品川駅から新橋駅まで

泉岳寺・愛宕山など鎌倉街道筋の坂道

萩和会の第4回歩こう会の行事として高輪、三田、愛宕丘陵を歩く会を2014年12月2日に決行。品川駅高輪口10:30集合。案内書に申込み日があったのを見落とし、申し込まなかった ため、集合場所の変更を知らず京急EXイン(元パシフィックホテル入り口)玄関で待つという失敗をした。

高輪森の公園

この失敗のおかげで集合時間までの30分間、京急 EXイン裏手の「高輪森の公園」を訪れることができた。

高輪の地は江戸時代は薩摩藩島津家の江戸藩邸の下屋敷・抱屋敷(かかえやしき)だった。下屋敷とは江戸城から遠いからそう 呼ばれた。江戸幕府より与えられたものを拝領屋敷といい、抱屋敷とは大名が民間の所有する農地などの土地を購入し建築した屋敷であった。明治に入って政 治家後藤象二郎の屋敷になり、その後、朝香宮の屋敷になり、朝香宮が白金台(東京都庭園美術館)に移った後は東久邇宮(ひがしくにのみや)の邸宅になった。



高輪森の公園


高輪森の公園に行くには柘榴坂を登り、税務署の脇を入る。



柘榴坂


大体大名の下屋敷後は国の土地になっているところが多く、税務署がチャッカリ居座っていていたるところに施錠した門があってあって歩きにくい。税務署以外は分割されてホテル用地になっているためこれも塀で囲い込んであるため安易に通り抜けできない。


グランドプリンスホテル高輪

庭にある観音堂やさくら坂の鐘などを散策。

つぎに宮家・竹田宮の邸宅として、1911年に竣工されたネオ・バロック様式の貴賓館前を通過。設計者はジョサイア・コンドルの弟子であった片山東熊。迎 賓館(旧赤坂離宮)と同じ様式。正面はフランス式マンサード屋根とドーマ窓が気品あふれる佇まいをかもしだし、当時の華やかな雰囲気を現代に伝えている。



宮家・竹田宮の邸宅


東禅寺

宮家・竹田宮の邸宅前から狭い路地を下り、高輪公園内にあるバイリンガル・スクール裏を英語を聞きながら下ると東禅寺にでる。臨済宗妙心寺派の別格本山。詳名は海上禅林佛日山東禅興聖禅寺。江戸四箇寺の1つ。幕末にイギリス公使館が置かれていて水戸浪士にオール コック公使らが襲撃される事件のあった寺としても名高い。本堂正面にかかる扁額「海上禅林」は、銘こそないものの、寺では朝鮮国の雪峯の書と伝えている。 境内には三重の搭もある。



東禅寺

東禅寺は海に臨んでいて、海からみた姿は立派であったという。寺の右手の急な洞坂(ほらざか)を登り、さらに桂阪(かつらざか)を登って高野山東京別院に向かう。



洞坂



桂坂


高野山東京別院

高野山東京別院はやけに大きな伽藍をもつがコンクリートで味気ない。地下には東京電力の変電所があるという。早々に退散。



高野山東京別院


泉岳寺

次に元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られている泉岳寺に向かう。曹洞宗の寺院。青松寺・総泉寺とともに江戸三箇寺の1つに数えられる。ここで記念撮影。



泉岳寺にて 三浦氏撮影


赤穂の四十七士の墓の戒名の上に刀とあるのは自刃した印だという。



四十七士の墓


伊皿子(いさらこ)

次に勝海舟の「氷川清話」にでてくる伊皿子坂を登る。明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたためとかいわれるが不明。太田道灌時代の鎌倉街道筋となっていたという尾根筋に達すると伊皿子坂は麻布に向かって下りになるが、こちらは魚籃坂という。



伊皿子坂

               
奥州路や鎌倉街道があった三田丘陵の尾根道を田町に向かう。三田は神領を意味した御田のことだという。途中の三田台公園で昼食。敷地は亀塚公園と同様に華 頂宮邸の旧庭園の一部である。 1978年(昭和53年)縄文・古墳時代の貝塚断面が発見され、竪穴式住居のレプリカが展示されている。亀塚公園はパス。

