ノースウエスト・アース・フォーラムのメンバーの息子さんの内藤誠吾ディレクターがNHKの角英夫エギュゼキュティブ・プロデューサーと新資料を基に制作したNHKスペシャル「なぜ日本人は戦争へと向かった」という特集番組を制作したので観てくれという。後日内藤ディレクターのサイン本をいただく。
新資料とは元外務省や軍部の幹部が戦後行った証言テープを公開出来るようになったからという。
まず 2011/1/9に4部シリーズの@外交敗戦をみていて寒気がしてきた。なぜというに現在の日本政府は当時と基本的になにも変わっていない。組織が縦割り で情報の共有はなく、すべてを掌握して判断する人がいない。国をどうするかという基本的な理念がなく、当座しのぎの状況判断で行動し、結果として漂流をし ている。内向きにしか考えず、人気取り政策を採用したがり、外国がどう考えるかには思い至らず、希望的予測で行動するため、諸国の信頼を失ってしまう。な どアブナイ。 幸いなことにもう世界大戦などはもうできないとだれも感じている。日本人のだれも意識していないが水爆を複数国が持って互いに抑止しているためだ。せいぜ い日本の敗戦があるとして辺境の島のいくつかをとられ、ますます貧乏になるということではないのだろか?皮肉なことに、この日本が貧乏になるということの 真の敵は「帝国以降 アメリカ・システムの崩壊」を書いたエマニュエル・トッドが指摘するように残念ながら「自由貿易」という経済思想なのだと私も思う。
これを観た友人でMHIで働いていた畑中さんは「当時、要路の責任者の証言の一部に全く傍観者的考のものが有り呆れました」と書いてきた。自分の責任と感じない、ただ流されてゆく、これが自ら考えることを放棄した日本人の実態だろう。丸山眞男も「日本のあらゆる組織の指導層は自ら状況に対する政策を決断する自由な主体ではなく、「非規定意識」しか持たない個人である。弱い精神しか持たないエリートは、空気に同調したことについて誰も責任をとろうとしない」と書いている。
元会社の同僚フィールズ氏からはNHK番組(昨夜が第一回)観ましたか?とメールをもらった。
フィールズ氏いわく「 日本が太平洋戦争に突入して行った経緯について、最近入手した資料(主に当時の中心人物の談話・日記)を加えて再考察した内容となっている。第一回を観た 限りではさ程目新しい情報はなかった。唯一点、国際連盟脱退を宣言した松岡洋右代表が個人としては脱退に反対でその旨内田外務大臣に進言していた事は知ら なかったが。自己増殖の目的で暴走する軍部(特に陸軍)に引きずられ、その尻拭いに追われた政府リーダー(天皇・首相・外務大臣・大使)という従来から言 われていた構図に変化はない。 とは言っても、ターニングポイントとなった個々の事件の裏話はそれだけで面白い。もし、第一回放送を観てなかったとしても次回から観ることをお勧めしま す。再軍備についての議論は、周辺国特に日本に対して強硬外交を展開しつつある中国に対抗する為の軍事力の問題と絡めて今後益々かしましくなって来るで しょう」と。
NHK番組についてはラウンドテ−ブル21の21世紀の人類の課題でも話題になった。
Aは陸軍がテーマで派閥抗争とのことだ。
フィールズ氏は私の“周辺諸島が占拠されてもせいぜい今よりも貧乏になるだけ“、との発言に、「北方諸島を占拠されただけでも戦後70年間、日ロ関係は変
則のまま。過去の歴史事実を無視している暴論。先ず、周辺諸島の人口は僅かとは云え彼らにも夫々人生があり、敵に対抗する武力を持たないからと言って占拠
するままに黙視していたら国として成立しなくなる。これが歴史が示すところであり、国連その他の国際機関が有効に働く、というのは、”宇宙人が攻めて来た
ら地球人として纏まる“という仮定(空想?)と同じくらいの幻想」
そして「日本が貧乏になりつつある基本要因は自由貿易の思想だ、というのは全く同意出来ない。自由貿易に+/−あるのは当然で、その総計が日本にとっては
これまでは大きなプラスだった、と言うのは統計的事実。これからもそうだ、と言い切れるかどうかは議論の余地あるところだが、仮に日本にとって不利だとし
ても今更この旗印を捨てるなどというご都合主義が通る程世の中甘くない。日本にとっての+が減っていると言ってもその要因は相対的な競争力のバランスが逆
転しつつあるだけのこと。具体的には、搾取まがいの資源獲得がうまく行かなくなった、技術開発力が弱まり差が縮小した、こう言った弱点を補う程生産性
(リーダーのマネイジメントも含めて)が向上していない、等の複合的な要因に依り国際競争力が相対的に弱まって来たことが主因」と書いてきた。
これに対し私は、「これからありうる事態として核兵器が世界大戦
をできないようにしました。北方4島はすでに失われたようなものでしょう。戦争なしに外交だけでどう取り戻すのか?日本は資源的にロシア依存型で外交的切
り札がない。千代田化工が建設したサハリンLNG開所式に麻生が
のこのこ出かけて行ったこと、その製品を日本の電力が購入することを許した時点で日本の北方領土敗戦は決まったのではないかと思います。尖閣列島は沖縄に
米軍基地を維持できなければ失われるでしょう。
沖縄は昔の薩摩と明に朝貢していた時代に逆戻りします。私もフィールズさんと同じく、自由貿易のおかげで日本、韓国、アジア、中国もインドも豊かになった
と認識しています。しかし米国、ヨーロッパ、そして日本、韓国にといっても、また近未来のアジア、中国やインドにとっても自由貿易がアフリカの人件費に近
づける圧力となることは明らか。そこでフランス人のエマニュエル・トッドが
指摘する「自由貿易というドグマが問題なのではないか」という疑問をどうとらえるか。エマニュエル・トッドはヨーロッパのオピニオンリーダーですから多分
ヨーロッパ圏としては圏内外との貿易は抑制に向かうでしょう。さて日本はどうするという問題を我々は突きつけられていると思います。中国とブロックを作っ
たところで旨みはまったくない。米国は日本との貿易協定には興味ないでしょう。
日本は人件費とか仕組みで勝負する産業からは撤退してクリエーティブな産業といってもそのようなことのできる人材が育つ社会ではない。とはいえ海外から仕組み産業に安い労働者を受け入れるというようなことをしていればジリ貧ですね。フィールズさんならどうする?
