称名寺

2002年2月3日(日)、wakwak山歩会の仲間と鷹取山と金沢八景の散策後、ここを訪問した。金澤山(きん たくさん)称名寺は山の囲まれた静かな場所にある。西大寺末の真言律宗、別格本山として今日に法灯を伝えている。本尊は弥勒菩薩立像(重要 文化財)。仁王門をくぐると阿字ヶ池とこれにかかる朱色に塗られた反橋(そりはし)と平橋が見える。昭和 50年代に復元されたものである。平安時代の御殿建築の影響を感じる。金沢八景の一つ、称名寺晩鐘は意外に小さな鐘である。

東京湾側の良港六浦に置かれた称名寺は、金沢(かねさわ)北条氏一 門の菩提寺である。境内に、北条実時創建の私設図書館、金沢文庫があり、2万冊を超える古書のほか多くの国宝・重文が収蔵されている。相模湾側には良港に 恵まれなかった鎌倉にとって重要な海への玄関であった。六浦と鎌倉を結ぶために北 条泰時が掘削した朝比奈切通(あさいなきりとおし)で結ば れていた。

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称名寺の反橋 (コンちゃん撮影)

金沢(か ねさわ)文庫は当時公開さてていたわけでなく、北条氏一門と坊さんしか閲覧はできなかった。六浦にあった称名寺は別荘のような使われ方をさ れていた。北条実時は役目上書籍を沢山収拾したが自宅が火事になったので別荘の称名寺の方に貴重な書籍を移したといわれている。金沢文庫は現在の位置では なくもともとは称名寺の中にあった。文庫はかなり逸散しており、皇居、大学、前田家などに移っている。逸散させた犯人は徳川家康で自分は源氏だから自分の ものと考え、江戸城に持ち帰ったのが今皇居に残り、前田家に贈与したのが金沢に残っているわけである。

称名寺の浄土庭園にある反橋は平橋とセットなっていることに特徴がある。 鶴岡八幡宮の太鼓橋も赤橋と呼ばれ、同じように勾配がきつい。これは極楽に行くための坂と考えられたためであるという。金沢文庫の修復に資金を提供した人 は尾崎紅葉の小説「金色夜叉」で貫一とお宮の中を割いたといわれる富豪の富山唯継のモデルとなった人で、尾崎紅葉はあやまてるイメージを作ってしまったこ とになる。

称名寺の仁王門近くに縄文時代の後期を主体とする称名寺貝塚がある。標高7〜8メートルの一種の砂丘上に8か所の小貝塚が点在する。これらは全体としてみ ると、径約70メートルの範囲に半円状に分布しており、いわゆる馬蹄形(ばていけい)貝塚に近い状態を示している。山門を 入ってすぐ右側にあるA貝塚は、後期初頭の称名寺式土器が最初に発掘された所である。南に位置するのがB貝塚であり、多数の鹿角(ろっか く)製漁労具が出土している。北方にあるのがD貝塚である。ここからは12体以上の埋葬人骨が発見されており、貝塚集落の墓地の一角をな すものと考えられる。

称名寺は世界遺産登録 をめざしている国指定史跡の 一つである。

黒文字は世界遺産登録をめざしている国指定史跡

April 18, 2007

Rev. December 25, 2015


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