国立自然教育園

2014年9月9日、国立自然教育園にでかけた。上野の国立科学博物館の付属設備という位置づけだ。

代々木公園のデング熱騒動後でもありムヒのスプレーを持って出かけようと思っていたがド忘れ。びくびくものあった。

園内に入って植生は江戸時代からのものは赤松だけで下刈りなどの手入れをやめるとウワミズザクラ、イイギリ、ミズキなどの落葉樹、スダジイ、タブノキなど の常緑樹が松の下の育つという遷移進行中でいずれ極相林になるとされている。我が裏山の鎌倉広町緑地とほとんど同じ生態系だ。

土手のような土塁が目立つ。室町時代にこの地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられていると説明版にある。

自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20〜50万年前)海食によって作られた。縄文中期(約2,500年前)の土器や貝塚が発見されている。平安時代に は目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられてい る。白金の地名は1559年の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されているという。

江戸時代になると、増上寺の管理下に入ったが、1664年には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろち の松などの老木は、当時の庭園の名残であろうという。明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、1917年に宮内省帝室林野局の所管とな り、白金御料地と呼ばれた。

その後、戦後文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っている。

牧野富太郎発見のトラノオスズカケがあった。平賀源内が香川県から移植したのだろうとされている。

ヒヨドリなどによって種が持ち込まれて1965年に3本だったシュロが2010年には2,324本になったとかで、いまは伐採しているという。

北側は10m低い谷となっていて池がある。池にはヒメガマがあった。



ヒメガマ


散策路には大型のハチがでており、エピペンを忘れたのを悔やんだ。

庭園美術館は改装中で入れなかった。

2014/9/10


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