2008年3月25日、ノースウエスト・アース・フォーラムの最高裁見学後の懇親会に出席するために赤坂見付に出かけた折、エンジニアとして駆け出しの頃の職場のあった赤坂界隈を散策した。
かってグリーンウッド氏が奉職したエンジニアリング企業の本社は赤坂の目抜き通りの旧ホテル・ニュージャパンの真向かいにあった。ルノーを駐車した黒板塀の料亭はどこかに消え、本社のあったビルはM地所の所有でいまだそこにある。1階は三菱東京UFJ銀行が入っているが、上層階はAPAグループの赤坂中央ビルとなっていた。 地階に仮眠部屋があり、労働組合の執行委員会が夜半をすぎてそこで仮眠をとったことを鮮明に覚えている。
ホテル・ニュージャパンは火災で燃えてしまって長いこと空き地になっていたが、その空き地にいつのまにかプルーデンシャル・ファイナンシャル本社の超高層ビルが建っていて昔日の感を深くした。
プルーデンシャル・ファイナンシャルの超高層ビル
そもそも、赤坂界隈を久しぶりに探索しようと思い立ったのは昼食時、繰り出したTBS周辺が再開発されたという情報に接 したためである。昔の雑然とした赤坂の町は残っていたが、TBS会館と赤坂メディアビルは跡形もなく消え、そこにBizタワーという高層ビルが建ってい る。そして赤坂ミュージカル劇場の跡地は半分地下にうまった テント様の赤坂ACTシアターというものに変っていた。浦島太郎の心境である。
Bizタワー付属洋館、半地下のテント様の赤坂ACTシアター、TBS放送センター
早々に麹町の「満平 平かわ」に向かったが衆議院議長公邸の前を通る。道路特定財源をめぐっての与野党攻防戦の調停を議長公邸でしていたためか報道陣がカメラを構えていた。
衆議院議長公邸
9年後の2017/9/26、友人O氏に誘われて赤坂区民センターで開催された林家木りん、春風亭一蔵、古今亭文菊、林家たい平の平成特選寄席に仲間4名で参加した。
林家木りんは力士の父を持ち身長192cmと落語界一の長身、春風亭一蔵は小太りの自虐ネタ、なかトリの古今亭文菊は酔っ払いの伝統芸、トリを努めた林家たい平師匠の花魁の見受け話はハピーエンドで良かった。開場の18:30にはまだ1時間有ったため、付近を探索した。赤坂区民センターは丘の上にあり、やけに豪勢な建物であった。
青山通りを登って区民センターに向かうと右手赤坂御用地側にうっそうとした森に囲まれた豊川 稲荷東京別院があった。江戸時代、大岡越前守が日常信仰していた豊川稲荷を明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、日本三大稲荷の1つと される愛知県豊川閣の直轄の別院となり、今日に至ったものだとある。
豊川稲荷東京別院
別院から階段を降りると九郎九坂(くろうぐざか)があった。江戸時代の一ツ木町の名主、秋元八郎左衛門の先祖九郎九が同所に居住していたことからこの名が付けられたという。付近に鉄砲の射撃場が存在したため別名:鉄砲坂ともよばれる。
住友電気工業ビルと鹿島建設本社ビルがあった。
赤坂見付方面 左手は鹿島本社
歩いて気がついたのは赤坂は坂の多い街だということだ。この9年間の最大の変化は旧赤坂プリンスホテルが取り壊され、その跡地に西武が東京ガーデンテラス紀尾井町という新しい高層ビルを建てたことだ。
April 8, 2008
Rev. September 27, 2017