フィールズ氏から下記回答あり。
2011年1月12日 11:45
グリーンウッドさん、
貴見解についての追加説明有難うございます。外交・経済戦争・軍備と言ったテーマは技術問題と違って取り組みが難しい。我々を含めた日本人の大部分が不得
意とするところだが、否応なくこれらと真剣に向き合い議論を深める時期に至った、というのが小生の見方です。従って、各人が自分の見解を勝手に述べるに留
まっていては、大正・昭和初期と同じく一部の政治家・官僚あるいは声のでかい、マスコミ関係者にミスリードされてしまう可能性がある。一旦主導権を取った
時の彼らの恐ろしさは歴史が示している。我々の子供・孫の人生を左右するだけに黙って居るべきではないと思います。こう言った観点から貴見解について再コ
メントさせて貰います。
1) 世界大戦の可能性
第一次・二次大戦のような世界戦争はありそうにない。が、地域紛争・戦争はこれからも続くであろうことは否定し難い。当事者、特に被征服者にとって両者の
違いはあまりない。紛争解決のための仲介者の存在くらいだが、彼らが殆ど無力であることは、イスラエル‐パレスチナ紛争に観るごとく明白。
2) 日ロ関係
仮にサハリンからのLNG供給がストップしたとしても日本にとって殆ど痛手はない。各電力会社の引き取り量は僅かだし両商社は投資額の殆どは回収済。むし
ろそういう事態になった場合の痛手はロシア側が大きい。麻生訪問は通産(電力・商社)・外務省のおだてに乗ったスタンドプレイ以上でも以下でもない。
3) 経済戦争
輸出品(物だけでなくサービスも含む)の価額に占める人件費の割合いは各国とも年々低くなっている。勿論、物・サービスの種類に依って大きく変わる訳で、
高付加価値品では人件費が高いスイス・ドイツ・米国の競争力が依然として高いことは注目に値する。日本はあまりにも技能者の技・自主性に頼り過ぎて、マネ
イジメント・ソフトを含むシステム全体の生産性向上の努力を怠って来た為に、気が付いた時には韓国・シンガポール・タイ・中国に並ばれてしまい人件費の差
が前面に出るということになった。早くに脱日本人技能者を果たした千代田・JGCですら、EPC Direct Cost (excluding
Contingency & Profit) ではベクテルより高い、ということにご注目。
4) 海外労働力の輸入
貴見解に同意。何をしでかす判らない外国人と一緒に住む事は出来ない、というのが大方の日本人の意見で今のままでは変わらないでしょう。これは官僚・政治
家の怠慢(無能力?)で
カルチャーが違う外国人を受け入れた場合のSecurity
Systemが構築されていないことも大きな一因。社会システムが改善されて受け入れ態勢が整ってくればかなり意識が変わって来るでしょう、と言うのが第
一点。第二は、外国との分業を構築し、その中で高人件費に見合う日本人の役割を決めると同時にその役割を果たし得る人材の育成。
まさにフィールズ氏の指摘の通りだが、日本の教育文化は鋳型に押し込んで没個性化させ、従順な人間を多量生産し、安価に多量生産できる仕組みに投げ込んで やってきたわけだから、高付加価値品を生み出せる人材は少ない。それにリスク慣れしていないから皆逃げて、大変だといっているだけ。どうする?
その後、フィールズ氏と交わしたメールは以下のとおり。
2011年1月13日 11:15
グリーンウッドさん、
自由競争についての補足:
自由競争の基本は政治的な介入を出来るだけ排除して市場における競争原理に基づいて価額その他の取引条件が決まるべきということで、物品・サービスだけで
なく通貨交換レイトも含まれる。EC域内ではこれを統一通貨にすることで実現しようとしているが、これでは国の経済力が前面に出る競争になっって、競争力
が弱い国(例えばギリシャ・ポーランド・アイルランド等)の貿易バランスはマイナスになり財政は悪くなる。結果として生活水準の低下を強いられる訳だが、
これは国民としては受け入れ難く政治が不安定化してくる。こう言った中で、勝者であるドイツ・オランダは財政援助の条件として自助努力という論理を展開し
ているが、どちらかと言うと敗者側に近いフランス・スペインはこれを機会に競争条件を見直そうとしている。一方アジア太平洋地域では、経済的に躍進してい
る中国・インドが物は市場原理・通貨は自国政府管理という身勝手な事をしており、競争条件が歪められて
いる。1980年代に日本がしたように通貨交換レイト調整を大幅にするよう日・米・ECが要求しているが、中国は通貨管理はその国の主権と言って譲らな
い。今更WTCから追い出す訳にも行かず
、日・米・EC・
アセアンは打つ手を考えあぐねている。
かように市場原理に基づく競争が良いと言っても、ルール次第で意図したような競争原理が働くかどうかが決まるだけに事は簡単ではない。その矛盾が経済発展
と共に世界のあちこちで表面に浮かび上がって来たのが現在の姿。さてどうなるか?市場経済システムの見直しは必然としてもどのように調整あるいは変革する
か?地域ブロック経済に逆戻り?
フィールズ
2011年1月13日 11:37
フィールズさん
全くご指摘のとおり。エマニュエル・トッドは英国で学んだフランス人学者でポール・ニザンの甥だとかいうフランスでのオピニオン・リーダーだが、朝日のイ
ンタービューで「完全自由競争が不平等を生んでいる」とだけ指摘していて、ではどうするとは言っていない。方向としては彼が示唆したのはECは少なくとも
今のままとまってゆくしかないだろう。アメリカは南米とオセアニアと東南アジアの一部をふくめた太平洋ブロックでもつくるでしょう。日本は中国とインドと
なにかブロックをつくれるのか、アメリカブロックに入るのかと問いただしているように私は感じました。アフリカとか中近東は蚊帳の外です。ここら辺がきな
臭くなるような気もします。
(その後、2月に入って、チュニジア、エジプトで独裁者が追われ、リビアで進行中である。中国のバーレインは押さえ込まれた)たかだか関税5%の障壁です
が、多量生産しか能のない日本的製造業の死活問題となるでしょう。
私は過去10年間で登山靴を3足履きつぶしましたが、いずれもイタリー製しか売っていなく、1足3-5万円です。パソコンだって4万円で買える時代に高い。「ヨーロッパというのはこういう世界で稼いでいるのだ
」と実感します。
グリーンウッド
2011年1月14日 11:38
グリーンウッドさん、
エマニュエル・トッドの論文は読んだことないので彼が世界の市場経済の実態をどの程度正確に把握しているどうか判りませんが、完全に自由化された市場競争
がいつの時代にも存在したことはなく、完全自由化を前提にした議論は仮設の域を出ない。が、市場競争の自由化が進めば進む程弱肉強食の論理がより大幅に働
いて貧富の差(不平等?)が大きくなることは避け難い。これを緩和するためには適切且つタイミング良いルール造りが必要になるが、ECの統一通貨、USサ
ブプライム問題に見られるようにこのルール造りが極めて難しい。ルール造りには政治が絡んで来、経済問題は個々人の生活に直結するだけにその状況が政治を
左右する。かくして政治家の能力レベルが国の浮沈にかかわって来る。
中東ーアフリカは資源に恵まれており、リーダーの能力が上がってくれば適切な経済システムを構築し発展が加速する筈。が、中東の場合、こう言った発展プロ
セスに乗れたかというと現状では疑問と言わざるを得ない。Why? 持てる資源を有効に活用して経済を発展させるシステム構築が遅れていることだが、この
基本的要因は人材の育成・活用がうまく行っていないというのが小生の見方。その基本には宗教上の制約・身分差・纏まりの無さ(未だに部族意識が強い)等々
がありそうです。アフリカ−夫々の国の置かれている事情(民度・政治的安定・資源量等)によって発展度合いが大きく変わり、地域全体としての発展(世界へ
の発言力)は民族(部族?)対立の緩和度合いに左右される。昔ベクテル・ロンドンでダス島LNGを担当していた時、ウガンダからの移民と一緒に仕事した
