三渓園

2008年11月28日、嵐が過ぎて快適な日本晴れの下、鎌倉プロバスプラブの面々15名が三渓園に紅葉狩りに出かけた。三渓園は30歳代に家族で訪れただけ、それも原三渓の邸宅であった内苑は見てない。

三渓園は生糸貿易で財をなした横浜の実業家の邸宅であったのを遺族が財団法人三渓園保勝会に寄贈したものである。広さは18ヘクタール。彼が集めた和風古建築は重要文化財指定が10棟あり、なかでも 臨春閣は世界100名建築として日本から2つ入っているうちの一つであるという。もう一つは桂離宮だ。

大船駅改札口に集合し、根岸下車、バスで三渓園入口に向かう。午後2時に着いて、午後4時まで約2時間散策した。紅葉の時期には1週間早かったがそれでも紅葉は始まっていた。 カメラを忘れてきてしまったのでここに掲載した写真は2008年11月28日にグリーンウッド夫人を伴って再度でかけて撮影したものである。二度目は南門から入った。

南門は三渓園が完成した明治期は海岸だったところである。海は石油精製工場用地として埋め立てられ、その工場用地の縁に横浜市民公園が作られているため、ペリー提督が見たマンダリン色の海岸断崖をペリーが見たままの姿でみることができる。横浜市民公園の中には上海横浜友好園があり、中国式の建物がある。

上海横浜友好園

臨春閣は紀州徳川家初代・頼宣が1649年に和歌山・紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築で、屋内には狩野派の襖絵や数奇屋風の意匠が残っている。

臨春閣

京都から移設したものは多いが、1457年建造の旧燈明寺の三重の塔と本堂、1623年建造の京都二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣「聴秋閣」が代表的なものである。

聴秋閣

鎌倉から移設した建物は旧東慶寺仏殿と建長寺付近の心平寺跡にあった1651年建造の禅宗様の地蔵堂でここでは天授院と呼ばれている。

旧東慶寺仏殿

白川郷から移設した江戸時代の庄屋の合掌造は内部に入れる。巨大な梁には圧倒される。

大池

横浜トリエンナーレの会場にもなっていて旧東慶寺仏殿周辺の谷間ではインスタレーションと称して人工霧を発生させて幽玄の雰囲気を演出したり、合掌造の広間では男女が絡みあう舞踊を演じたりしていて驚きながらの散策であった。

散策後はバスで中華街に移動し、上海料理の「四五六菜館」で夕食。(Restaurant Serial No.336)

November 30, 2008

Rev. December 5, 2008


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