量の削減をコストの内部化で行なうとGDP成長も阻害される。この阻害の程度は前年のGDP と排出量の削減率 と経済成長の削減弾性率の3つの値の積として表す。ここで、「経済成長の削減弾性率」とは経済成長に与える排出量削減の弾力性である。

米国で行われた炭素税の効果に関する試算によれば、経済成長の削減弾性率は0.12となる。オイルショック後の経験からすれば経済成長に与える影響を過小評価しているのではないかとも思える。米国議会予算局による別の試算によれば、経済成長の削減弾性率は1.0となる。産業構造審議会地球環境部会基本問題小委員会のまとめた試算によれば、経済成長の削減弾性率は0.1から0.5となる。

表ー1シナリオの定義

シナリオ

削減率(%/年)

経済成長の削減弾性率

援助

200年後のGDP

 

先進国

発展途上国

(フラクション)

(%/年)

(兆ドル/年)

0 0 0 該当せず 0.0 10,000
1 1 1 1.4から0.8 0.0 2,000
2 1 1 0.7から0.4 0.0 4,300
3 1 1 0.2から0.1 0.0 8,300
4 1 注) 1.4から0.8 0.0 2,300
5 1 1 1.4から0.8 0.6 8,200
6 1 1 1.4から0.8 0.3 4,100

 注)個人年収が2,000ドルになるまで0%/年、6,000ドルから1%/年、中間は補間。

このように経済成長の削減弾性率は推算する機関により一桁もの違いがあり、どれが正しいかわからない。またこれは先進国の値であり、発展途上国の値は不明である。一人当りGDPが少ない時は経済成長の削減弾性率は大きくなるはずである。やむを得ないため、米国や日本の試算値を固定点としてシナリオ1から6を設定し、感度分析を行うこととした。シナリオの定義は表ー1の通りとした。ここで経済成長の削減弾性率は例えばシナリオー1の場合1.4から0.8と表示されているが、これは図ー3に示されているように一人当りGDPが0と48,000ドル/年のときの経済成長の削減弾性率である。計算では図ー3に示されているように一人当りGDPが増すにしたがい、経済成長の削減弾性率は一定値に漸近するとした。

fig3.gif (7009 バイト)

シナリオー0はなにも対策を行なわないケースである。シナリオー1は米国議会予算局の試算にもとずく経済成長の削減弾性率を代表し、シナリオー2と3は日本の産業構造審議会の見方を代表している。シナリオー4は1988年に設置されたIPCC報告に盛られている先進国および発展途上国が「共通しかし差のある責任」、つまり持てる者の責任をとるという考えから先進国はただちに削減策をとり、発展途上国は一人当り年収が2,000ドルになるまでは削減は猶予され、その後順次削減率を増加し一人当り年収が6,000ドルの時、1%/年の削減をおこなうというシナリオである。経済成長の削減弾性率はシナリオー1と同じとした。

本シミュレーションを行っているとき、地球サミットの国連事務当局が行動計画案を発表した。これによると炭酸ガス排出量を削減するための気候変動枠組み条約を締結するための前提条件となる先進国から発展途上国への援助額は現在の援助額の約2倍の毎年平均1,274億ドルとなっている。これは先進国のGDPの0.6%に相当する金額である。ソ連、東欧、NIESを除く主要先進国当りでは0.76%に達する。この数値がどのような意味を持つのか、援助モデルも組み込んで検証してみることにした。

援助モデルは先進国のGDPから援助金分を減じ、発展途上国のGDPに加えるという単純なものである。先進国から調達される機材や技術料という名目で先進国に援助金の一部は還流しているが。このモデルでは還流分は差引いて計算している。援助金の先進国への還流が無い場合シナリオー5とし、援助金の50%が先進国へ還流する場合をシナリオー6とした。還流のほかにも援助が真に対象国を豊かにしているかという効率の問題があるがここでは効率100%とした。

 

‡シミュレーション結果‡

 