が、彼女の優能さには舌を巻いた憶えがあります。英滞在が長いことを考慮してもその能力は周囲の英国人を超えていたことに驚いたものです。その時個人的な
能力は人種・民族に関係ないと確信したものです。
フィールズ
2011年1月17日 10:30
グリーンウッドさん、
昨晩のNHK-TV番組「陸軍の膨張」を観ていて思ったのは、陸軍組織が膨張しあらぬ方向へと向かったメカニズムは現在の日本の官僚組織・大部分の企業に
も見られるもので旧日本陸軍特有のものではない、と言うことです。欧米でも同じ傾向はあり同じ結果を招いた例は少なくないが、どこかで暴走に歯止めが掛か
り方向転換させる力が働くようになって来ている。(例えば、1960年代に起きたキューバ事件。)日本の官僚・企業組織が戦後60年余も経つのに未だに
リーダーシップ/マネイジメント能力を欠いていることを思うと(田中角栄の登場転落・山一倒産・千代田転落
等々)、これはひょっとしたら、日本人は細部(自分が所属する組織)にこだわり全体を観ない傾向が強くその性向は容易には変わらないのかも知れない、と思
えて来る。だとすると、“昭和の歴史“を繰り返す可能性が高い。
ご意見を聞かせて下さい。
フィールズ
2011年1月17日 12:05
フィールズさん、
日本企業、官庁を含め終身雇用ですから自分の所属する運命共同体を育て、自分もその中で生きなければと人々のモーティベーションが働きます。だから部分最
適化になる。欧米も人間は基本的に同じだが、職場を転々とする自由度が日本より大きい分、ヘリコプター・ビューをもてる。そして自分も落下傘を持って飛行
機から飛び降りるリスクをとることができる。そしてより大きな最適解にたどり着く確率は高まる。
西洋はギリシアの昔からローマ時代を除き小国に分かれて抗争していたから、ある国で自分の芽がなかったら隣の国に移ればよい。ミケランジェロ、ダビンチ、コロンブスが典型的な例です。東洋では中国の父権的専制体制が中心だから自分の芽がなかったら逃げる隣の国がない。日本
は戦国時代はヨーロッパと同じ考え方をしていたが徳川の幕藩体制ですっかり東洋的に変わってしまった。明治維新をした連中は多少ヘリコプター・ビューを持ったが、坂本暗殺後、元の木阿弥。第一次大戦後のヨーロッパを見た永田鉄山が山県有朋の陸軍を改革しようと一友会(いっせきかい)を
たちあげるが、これも統制派と皇道派に分裂してあまつさえ
統制派の永田鉄山が暗殺されてしまう。こうして歯を食いしばっていやな組織のなかで派閥抗争をして自分の権益を増やす。中央が満州派遣軍を統制できなく
なって、押さえに天津派遣軍を増員したら天津派遣軍が手柄をたてようと中国内陸部に勝手に侵攻するという事態になって戦線が拡大してゆく。これは組織の暴
走以外のなにものでもない。一種のガン細胞のようなもの。
組織の暴走を抑えるメカニズムをシステムに組み込み忘れたということだろう。
これが日本のあらゆるところで昔も今も生じている。千代田も例外ではなかった。千代田の場合は文系とこれに便乗した一部理系の暴走であった。トップがからんでいたので手がつけられ
なかった。一昨日、いまや世界最大の造船会社になった隣国の某社の重役と赤坂で会食したが、彼が重役になれたのも昔、千代田で働いたおかげらしい。このように韓国の発展はアメリカ的人材抜擢にあるようだ。日本国や今働いている会社がいやなら
ワープするのがおすすめ。フィールズさんも国境を越え米国のベクテル、日本のコンサルタント、重電2社、商社と職場展開を実践したのですが、今、どう思います。
グリーンウッド
2011年1月18日 11:31
グリーンウッドさん、
韓国企業経者は当初(1970年代始めの産業開発時代)からアメリカモデルを志向しているようです。アメリカの大学を卒業した世代が後継者になりこの傾向
が更に強くなったようです。その中でサムスンは少し変わっていて、創業者が早稲田大卒という強みを生かして日本型経営を研究しその優れた点を自社経営に取
り入れたと聞いています。
日本人の物の見方が“井の中の蛙“になりがちなのは歴史的・地政学的必然という訳ですね。TPPに参加すべきかどうかというテーマについての東大・京大教
諭の意見が今日の朝日新聞に載っていましたが、
中野剛志京大助教授(元経産省)の見方が細部に眼が行き過ぎて基本的な方向性を見誤っている。多分この見方が官僚・企業経営者の中では多数意見でしょう
ね。これでは世界に雄飛する日本企業の復活はしばらくありませんね。更に、憲法が改定され自衛隊が軍隊になったら”軍参謀“が復権し軍主導の社会に逆戻り
の可能性大? 少なくとも日本の経済力低下傾向・中国との対立・政治家の能力の低下等の構図は昭和初期に似た様相を呈して来ている。
ベクテルに移ってからも千代田については高い関心を持って観て来たが、内向き傾向は益々強くなるばかりであきれてしまいす。重電二社と商社も同じです。重
電2社は自社供給率は低く、海外調達が大部分を占めるのに購買のやり方は国内調達のレベルに留まっていて、実際のプロジェクトでは納期遅れ・欠陥の現場で
の手直し等々の問題が続発している。最大の問題点は、指導的立場の人たちがこういった事を直視せず何ら改善のための手を打っていない事。特に、I社はメー
カー的な性格が色濃く残っており、この傾向は強い。2007年6月に商社で働き始めて驚いたのは、LNGの売り先が日本企業に留まっており、海外企業への
売りは殆どない事でした。(2010年スポット・ベースで海外バイヤーへの売り込みを始めた。)つまり、1970年始めの最初の東電とのLNG
Sell & Purchase Contract以来30年間ただひたすらに
同じビジネル・モデルを繰り返して来ただけでLNGビジネスを発展させた、と思っている。最も国際的と目されている企業にしてかくの如し。
フィールズ
2011年1月19日 23:42
フィールズさん
2年ぶりに高校の仲間と野沢温泉スキー場にいってきました。まだまだできるという感じでした。さて帰りまして中野剛志京大助教授(元経産省)の意見なるも のを読みました。これぞまさにエマニュエル・トッドが言い出した自由貿易というドグマが先進国を貧乏に引き下げているという論そのものですね。それは短期 的な視点でみれば事実です。ここからがむずかしいのですが、だからといって関税障壁をもうけると設けたほうが長い目では没落するというのも歴史的な事実で すね。 関税障壁で守られてきた日本の農業がまさに反面教師になるということかもしれませんね。それから貧富の差が戦争に行き着くというのも歴史的事実です。関税 障壁は麻薬みたいなものだということかもしれません。
グリーンウッド
2011年1月21日 10:56
グリーンウッドさん、
未だにスキーを楽しめるとはお若い。今の過ごし方が合っているということでしょう。
ある国が富むというのはその国の技術革新・効率化等により生産性が上がった結果として相対的な競争力が増し他の国々から富を奪って来る、ということです
ね。解放されたグローバル市場における競争は公平且つ適切なルールが確立出来れば競争原理が働き夫々の国の生産性に応じて富の配分が実現できる。こういう
世界では、時と共に競争力の差は縮小し、先発国への富の流入が減って来るのは自然の流れ。日本が正にこの状態。投機筋の思惑が加っていることもあって為替
レートが円高に進み過ぎて競争力低下が誇張されているが、これも現実の世界では仕方ないこと。更に、後発国は競争力調整の為のハンディキャップ与えられる
が、最近の中国に見られるように力が接近してもこのハンディキャップを手放そうとせず市場調整のための議論がギクシャクして来る。
今日の朝日の「第三の開国」論議で京大教授がTPP参加反対の論を述べているが、その論調は内向きで身勝手。彼の処方箋は現在の日本にとって適切かも知れ
ないが、同じ政策を他の国が取った場合どうなるかについての考察が踏み込み不足。京大経済学部がこう言った内向き論を展開するとは意外でした。
フィールズ
2011年1月21日 16:45