三田丘陵の尾根道から古川(渋谷川)にむかって下る坂は幽霊坂という。クエート大使館前を通過する辺りから道は尾根筋から離れて緩やかな下りになる。これは聖坂(ひじりさか)とよばれている。



幽霊坂



聖坂


聖坂が終わるころ先の尾根筋から下る潮見坂がある。



潮見坂

勝海舟・西郷隆盛会見の地碑


第一京浜道路を田町駅を過ぎて100m位のところに勝海舟・西郷隆盛会見の地碑があった。



勝海舟・西郷隆盛会見の地碑

               
勝海舟・西郷隆盛会見の地碑の脇の路地をJRの線路見向かうと、線路にそって本芝公園がある。こ こらへんは雑魚場跡ともよばれ本芝という漁村だったたという。落語の「芝浜」や浮世絵の「江戸八景・芝浦の帰帆」の舞台。江戸時代は松平(島津)薩摩藩所 有の蔵屋敷であったという。隅に御穂(みほ)鹿嶋神社がある。NEC本社前を通って芝増上寺に向かう。



江戸八景・芝浦の帰帆 渓斎英泉画
               
芝東照宮

芝公園内に東照宮があった。



芝東照宮


増上寺

増上寺はコンクリート製。鐘楼堂も戦後の再建だがオリジナルデザイン通り。大梵鐘は本物。東日本では最大級。江戸時代の川柳に「今鳴るは芝か上野か浅草か」と歌われた。



増上寺の梵鐘


徳川家霊廟

増上寺脇に徳川家霊廟がある。



徳川家霊廟


東京タワー


徳川家霊廟の裏の芝公園(もみじ谷)から東京タワーを見上げる



東京タワー


青松寺

愛宕通りを愛宕山に向かって歩くと両脇の高層ビルを従える青松寺がある。江戸府内の曹洞宗江戸三ヶ寺(青松寺、泉岳寺、総泉寺)の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建したという。



青松寺


愛宕山、NHK放送博物館

愛宕トンネル脇から階段を上ってNHK放送博物館を訪問。NHKの歴史をおさらい。



愛宕トンネル

               
ついで愛宕神社の86段40度の急階段を下る。これは「出世の階段」と呼ばれている。三代将軍家光が芝増上寺に父・徳川秀忠の墓参りに出かけた帰りに愛宕山の前を通りかかり、山上に梅の花を見つけて。

「誰か馬で階段を駆け上り、あの梅の枝を手折(たお)ってまいれ」と命じた。丸亀藩の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)。曲垣平九郎以外にこの急階段に馬で挑んだ人が過去に3人いるという。明治時代の馬術師の石川清馬、大正時代の参謀本部部員の岩木利夫、昭和時代のスタントマンの渡辺隆馬だ。



愛宕神社の石段


虎の門ヒルズからマッカーサー道路経由新橋駅


ここは2014年1月29日に歩いたコースと重なる。

総歩行距離:6km強。

新橋西口広場に面した飲み屋で反省会。反省会で紹介された1万人以上の高齢者を看取った青梅慶友病院会長大塚宣夫氏の老後の養生訓を紹介しよう。

65才まで生き残った人の大半は男84才、女89才まで生きられる。

65-75才の前期:@仕事を継続A家に居ないことB家にいるときは家庭内で役立つ存在C健康管理が大切(70才以上の体力はこの時期に作られる)

75-85才の中期:@臓器の耐用年数を迎える(私も膵臓を酷使してインスリンの出が少し悪くなった)A認知症の不安が生じる(これは自分では認知できない)Bだから今やりたいことはすぐやる。

85才以上の後期:@ジタバタしても始まらないA健康チェックは無駄B癌が発見されてもなにもしないこと(その方が長生きできる)

基礎知識

@PPK願望は愚。徳のある2-3%の人だけが可能。
A生物の歴史から見ると親の面倒見る動物はいない。動物の世界では餌がとれなくなったら餓死する
B他人に頼るなかれ。子供との関係は一切絶つ。最後まで一人で生きる(世話をされるのではなく人の世話をする。幹事は積極的に引き受ける、集会があれば全て出席の返事をする)
C介護はプロの仕事。素人はできない

September 11, 2014

Rev. December 3, 2015


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