モデルはマッキントッシュ上でオブジェクトオリエンテッドなプログラミングができる市販のソフトで作成した。後で聞いた話であるが、このフローとストックを表示するチャートでダイナミック・モデルを記述する方式はローマクラブがそもそも開発したものだとか。当時はこのチャートに従い、プログラマーがプログラミングし、メーンフレームで計算したものであるが、今では筆者のような素人が自らパソコン上で自動プログラミングにより微分方程式群を自動生成し、計算し、グラフも自動作図できる。昔にくらべて楽になったものである。

さてシミュレーションには初期値が必要である。初期値としては1990年の値をとることにした。先進国の人口は13.4億人、GDPは20.2兆ドル/年、年間消費量は74.0 億トン/年、発展途上国の人口は36.8億人、GDPは2.8兆ドル/年、年間消費量は19.0億トン/年とした。累積炭素はシュミレーション開始時点でゼロとした。

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各シナリオをパラメータにして世界人口の推移は図ー4、炭酸ガス排出量の推移は図ー5、累積炭素量の推移は図ー6に示した。図ー6には確認可採埋蔵量も点線で示した。200年後のGDPは表ー1に示した。

fig5.gif (6893 バイト)

人類の現在の価値観である物質的な豊かさを代表するGDPの200年後の値からすると何の対策もしないシナリオー0が当然ながら最も優れ、3と5がこれに続いて約8,000兆ドル/年である。2と6が中間で約4,000兆ドル/年、1と4は最悪で約2,000兆ドル/年である。シナリオー4が意外に悪い。

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200年後の累積炭素量はシナリオー0と1がほぼ同じで究極埋蔵量に近い約8兆トンに達する。シナリオー2と4がこれに継ぎ5兆トン、シナリオー6と3が3兆トン、シナリオー5が最低の2兆トンである。炭酸ガス放散量の推移にも見られる如く100年後にシナリオー1はシナリオー0を越えるようになる。直感で危惧した「炭酸ガス排出量削減策のパラドックス」はシナリオー1のような状況下で生じることがわかる。米国は少なくともこのように見ているらしい。米国が炭酸ガス排出防止の外部費用の内部化に消極的な理由の一つであろう。

確認可採埋蔵量を使い尽くす時期はシナリオー0と1は80年で、シナリオー2と4は100年以内、シナリオー3と6は120年、シナリオー5は170年である。現時点の消費量で数百年の確認可採埋蔵量があったはずであるが、増加する消費量により、このような結果が出たものと考えられる。有限の資源を次世代に残すという「持続性のある開発」の概念からしても炭酸ガスによる温暖化よりも資源の温存のほうが重大な問題ではなかろうか。

人類の現在の価値観である物質的な豊かさを追い求めつつ累積炭素量も押さえるという目的からはシナリオー3と5がすぐれ、6がこれに続いている。このうちシナリオー3は経済成長の削減弾性率が、シナリオー5は援助金の還流が現実的でないからシナリオー6が消去法で残る。国連の事務当局がなぜ援助にこだわるのかようやく理解出来た次第である。このように援助は効率100%とすれば有効と出た。先進国の防衛費はGNPの5から6%で、これを削れば不可能ではないが、日本のように防衛費が1%前後の国はその余裕もなく、石油税のように税の中立性に問題のある税制を整理統合するという難しい問題もある。また援助の効率向上、政府経由か民間経由かなどの問題もある。総論賛成、各論反対となりがちである。他の先進国も含め自ら犠牲的精神で行動できるかどうか、つまり、持てる者の責任を取ることにより地球に閉じ込められた人類という囚人のジレンマを回避できるかという新たなるパラドックスへの挑戦は今はじまったばかりである。

現状のままでは、偉大な宗教の出現なしには達成不可能な課題ではなかろうかとも思える。宗教の助けなしに人類を救う「白馬の王子様」すなわち技術のブレークスルーを行う人または人々が待たれる。この「白馬の王子様」を育む揺りかごに金を投ずる金庫番と教育係の責務は大きい。


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