奥武蔵

伊豆ヶ岳・子権現(ねのごんげん)縦 走

2003年3月27-28日、wakwak山歩会の4人は奥武蔵の 伊豆ヶ岳(851m)から子権現(630m)に縦走した。西部秩父線吾野(あがの)駅近くのあじさい館前泊として余裕を 持った日程とした。(Hotel Serial No.413)

生丸駅から吾野駅まで総距離11.66km、累計登り807m、累計下り927m。


第一日

池袋駅に14:00集合。飯能駅乗換えで秩父線で高麗川(こまがわ)の流 れる谷に入る。この谷筋の山村はのどかであった。15:25吾野駅着。あじさい館のシャトルバスであじさい館に向かう。立派な施設でかつ2食付き 5,330円と安い。


第二日

幸いにも夕方から降り出していた雨が上がった。予報では雨だが、何とかなりそう。7:30から15分間でバイキングの朝食を終え、宿を飛び出す。20分間 早足で西吾野駅に歩き 、8:17の電車で生丸駅に向かう。8:20正丸駅(311m)から集落の中を通って大蔵山谷を伊豆ヶ岳に向かって登る。どこまでも谷底を歩き、最後は急 斜面をよじ登って尾根にでる。 雨の中なら滑って登れないだろう。10:30伊豆ヶ岳山頂に立つ。標高差540mだから垂直移動速度は250m/hと好調である。

秩父特有の堆積岩の一種である赤色チャート(生物の化石が多い沈殿岩をこう呼ぶ。破砕岩が固まった頁岩はシェールという)は硬いため、侵食に耐えて、劣峰 になりやすい。伊豆ヶ岳はその例で、頂上付近は急斜面の岩である。風化で脆くなっているため、男坂の岩盤は落石が多く、自己責任で登るようにとの注意書き がある。 というわけで、眼前に現れた鎖場の男坂は避けて女坂経由を登った。

伊豆ヶ岳山頂からは2001年に登った武川岳(1,052m)と二子山(833m)を見渡せる。武川岳の右後ろに武甲山 (1,304m)がちょっぴり顔を出している。眼下には県立名栗少年自然の家の立派な施設が見える。今回、ここを前泊の地として検討したが、2週間前に予 約しなければうけつけないという役所の流儀にあきれて断念したところだ。

伊豆ヶ岳から前武川岳、武川岳、武川岳の背後に武甲山そして右に少しはなれて 二子山を望む

急坂を下って古御岳に向かう。眼前に湯ノ沢の石灰石採掘場が見える。急斜面にも関らず、スギの植林が多い。11:00古御岳(808m)着。ここで昼食と する。11:30古御岳発 、12:15高畑山(695m)着。いくつかの小ピークを過ぎて13:10天目指峠(あまめざすとうげ486m着。ここで小休止。「あまめ」とは豆柿を意味し、「ざす」は焼き畑農法を意味するという。 ここでアスファルトの自動車道を横断し、再びスギの巨木のある尾根道を登る。

このあたりでとれるヒノキやスギは西川材と呼ばれ、江戸城を築くためにも使われたという。西川といは江戸から見て西方にある川という意味で名栗川、高麗 川、成木川を指す。切り出した木材はいかだに組んで江戸まで4-5日で着いたという。

14:10子権現(630m)着。子ノ聖(ねのひじり)は832年の子ノ 年、子ノ月、子ノ日、子ノ刻に紀州でうまれた。出羽三山、月山で修行を終えて、この地に至り、911年に十一面観音をお祀りした天龍寺を創建したことには じまる。恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め 、子ノ聖大権現社を建立したためにこうよばれる。開山の折、地元の鬼達が火を放って抵抗したため、腰より下に傷を負って長く苦しんだことにちなみ、足腰守 護の神として信仰の対象になった。境内に大きなわらじが展示してある。武蔵野観音三十二番札所でかつ関東百八地蔵尊十番札所でもある。

子の権現のわらじの前で マーさん撮影

低山ではあるが縦走は累積標高差が大きくなり、かなり足の負担となる。久しぶりに右ひざが痛くなったのでプロテクターを装着して下山に備える。芳延経由、 13:55吾野駅(185m)着。途中の谷にある村は限界集落らしく、廃屋が増えていた。

東飯能、八高線、八王子経由で町田にでて反省会。

April 2, 2008

Rev. November 16, 2017


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