フィールズさん
佐伯啓思京大教授ですね。昨日は経産省出身だから、省益代表としての発言かと思いましたがこの人は学者ですね。それにしても農業衰退防止にエンターテイメ
ント施設や学校、病院をつくるなど
というおためごかしの政策を言うなど学者の質も落ちましたね。内需中心の経済という掛け声を連呼するのも解せません。自分の頭で考えていない証拠でしょ
う。私が農業をすてて都会にでたのは農業に将来がないからでした。エンターテイメント施設や学校、病院がないからではありません。農業に将来を持たせるた
めには再度農地解放をして法人農業を育成しなければだめでしょう。
おっしゃるように技術革新しか生きる道はありません。しかし既成産業も学会も政府もまるで頭が廻っておらず出来ない一色です。
にもかかわらずタメニする研究真っ盛りで人材と資金の無駄使いばかりです。今後来る資源高を乗り切るにはこれを予測して対策となる技術開発を実行に移さね
ばなりません。
ところが国の計画は二酸化炭素抑制研究一色です。再生可能エネルギー開発は地球温暖化防止のためにするのではなく、高騰する化石燃料の代替エネルギーを手
にいれるためです。すべてのエネルギーの価格予想を今後100年間にわたり行い、技術革新の重要さを説明できる計算を仕上げたとことです。明日にでも
pdf化して送ります。
グリーンウッド
February 27, 2011 11:34 PM
内藤さん、
息子さんが制作された今夜のNHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったか」の第3回過熱報道と民衆の熱狂、陸軍極秘世論操作をみました。このテーマ
に関していままで私が知りえたものは靖国問題にまとめてきましたが、今回はいままで知らなかったことを学びました。例えば近衛が終戦までNHKの会長で
あったこと。私が尊敬していた朝日新聞編集局長だった緒方竹虎が陸軍の今村にあって関東軍御しがたしという内訳話を4時間聞いた後、それまでの批判を引っ
込め戦争協力に社の方針を変えたいきさつ。信濃毎日新聞の主筆が軍部の圧力で辞任させられたとき以降信濃毎日新聞が軍部批判をやめたこと。敗戦のとき、今
までの報道責任をとって朝日の記者を辞任して郷里
の秋田に帰り、個人でジャーナリストを継続し正しい情報を提供し続けた秋田の武野武治氏がいまだ健在であること。戦争がはじまれば新聞の売り上げは3倍増
になること
、松岡が国際連盟を脱退したのは世論の突き上げがあったこと、近衛は三国同盟に積極的ではなかったが、世論が後押ししたことなどです。時のリーダーが世論
をあおって、舞い上がった世論にリーダーが逆に押しながされるという構造は私も労働組合の執行委員のとき経験しました。舞い上がった世論程こわいものはあ
りません。その世論に沿わないのもまたリーダーの役目なのですがバカだ無能だ弱虫だとののしられてそれができる人は少ないですよね。
とてもよい番組でした敬意を表します。
しかしいまでもこのマスコミー政府ー民衆の三角関係は変わらず、おなじことが繰り返されているということを我々も自覚しまければいけないのでしょうね。朝
日の記者だった川上さんとも報道の問題はよく話題に上りますが、感ずることは読み手がしっかりしなければいけないということだと思います。
グリーンウッド
2011年2月28日 16:10
グリーンウッドさん
メール有難うございました。昨夜は早く床に就いたので、今朝、出先に向かう車の中で気が付きました。ごめんなさい!貴方が言われたように、メディア、政治 家、国民が三つ巴で泥沼化していった様子が良く解り世論の力の怖さを識りました。国益を大義のもとに大国がまた同じ事を繰り返すことだけは無いようにと願 うばかりです。毎日ニュースで伝えられる中東の国々の抗議デモ、民主化のその先がどうなっていくのか不安が募ります。何とか世の中が少しでも良くなってい くように、世界中の人々一人一人が世の中のことをしっかり見ていって欲しいですね。実は、先日Tさんが入院されて、心臓の手術を受け、危機を逃れ安堵した ところです。彼女と同じ症状が私にもあったので不安になり、先週から、クリニックに通い、今日は朝早くから検査で先程帰ったところです。いつも有難いコメ ント頂き、感謝しています。メールを息子に転送します。休日返上で頑張っているので何よりの励みになると思います。ありがとうございました。ではまたニ
内藤
2011/03/01
グリーンウッドさん
NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったか」の第3回に関する、内藤さんへのコメント拝見しました。マスコミが世論を形成するのは、ある程度仕方
無いことですが、今も昔も記者個人の見解がどうしても出てしまうことです。先ず事件・現象を取材する記者(個人)がどう捉えるかというところから始まりま
す。それは個人がそれまで育ってきた生い立ち(環境)により時間をかけて形成される全人格がベースになります。それによって現象の捉え方(報道の仕方=現
場写真の選定・文章など)が異なります。そしてさらに重要なことはそれが客観的に正しいかというチェックが別人によってなされているかどうかです。しか
し、それには時間がかかります。一方報道は時間が勝負、その基本がなされないまま、時間切れでいわば特定個人の見解がそのまま正しいこととして報道されて
しまうことです。それを見た読者がこれが正しい現実なのだと納得してしまうことです。
さて、私のコメントですが、事柄を分けて述べます。
(1)報道が国の権力によって曲げられるという件
国に都合悪い報道はどこの国においても圧力を受ける。これを、跳ね返し、国の政策を変更させた有名な事件がある。それは、1971年米国「ニューヨーク・
タイムズ」が米国国防総省の秘密書類を曝露した「ペンダコン文書事件」である。これはベトナム戦争中、国防総省内部のベトナム戦争に関する機密文書を横断
的にまとめていたプロジェクトのメンバーがその内容を内部告発したものである。
文書は「ニューヨーク・タイムズ」に持ち込まれた。それを受け取った記者のシーハンは文書の内容に衝撃を受け、副社長のジェームス・レストンに掛け合い掲載にイエスを取る。
事実の検証を行うため、実際に9年間も現地で取材した経験がある記者を中心にグループが作られ、さらに政府勤務経験もある記者が内容を鑑定した。丁寧な真
実性のチェックを行った上で公開が始まった。その掲載を見て米国司法長官ジョン・N・ミッチェルはニューヨーク・タイムズ社長あて「連載を止め秘密文書を
返却しないと新聞の発行を禁止する。告訴する。」といってきた。ニューヨーク・タイムズはこれを拒否し裁判になる。連邦地裁は「掲載一時中止」の仮処分を
出した。ニューヨーク・タイムズ側はこれを「憲法修正一条“言論の自由”に反する事前規制だ」と徹底抗戦に出て、ついに連邦最高裁で勝利を獲得した。そし
て、記事の掲載は世論、政治を動かし、政府はベトナム戦争を終結せざるをえなくなった。これにより、米国民およびベトナム人の無用な血が流されるのが止め
られた。
番組では信濃毎日新聞社の例がありました。東京の消防訓練を揶揄した記事に対して在郷軍人会が時の信毎の専務小坂に新聞不買の圧力をかけた。会社は新聞の不買運動を恐れ、その記事を書いた記者と上司を解雇し、新聞にお詫び文を掲載した。
これに関する私の見解:
記事はもっと丁寧に書くべきであった。やっていることの幼稚さを揶揄するだけで無く、世界の情勢や日本のやっていることの事実を客観的事例を示しながら、
戦争の実情を解説し、なるほどそうであるなら、こんな戦争を早くやめるべきという世論を喚起するべきである。経営者もジャーナリズム精神をわきまえていな
かったと思える。
(2)報道が世論を作っていく恐ろしさについて
現在でもおかしなことは改まっていません。最近の例では厚生労働省の村木局長の冤罪。
最初、逮捕されたときの連日の報道は罪人扱い。逮捕された時点では罪があるのか無いのか厳密には不明。「罪がある可能性が高い」というあくまで推定です。
