烏山川(からすやまがわ)緑 道

萩和会の有志6名は2017年11月17日開催の第9回の萩和会歩こう会に参加した。経堂から歩き出して烏山川緑道沿いの名所を訪ねながら三軒茶屋まで歩い た。烏山川緑道はもとは目黒川の支流である烏山川を暗渠にして緑道にしたものである。烏山川の水源は烏山の高源院の鴨池という。

訪ねた名所は世田谷八幡宮、井伊家の菩提寺である豪徳寺、世田谷御所、ぼろ市で有名な代官屋敷、松陰神社、眼青不動であった。総 距離7.01km、累積登り75m、累積下り80m。




集合

小田急線経堂駅11:00集合。東京農大に向かって歩き交差する烏山川緑道に入る。


世田谷八幡宮

東急世田谷線にぶつかって左折すると世田谷八幡宮がある。コンクリート製であるが源義家が勧進したとされ、吉良氏が整備したという。



世田谷八幡宮 藤間氏撮影

境内で奉納相撲が行われたという。今でも自然の地形を利用したローマの円形劇場のような施設が残っている。



奉納相撲場 藤間氏撮影


豪徳寺


世田谷八幡宮の東側に豪徳寺がある。吉良氏が世田谷場内に創建した庵が始まり。その後、井伊家の菩提寺となった。井伊家との縁は2代目井伊直孝が鷹狩りの 帰りに豪徳寺の前を通りかかった時、山門にいた赤い首輪をした白い猫が境内に招き入れたためとされる。よく知られた「招き猫」だ。招き猫は一般に右手若し くは左手を掲げているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。

境内には幕末に桜田門外で暗殺された大老で彦根藩藩主の井伊直弼の墓がある。ここで持参の弁当を摂ったのち、三重の塔前で全員で記念撮影。



豪徳寺三重の塔前で 三浦氏撮影


世田谷御所

豪徳寺の東には小高い場所に構築した城址が残っている。室町時代から世田谷御所と呼ばれたところで、足利氏一族の名門吉良氏の拠点であったようだ。北条氏と姻戚関係を結んでいた関係で北条氏と運命を共にした。



世田谷城址公園


代官屋敷

吉良氏の城址で右折し、南下すると東急世田谷線 上町駅の踏切につく。ここで足がいたくなった及川が松陰神社まで先回りすることになる。



東急世田谷線 藤間氏撮影

踏切を渡ってぼろ市で有名な代官屋敷につく。ぼろ市の元となる楽市は吉良氏の時代からあるものだ。代官屋敷にはここで代官をつとめた大場家の萱ぶきの主屋と門が残っている。柱の太さに驚く。韮山の江川邸ほど立派ではないが、よくも火災にも合わず茅葺のまま今に残ったものだと感心。



代官屋敷の主屋


松陰神社

足が痛くなって2駅先回りしていた及川と松陰神社駅で合流して松陰神社に向かう。なんでこんなところに松陰神社などがあるのかいぶかる。弟子の高杉晋作や 伊藤博文が千住の回向院に埋葬されていた遺体を毛利家の屋敷(若林公園)の隣に改葬したという。安政の大獄で松陰を処刑した井伊直弼への意趣返しがあるのかなと も思う。いずれにせよ、大変立派な建物である。最近改装したように見受けられる。この金はどこからでているのやら。しかもその様式は日本会議のイメージである。中心の三種の神器のコピーである丸い 鏡があり、いやな雰囲気である。参拝もせず踝を返す。



松陰神社

松陰神社前のレストランでコーヒータイム。


目青不動

烏山川緑道を三軒茶屋に向かってあるき、近くにある円泉寺・聖徳太子堂に付属する太子堂郷学所跡地に明治時代に世田谷区小学校として建てら れた教学院につく。五行思想の五色に由来する江戸五色不動の一つ、眼青不動があるとのことだがみつからなかった。江戸五色不動のうち、目黒不動は昨年の 萩和会の第7回歩こう会で訪問している。目黒川は烏山川の下流にあり、相互に関係があったのだろうか?目白不動も地名になっている位であるが、この青もふくめ、赤、黄は冴えない。



眼青不動


解散

教学院の隣は東急世田谷線の三軒茶屋駅である。2両連結の世田谷線はかって不採算線であたっというが今は住民に愛される路線となったようだ。


三角地帯の居酒屋「和み酒 帆凪(はんなぎ)」で、午後4:00からサバや馬のサシミでのどを潤す。

今回の参加者は大分減って、内田、三浦、青木、及川、倉見、藤間の6名だった。

November 17, 2017


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