須坂から横浜までのシルク ロード

須坂の田中本家博物館に 立ち寄った際、この江戸期の豪商は須坂藩筆頭御用達になって蓄財したと知ったが、聞くところによると、大名貸しは須坂藩に始まり仙台の伊達藩にも及び、幕 末は地元産の絹製品を横浜から輸出していたそうだ。その輸送経路は甲州街道経由八王子にでて、八王子往還・浜街道経由のシルクロードで横浜港に運ばれたそ うだ。

八 王子往還・別名浜街道の輸送を担当したのが鑓水商人で八王子の八日町で甲州街道から分岐し、片倉→鑓水→相原→橋本→原町田→鶴馬→川井→横浜市 旭区 今宿→松原商店街→東海道→浅間下を南に折れて→白根→平沼→野毛→関内→横浜港と推察される。

このうち、鑓水にはいまでも古道が残っており、相原、橋本界隈は鶴見川と境川の流域を分ける分水嶺にそった緑道もあったのではないかとルートを書いてみ た。 総距離42.8km、累積登り415m、累積下り518m、最高標高215m。


このシルクロードは横浜線の開通以降すたれた。これを記念して小田急線町田駅南口に記念碑がある。



記念碑

八王子の鑓水に保存されている「絹の道」はWikiによれば



八王子鑓水にのこる絹の道 wikiより

鑓水の生糸商で“石垣大尽”と呼ばれた八木下要右衛門家屋敷跡に、絹の道の中心施設となる休憩所つきの 「絹の道資料館」(月休館日)がある。近くには養蚕農家が現物保存されている。

また近くに養蚕農家だった茅葺の小泉家屋敷がのこっているが非公開である。

鶴馬ー関内間は横 浜 水道道にほぼ沿っている。

横浜の三溪園は 原富太郎が明治・大正・期に生糸貿易で蓄えた私財を投じて造園したものだが、むろんこの八王子往還も彼のシルクロードの一つだ。

November 28, 2018

2019/2/5(火) オリジナルな姿で鑓水に残っている「絹の道」と 記念館 を散策する計画をたてた。

計画

集合場所:横浜線橋本駅北口  集合時間:10:00

C番乗り場(神奈川中央バス)八王子駅南口行き (毎時20,50分) 鑓水バス亭(まや霊園前)下車 鑓水の集落の中を散策し、「絹の道」の坂を資料館 まで400m登る。更に200m登ると古道が右手に分かれる。八王子バイパスを歩道橋で越え、東京工科大南側の小道を御殿 峠に抜ける。

帰りバス:御殿峠バス亭 近くの喫茶店パペルブルグで小休止。

その計画ルート図


実記録

橋本駅の改札口で予定通り集合。エスカレータでC番バス停に向かう。出発までまだ20分時間がある。目の前のコーヒーショップでコーヒーをとる。ここで昼 食を買っておくべきだったことに気が付いたのはバス出発直前。運転手に鑓水にはコンビニは無いよと脅かされれたが後の祭り。

予定通り鑓水入り口で下車。柚子(ゆず)街道を東に向かう。途中で柚子街道と平行して走る谷間の古道に入ろうと左折するが ViewRangerが示すようには道はついておらず、畠のなかに消えかかる。道と地図の確認するため、竹林を一周する。(巻末のトラック記録に残っている)竹林は西部鉄道がオーナーである ことを示す標識が見えた。人口減少の折、開発が此処でも行われるかははなはだ疑問。

めでたく谷間の道に下り、小休止。「絹の道資料館」に向かって歩いてゆくと、左に鑓水の諏訪神社があった。拝殿の後ろに建つ覆屋の中には、諏訪神社の3つの神殿が小さなお神輿のように並んでいる。鑓水の商人たちが寄進して建てたとある。



鑓水の諏訪神社

更に東に歩いて絹の道に到着。左折してしばらく歩くと八王子市の資料館につく。鑓水の生糸商人八木下要右衛門の家屋敷跡に市が造ったものだという。須坂の 絹商人のことに言及ありやと眼をこらしたがなかった。八王子市の学芸員の勉強不足か?ここには総勢40名に達する訪問者が持参の昼食を取っていた。われわ れも持参のおやつ類を食べて腹の足しにする。



資料館にて


資料館をでて絹の道古道に向かって歩く。やがて古道の入り口に到達。



古道入口にて


あとはダダひたすら歩く、歩く



ただひたすら歩く

やがてかっての道了堂のあったところに着く。鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請したことが始まりである。絹の道の中継地として栄えた。1908年(明 治41年)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると絹の道が衰退していき、1963年9月10日に堂守りの女性が殺害された事件があって以降、無住となり 堂宇が荒廃、1983年には不審火による火災で堂宇が焼損したため、八王子市によって道了堂は解体された。今は更地が大塚山公園として整備されている。北 側の片倉が眼下に見える。

同行の和田氏が片倉製糸紡績八王子製糸工場は戦後、固定資産の負担に耐え切れず市に寄贈したという。調べると明治10年、萩原彦七が萩原製糸工場を創業。明治の中頃には、工員を250人も抱える規模にまで成長し、八王子の近代工業の先駆者でもあっ た。明治34年に長野発祥の片倉工業へ経営を譲渡したという歴史があった。片 倉工業はいまでも消防車などを作る日本機械工業の創業時からの出資者で現在も親会社。

道了尊から再び歩きだしたが真っ直ぐ片倉に向かうと距離があり過ぎるので、左折し、道了山跨道橋をわたって工科大の境界にそって御殿峠へ向かう。道了山跨 道橋はPC(プレストレストコンクリート)橋の一種で、コンクリート橋内部に鋼線を通し、その鋼線にテンションをかけコンクリートを引き締めるフレシネー 工法で作られた国道級の橋である。しかしそこに至る道は獣道であるという不思議な橋であった。周辺が開発されることを見込んでつくったが、絹の道として環境保全するため に打ち捨てられたかわいそうな橋でメンテナンスもされず朽ち果てる運命にあるようだ。

橋の下には八王子バイパスが通っている。八王子バイパスは鎌倉から北関東に抜ける時に使ったが、今は圏央道が完成したため、使うことはない。気のせいか車の数は少ない。



道了山跨道橋から発王子バイパスを見る

この獣道は人が歩か ないコースらしいがViewRanger の点線道を信じて歩く。工科大の境界フェンスと工科大遊歩道と平行する道はある。ようやく御殿峠に午后2:00に着く。ここから多摩養育園光華療に下 る。喫茶店パペルブルグ前にバス亭がある。バスまでの時間がないのでパペルブルグはパス。しかしこの喫茶店はロマンチックだしなかなか手入れがよい。

実際に歩いたトラック記録をViewRangerに残せたので以下に紹介する。総距離は予定の4kmを越えて距離:6.4km、累積登り281m、累積下り 243m 3時間47分となった。竹林を一周したのもループとして記録されている。御殿峠へ向かう途中、八王子バイパスを渡る橋のあとの工科大との境の道の地図は少し違っていた のを発見。でもViewRangerをしらなければこの計画もなかったかもしれない。外国製というのに日本の多分5万分の一の地図をすべて取り込んでいる。


バスで橋本に戻り、駅の蕎麦屋でラーメンで空腹を満たす。とてもおいしかった。日本酒1合もとったため、帰りの小田急は行き先を間違えて遠回り。

参加者:田中、和田、榎本、秦、青木

リニア新幹線トンネル掘削の町田西の発進縦抗予定地も視察は別途。

November 28, 2018

Rev. January 6, 2019


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