あれだけ罪人扱いした報道(結果的にはつめが浅い)の責任を報道各社は今も明らかにしていない。また詫び文も掲載していない。報道の暴力である。もっと、
直近の例では小沢問題。これまでの正規の裁判で無罪。そして今は告訴されたというだけ。結果が出てから報道すれば良いと思う。村木さんの例の反省もしてい
ない。国民の世論を煽った、いきがかり上ペースを変えられないのか?それより、重要なのは検察の小沢の問題の取り上げ方だ。「政治資金規正法の報告書に記
載もれ」などという些細な件でごまかそうとしている。本当は西松建設からの賄賂だ。ここが重要なのにそれには突っ込んでいかない。おかしい話だ。報道も
そっちがどうなったのか追及していない。
そして恐ろしいことに、最高裁判所の判決にさえ報道の作った世論を気にした判決をだしている。(「最高裁の暗闘」朝日新聞出版、山口進・宮地ゆう)
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
議論しているときりが無いので今日はこの辺でやめます。
土屋
2011/年3月7日
内藤さん、
息子さんがディレクターとして制作された昨夜のNHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったか」の第4回開戦決定驚きの真相、迷走する指導者達をみました。
日露戦争に始まったとされる政府が軍に吸収されたような形の当時の日本政府最高意思決定機関である大本営政府連絡会議(Imperial General Headquarters)のメンバー全員は日米戦争に勝ち目はないと判断していた。にもかかわらず陸軍も海軍も縦割りの思考により、会議で戦争回避への 正式提言を行わず、首相の近衛は指導力を発揮せず、妥協の産物としてどうとでも読める曖昧で抽象的な方針を発令した。陸、海の下部機構はこれを自分の都合 の良いように読み、陸は北に海は南に勝手に侵攻を始めた。これを見て態度を硬化させた米国は最終的にハル・ノートを出すことになる。それでも全面撤退とい う判断もありえたが、すでに発生している20万人という犠牲から撤退という選択は出来ないと判断し、真珠湾へと向かい、結局300万人という犠牲者を出す ハメになった。米国の学者の「日本だけが例外ではなく、どの国の指導者も『死者への負債は政府指導者に重くのしかかり、引き返す勇気ある決断を躊躇させ、 更に深い傷を負わせる』との発言を挿入したのは番組をうまく総括しておりました。ベトナム、アフガニスタン、イラクなどがこれに相当するのでしょう。戦争 にいたる道は権力者の個の強さではなく、弱さ、男性的なマチョ性ではなく、個を隠す女性的な仲良しクラブ的なメンタリティーだと気がつきます。これはまさ に戦争は男がなせるワザとする常識に反する「戦争のパラドックス」とでも言ってよいのではないでしょうか? 別の表現の仕方をすればジンギスカンのような遊牧民のリーダーのもつ個としての判断を失い、定着農耕民の和を重んずる文化こそ、戦争の原因とする「和のパ ラドックス」とも言えるのではないでしょうか?
今の日本の政府、企業あらゆる面でこの「戦争のパラドックス」が瀰漫していることに気づかされます。そういう意味でこの番組はすばらしかった。
この番組でセピア色のアニメを多用していますね。鎌倉座禅会で見せていただきました、息子さんが若いとき描いた絵コンテとソックリでした。若き頃構想した 手法を生かしているなと思いながら観ておりました。このセピア色を使うアニメ手法は2009年に公開された1982年のレバノン戦争に従軍したアリ・フォ ルマンが経験したパレスチナ難民虐殺事件を描いた「戦場でワルツを」(Waltz with Bashir)にも採用され、昔の記憶のイメージをよく表現していると思います。
グリーンウッド
2011年3月7日 17:22
皆様
NHKの番組「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」についてのグリーンウッド氏から内藤さん宛てのコメントを拝読しました。以下はグリーンウッド氏への小生のコメントです。
1)「日露戦争に始まったとされる政府が軍に吸収されたような形」と言うが、そういう形は日中戦争の途中からだと小生は考えます。むろん、なし崩しの段階的な変化をどこで区切るかの難しい問題ですが。
2)大本営政府連絡会議は、真に日本政府の最高意思決定機関であったか。内閣も、御前会議もあった。この問題は,統帥権、天皇の責任問題にも連なることで、あまり簡単に言い切るコトは危険である。
3)メンバー全員が日米戦争に勝ち目は無いと判断していた、とそう簡単に言い切れるか。
4)「全面撤退と言う判断もありえた」とおっしゃるが、ここに言う全面撤退とは、中国戦線のことか、対中外交あるいは満州国のことまで含むのか。全面撤退
という判断の可能性は「ありえた」と私は思わない。当時の指導者の誰が、全面撤退を主張し、誰がそれに賛成したのか、私は寡聞にして知らない。
5)米国の学者が「死者への負債は指導者に重くのしかかり」と言ったそうだが、多分その学者は現代の人だと思うが、戦後何十年も経って、戦勝国の学者の言
ウコトが、番組の総括とは−−−。Rooseveltや McArther,そして日本の天皇に、それが重くのしかかっていたとは私には到底思えない。
Obamaにだって。まあ、重くのしかかっているのではなく、重くのしかかってほしい、と言う話なのだろうが。べトナム、イラク、アフガンーーーみなアメ
リカの世界戦略の問題であり、つまり米国の大統領のかかわることですが、残念ながら米国の大統領は、皆さんご承知のように米国民が、民主的に選んだ指導者
です。その米国の学者はのんきなことを言ってないで、自国の大統領と自国民に物申して頂きたい。
6)戦争に至る道は、権力者の個の弱さ、男性的なマチョ性ではなく、個を隠す女性的な仲良しクラブ的なメンタリティー、と言われても、何のことか小生には
わかりません。戦争が男のなせるワザとするのが常識と言うのは、ある程度わかりますが、これがparadoxなのでしょうか。要するに、「日本の権力者
は、個人として堂々と自分の意見を言わずに、仲良しクラブのようになんとはなしに、みんなで渡れば怖くない式の物事の決め方をした」、と言う意味でしょう
か。それにしても、飛躍のある乱暴な論議です。
主として内藤さんおよびご子息へ
NHKが、こういう厄介かつ複雑かつ根源的なテーマで放送したことに敬意を表します。この次は、「日本(あるいは日本人)はなぜ、誰によって、戦争に向か
わせられたのか」「天皇の戦争責任は?」 「国民はそのときどんなことを考えていたのか(大政翼賛会ができるまでは、不十分とはいえ日本にも議会制民主主
義は存在した)」 「日本人は戦後、本当に戦争責任を追及したか、あるいは戦争を反省したか」 etcなどを期待します。それと、直接に関係はないかもし
れませんが、「東京裁判を
裁く」(滝川政次郎著、慧文社),「戦争論」(上中下、クラウゼビッツ著、篠田英雄訳、岩波文庫)の一読をお勧めします。
正直を申し上げますと私は番組そのものを見ておりません(私は、テレビはNHKしかみませんが,それも主としてニュースとスポーツ中継です)番組を見ない
で、こういう言を弄するのは、大変失礼だとは承知しておりますが、民主主義と戦争をテーマとしてきた政治学の学徒として、元ジャーナリストとして、現在大
学の教壇に立つ者として、一言、黙っていられなくなり、自らの禁を破って筆?をとり、同送といたします。本来、本を何冊買いても足りないくらいの話です。
川上
2011年3月7日 18:10
川上さん、
番組を観なかったのは惜しかったですね。私も結構開戦史には興味を持って沢山本を読んでいますが、この番組の強さは当時の大本営にいた人で戦後生き残った
人々のテープ証言を丁寧に聞いて番組を作っていることです。だから川上さんの知っている印刷物だけの知識では理解できないところがあるのでしょう。マー!
沢山NHKに保存さているテープは当然負けた後の発言ですから、会議ではいえなかったが心のなかでつぶやいたこともあったかもしれませんが、会議の裏では
皆勝てないと考えていたし、海軍内、陸軍内、企画院内では率直に話あっていたようです。ところが政府連絡会議では沈黙してしまう。
なぜかというとどこそこが負けるといったからアレはつぶれたとは言われたくない。責任をとりたくないという動機だったというナレーションです。これは私か らみれば女々しい行動様式とみえました。番組では責任を取るという決断をする人物は居なかったという表現でしたが。私は権力者の個の強さではなく、弱さ、 男性的なマチョ性ではなく、個を隠す女性的な仲良しクラブ的なメンタリティーだと感じたわけです。
この感じは自分が組織の責任者であったときの経験も加味した感じですね。私自身、自分は女々しいと何度も自戒したものです。メールを出した後、別の表現が
頭に上りましたがそれは「ジンギスカンのような遊牧民のリーダーのもつ個としての判断を失い、定着農耕民の和を重んずる文化こそ、戦争の原因とする「和の
パラドックス」とも言えるのではないでしょうか?」です。これも川上さんにとっては突拍子もなく、理解できないかもしれませんね。でも私はそう考えるので
す。
グリーンウッド
2011年3月8日 10:59
グリーンウッドさん
ここで撤退したら戦死者の犠牲は無駄になる”と言うのは西欧人の論を待つまでもなく、中国の春秋戦国時代以来中国・日本の武将がしばしば言っていた事。実
際に撤退を選択した事例は数限りない。日本のロジックはその戦いに正当性がある場合には意味があるが、満州事変に始まる日本の一連の戦争行為の正当性は甚
だ疑わしく、国益/国防に名を借りた陸軍/関東軍の勢力拡大の意図に沿った事変であった、という点では大方の見方が一致している。問題のポイントは、英米
との戦争は無謀と判っていた近衛内閣が軍部に遠慮して(暗殺を恐れて?)英米との妥協(中国・南方からの撤退)を主張せず、最後通牒を受け取る羽目になる
まで得意の“何も決めない”先延ばしを繰り返したことだと思います。
NHK担当者が“戦死者への負担”を入れた真意は判り兼ねますが、あまりにもだらしない近衛文麿以下の文官へのいたわりでは?ベトナム・アフガニスタン・
イラク紛争への米の介入は、共産主義拡大防止・テロ集団擁護政権撲滅と言うはっきりした意図に基づくものであり、今でもその正当性は米国では広く受け入れ
られている。これらの紛争介入についての問題点は、ベトナム戦争では“これだけ米兵の犠牲を出してまで共産主義拡大防止することに意味があるのかと言う点
であり、“イラクは本当に核武装しテロ集団を擁護していたのか”、“アフガニスタンをテロ集団が生まれない国家にするためにの効果的な施策は?”と言うこ
とであり、“戦死者への負担”ロジックとはあまり関係ありません。むしろ、ソ連が多数の戦死者を出しながらアフガニスタンから手を引いた決定はこの論理に
縛られながら正しい選択をした、と欧米では言われている(が、国内軍部からはかなり非難されたようだ)。
フィールズ
川上さん、
「東京裁判を裁く」は読んだことはありません。この本は自民党の政治家が大好きな本で察しはつきます。滝川政次郎氏は軍部に嫌われ、国立大学教授職を追わ
れた経緯があったにも関わらず、極東国際軍事裁判の弁護人(嶋田繁太郎担当)となって裁判の問題点を追及した立派な法制史学者です。
法律家は記録された文書を基に判断を下します。そういう意味でそこに書かれていることは法律家としては筋が通っているのでしょう。だが、だからといって
そこに全てが記録されているわけではなく、従って開戦決定が正しく行われたという理由付けにはならないのではないでしょうか?
「戦争論」は9年前に読んで読書録523番に要約を作ってあります。ここに私は3点書き出しています。日本が米国にしかけた戦争はクラウゼヴィッツのいう戦争の3要件に合致しているのかチェックしてみましたのでご報告します。
@「戦争とは、相手にわが意志を強要するために行う力の行使である」・・・・日本が米国に我が意思を強要する意味があったかといえばノーでしょう。強くでれば米国は折れると思いこんでいたにすぎないようです。テープのなかで多くの大本営参謀がそう証言しております。
A「そして戦争の目的は敵の無力化であるとする」大本営政府連絡会議のだれも敵を無力化できると思っていなかったと証言しているのだからこれもノーでしょう。
B「共同体の戦争、すなわち全国民の、特に文明国の戦争は、常に政治的事情から発生し、政治的動機によってのみ引き起こされる。したがって戦争は、一つの
政治的行為であった」かといえばこれもあやしい。一般国民は情報統制され、マスコミがあおるニュースに踊らされていたとすれば民主的な判断であったかどう
かはまことに怪しい。マスコミはその意思とは関係なく、政府のグルにさせられていたのではありませんか。敗戦のとき、今までの報道責任をとって朝日の記者
を辞任して郷里の秋田に帰り、個人でジャーナリストを継続し、正しい情報を提供し続けた秋田の武野武治氏がそう言っています。
私のような理系ですら名著とされるクラウゼヴィッツを読んだのですから、長らく、アウシュヴィッツの音楽家など戦争物を追いかけてきた内藤ディレクターなら当然読んでいると思います。しかし仮に読んでおらず
、これから「戦争論」を読んだとしても自分の番組作りが間違っていたとは思わないと思います。
開戦当時のNHK会長だった女々しい近衛が日本人を戦争に巻き込んだ責任をとるつもりがあったかどうか知りませんがNHKがこの番組を作ったことは贖罪の
意味でも高く評価します。武野武治氏すら「私は辞めることが良心の証だと思った。しかし、新聞記者は常にペンとの闘いを貫かねばならない」と述懐しており
ます。
未公開資料を渉猟し、開戦の真実を天下に明らかにすることこそ、ジャーナリストの本懐でしょう。内藤ディレクターがんばれ。
グリーンウッド
2011年3月9日 21:00
グリーンウッドさん
私が前便で、クラウゼビッツの「戦争論」と滝川政次郎の「東京裁判をさばく」の二著をたまたま挙げたのは、戦争と言うものを論ずるのに今後とも参考になる
と思ったからです。ご承知のように「戦争論」は19世紀、それも世紀前半の著作であり、日本の太平洋戦争開戦と直接結びつくはずもありません。当たり前で
す。私がたまたま挙げた著作について 「内藤氏は当然読んでいるはず」と貴兄が断言するのも乱暴だと思う。少なくとも余計なことです。ましてや 「自分の
プログラムが間違っていたとは思わないと思います」 と貴兄は言うが、「間違っていた」 と誰が言ったのですか。
「開戦決定が正しくおこなわれたことの理由付けににならない」と貴兄は言うが、そしてれはその通りだが、それが理由付けになると言っている人がいますか。それに「正しく」とはいったいどういう意味でしょう。貴兄はナニが正しいと思っているのでしょう。
「東京裁判ーーー」はあの裁判の実態と不法性、不当性が活写されているだけでなく、日本が戦争に至る過程が歴史家(彼は単なる法律家ではなく、歴史家でも
ある)の視点から随所に現れている。その視点は、日本の戦後の学会と論壇を覆った、日本悪者論、軍部悪者論とは異なるところがある。私がこの著作の名を挙
げたゆえんです。自民党の政治家が好きな本かどうかも余計なことです。単なる形容句のつもりかもしれませんが。本が「開戦決定の理由付けにはならならない
と思います」 と貴兄は言うが、開戦決定の理由になると、誰が言ったのですか。戦後の著作が開戦決定の理由になるはずもありません。第一、テーマが違いま
す。内藤氏の番組とこの本を、誰も結び付けてはいません。
「NHKがこの番組を作ったのは評価してもよい」との貴兄のコメントは、私も賛成です。ただし、「贖罪」と言う言葉に私は賛成できません。揚げ足取りでは
ありません。贖罪、と言うほどの罪を、NHKは犯しておりません。罪を犯すほどの存在ですらなかった。開戦時のNHK会長が近衛文麿であッたと言う貴兄の
言及どおり、当時の(今もかなりそうだが)NHKは実質国営であり、同盟通信(国策通信社,戦後現在の共同通信と時事通信に別れ再出発)の流す記事をアナ
ウンサーが読み上げていただけです。戦時歌謡、軍歌、戦時童謡(例えば、川田正子の「お山の杉の子」。戦後、戦時色のある部分は削除改訂され、今でもカラ
オケに残っている)などを流したのは、戦意高揚の「罪」と言えなくもないが、微罪です。
NHKが,辛うじて言論機関、報道機関として形を整え始めたのは昭和28年です。この年、民放各社が新しくできて、NHKがテレビ放送を開始、同時に独自
取材を始めました。その第一期生、後年ニュースキャスターとして文字通り大きな顔をした磯村尚徳ガ、記者クラブで新聞各社の記者に取材のイロハを教わりな
がら仕事を始め、新聞記者の失笑を買った。毎日新聞の安部慎太郎(字に間違いがあったっらご容赦を),朝日新聞の古垣鉄郎など新聞出身者がNHKの会長に
就任し、NHKを指導しました。NHKを含むテレビ放送に対して評論家大宅壮一が「一億総白痴化」と揶揄したのもその後の話です。NHK
は、「公共放送」という新語,珍語を創り出し、実質国営放送であることを否定しようとしていますが、予算と人事を国会に握られているNHKを、言論機関、
報道機関と私はみなしません。そのNHKから、内藤氏のような番組(視ていないのにちょっと申し訳ないが)が電波に乗るのはよいことだと思います。
さて、本論、クラウゼビッツの「戦争論」と日本の開戦についての貴兄のコメントに沿って小生の考えを記します。繰り返しますが、私は前便の通り、内藤氏の
番組や日本の開戦とこの古典的名著を結びつけて、この本に言及したわけではありません。これを結びつけること自体、かなり乱暴だ。貴兄は下記の通り、そこ
のところに立論の基礎を置いているので,一応、順序だけはそれに従います。
1)日本が米国に意思を強要する意味があったことなどありえない。それはその通りでしょう。実は強要の逆で、日本は米国により戦争に追い込まれたと言う方が歴史の事実に近い。
19世紀から20世紀はじめにかけて、先発帝国主義英仏は末期の清朝を食い物にして中国における経済的権益を確立した。そこへ後発帝国主義国、米国と日本
が加わった。だから米国は、「門戸開放政策」などというおためごかしを唱えた上、日本がアジアで有力になるのを阻止すべく、日本を目の敵にした。それが、
米国の満鉄買収計画、蒋介石援助(例えば、援蒋ルート、米陸軍大将スティルウェルの中国常駐・蒋介石軍指導など)になって現れた。日米戦争は、米国のアジ
ア政策の一環として、中国大陸を舞台に日中戦争の中で始まっていたのである。そして米国は、国内では日系人排斥、対日石油禁輸などでじわじわと日本の首を
締め上げ、対米開戦に追い込んだ。ヒットラーに席巻されていた英仏も米国の対日戦争を熱望していた。日本の開戦は、米国を含む連合国にしてみれば 「飛ん
で火に入る夏の虫」だったというのが、今日通説といっていいのではないかと私は思います。要するに、クラウゼビッツの論を対米戦争開戦決定論の是非、また
はプロセスに結びつけるのは、ここでまた前便と同じ言葉を使いますが、牽強付会が過ぎると私は思う。
2)同上。
3)「戦争は政治の延長である」と言うのがクラウゼビッツの論の骨格の一つであり、当時は斬新な考え方だった。今も変わらない。「これもあやしい」と貴兄
は言うが、なにがあやしいのでしょう。開戦決定は、大本営政府連絡会議がしようと、天皇がしようと、カダフィがしようと、政治の一環です。文面からする
と、貴兄は「政治」と言えば「民主政治」と信じ込んでいるようだが、政治には歴史的に段階を踏んでいろいろな形態がある。クラウゼビッツの時代に彼が政治
と言っているのは、現今の民主政治とは違うものです。
ついでに、貴兄の挙げている、むのたけじ氏(同氏が長年、自分の名前をこう表記しているので、本人の希望に添います)の秋田からの発信は、ただただ平凡な
反戦、平和論議だと私は思っています。いや、論ですらない。叫びと言った方が適切かもしれない。ここはそういう場ではないので、これ以上は立ち入りませ
ん。昭和20年8月15日、同氏は戦争責任を取ると称して、朝日新聞社を退社した。一見、潔いように見えるし。後年彼のファンがいたことも承知している
が、私は彼の生き方にも、幼い平和の叫びにも賛成しない。ぺいぺいの記者ガ、戦争責任を取るなどとは、自意識過剰というものだ。そして、それを売り物にし
て彼は生涯を暮らした。「正しい情報を提供した」とグリーンウッドさんは言うが、なにが正しいかは別として、彼は情報など提供していない、と私は思う。
「マスコミの煽るニュースに踊らされ」、とここでも貴兄はマスコミへの悪意に満ちた論を展開しているが、そして私もまた新聞(当時は放送などオピニオン
リーダーと誰も認めていなかった)が戦争に有効に反対しなかった、戦意高揚をやった、との指摘には反論するすべはありませんが、戦前戦中の朝日新聞主筆、
緒方竹虎が戦後「朝日新聞ガ少しでも弁明を許されるなら、新聞社の中では最後まで戦争に抵抗したことだ」と公式に述懐しています。あるいは、新聞社の幹部
は戦争中の報道の責任を負って総退陣しています。政治家をはじめ軍、政府の命令に従って武器の生産に血道をあげた財閥各社各社の幹部は、戦勝国米国の命令
による財閥解体、公職追放に処せられましたが、自発的だったかどうか。
「政府のグルだったのではないか」とは、ずいぶんな、そして杜撰、粗雑かつ傲慢な、品格を欠く批判です。新聞に対する侮辱でもあります。当時の政府の事前
記事検閲(少しでも政府の気に入らない記事は掲載を禁じられ、抵抗すれば発刊禁止)を、少しでも知っていたら、そんな一方的な批判は出てこないだろうと考
えます。そういう批判する以上、当時の政治状況、新聞の状況を少しは勉強してからにしていただきたい。
「その国の国民は、その国民に値する政府しか持てない」と言う政治学の定言があります。そのひそみに倣えば、「読者は自分にふさわしい新聞しか持てない」と私は考えます。
川上
2011年3月9日 21:10
川上さん、
コメントありがとうございました。これで共通の理解に立つとわかりましたので。本件はこれにて終了としましょう。
グリーンウッド
2011年3月16日 21:55
お元気ですか。11日の東北・関東巨大地震には吃驚しました。何か被害にあわれたのでしょうか。私の近くでも屋根瓦が損傷した家が多くみられました。被災 地のことを考えると大したことではありませんが、日がたつに従って日常生活に影響が出てきており、今後の事態の経過に心配せざるを得ません。川上・グリー ンウッド両氏の論争を読ませていただき、私の感想をまとめてみました。雑用に追われ、時間が経過してしまい、気の抜けたビールのようなものになってしまい ましたが、目を通していただければ幸いです。またお会いできる機会を期待しています。といって下記の文を送ってきた。
私の感想−青木、川上両氏のコメントを拝読して−
NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争に向かったか」を観た私の感想は、最近のNHKの民放化しつつある現状のなかで久しぶりに評価できる作品と感じまし た。新聞社という傘の下の隅で生き残ったに過ぎない私ですが、作品は新聞の過去の重大な誤り‐軍部の圧力に屈し、大本営発表や従軍報道で戦争に加担しなが ら経営基盤の強化(部数の飛躍的増大)を図った反国民的な役割を冷静に告発しており、大いに共鳴しました。それは、「マスコミが政府とグルだった」という ような非難でなかったことは明らかです。
その反面、「昭和天皇の戦争責任」や「侵略戦争」の角度からの追及が弱かった点を残念に思い、今後に期待したいと強く思いました。この作品を「NHKがこ の作品を作ったのは贖罪の意味で評価」できるでしょうか。「国営放送」との厳しい批判・非難がある中で、プロデューサーやディレクタ−などの担い手の努力 によって作品化できたのであり、NHKという組織の方針にそって番組を作ったものではないことは明らかです。新聞も放送も、厳しい制約条件が存在するな か、現場で不屈の精神と構えで奮闘する働く者の取り組みがあってこそ良質の作品や報道が実現できるのではないかと考えています。戦後、新聞各社が「戦争に 抵抗できなかった」だけでなく、「戦争に加担した責任」を明確にして再出発したかどうかは評価の分かれるところです。しかし、戦後の焦土の中で新聞に働く 人々は、「新聞の侵略戦争への協力」に対する痛烈な反省から新聞経営者らの戦争責任の追及に立ち上がり、続々と労働組合を結成し、怒涛のように民主化闘争 を展開しました。このような闘いの中に、むのたけじ氏が存在したことを考える必要があると思います。
むのたけじ氏は、1945年8月14日、敗戦前夜の朝日新聞東京本社の報道第二部(社会部)の部会で社員総退陣を唱えました。その主旨は「社員はみな辞め て活字と印刷機だけ残して社屋を空っぽにすべきである。我々は、個々の記者としても新聞社全体としても戦争の遂行に手助けをした。新時代の新聞人として自 他ともに認められる人たちだけが空っぽの社屋に入って新しい新聞をつくるべきだ」というものです。むのたけじ氏は9月1日付で退社。48年、郷里の横手市 でタブロイド版の週刊新聞「たいまつ」を創刊し、78年に休刊するまで、主幹として新聞のあるべき姿を求め続けました。この人物をどう評価するかは、様々 と思います。私は、「なぜ社に残って闘わなかったのか」と批判的にとらえていました。しかし、「会社を辞めるという身の処し方は最悪だった。45年8月 16日から戦争をやらせない新聞を、戦後60年間続ければよかった」(戦争と新聞・朝日新聞出版)と語っているのを知り、今は「反骨のジャーナリスト」と 評価しています。
ところで「日本人は何故戦争に向かったか」は、戦後生き残った人々のテープ証言を丁寧に聞いて番組を作っているところに特徴があります。たしかに印刷物だ けの知識では知り得ない面があったと思います。しかし、生き残った人々の証言は貴重ですが、絶対視することもできないと考えます。例えば、旧日本軍が住民 に集団自決を命じたと記述する大江健三郎の「沖縄ノート」(岩波新書)によって名誉が傷つけられたとして、当時、慶良間諸島に駐屯していた部隊の隊長と家 族が大江氏と岩波書店を訴えた裁判があります。裁判の中で、この元隊長が「沖縄ノート」も読んでもいないで訴えを起こした驚くべき事実が明らかになりまし た。生き残った人々の証言も歴史の検証に耐えうるものかどうかを冷静に判断すべき一つの例として私は重く受け止めています。
なお、クラウゼビッツの「戦争論」は、読んでいないので両氏の議論は非常に参考になりました。クラウゼビッツ論の骨格の一つである「戦争は政治の延長であ る」は、ロシア革命を指導したレーニンも「革命論」のなかで述べています。私の拾い読みの理解では、現今の民主政治も何ら変わっていないと確信していま す。この問題は、「戦争論」を読んだうえで私なりに考えてみたいと思っています。
最後に気にかかっている点があります。作品を見ていないで議論に参加することの是非です。両氏のコメントの中で、そのことが論議になっている訳でありませ んが、私自身が引きずっている問題です。若かりし頃、同人誌の紙上で三島由紀夫監督・主演の映画「憂国」の論議に映画を見ないで参加し、厳しい批判にさら された経験があります。それ以来、その批判を重く受け止めてきました。しかし、両氏のコメントを読んで、ことの是非を問うほどの問題でないのかも知れない 気分になりました。長々と済みませんでした。
3月16日 記 田原
March 18, 2011
Rev. October 29, 2013