丹沢

冬の塔ノ岳

2009

2009年3月26日Wakwakグループは二股分岐から塔ノ岳経由、丹沢山(1,557m)に登り、三峰経由、宮ヶ瀬に下る野心的なプランで出発した。2006年1月、2008年1月といずれも雪にはばまれ た三峰制覇の雪辱戦であった。グリーンウッド氏にとって冬の丹沢は昨年についで4回目である。 今年は雪がなかったので楽勝と思っていたのだが、前日寒冷前線通過とともに雪が降って阻まれた。

2009年3月26日

8:00渋沢駅に集合であったが、そそっかしいグリーンウッド氏は集合時間を8:40と勘違いして20分遅れる。タクシーで二股分岐(標高500m)手前のゲートまでゆき、そこから二股まで歩く。二股からは三つのルートがあるが、今回は真ん中の大丸(おおまる)と小丸の間にある二股分岐に向かう尾根を登る。

二股分岐→(暗緑色)→大丸→塔ノ岳→(紺色)→大倉

8:50登頂開始、途中から雪道になり、軽アイゼンを着用したが、大腿筋が引きつって歩けなくなる。しばらく休んでようやく二股分岐に12:00着。ここで昼食。今度はクリさんが同じ症状となる。ようやく塔ノ岳に到着する。安全をみて、2人は塔ノ岳の尊仏荘泊まりとした。明朝は大倉に下ることにする。携帯でみやま山荘をキャンセルする。元気な2人は丹沢山のみやま山荘に向かう。

最近は施設が古くなった尊仏山荘は敬遠され、4,000万円かけたみやま山荘泊まりが多い。当日の泊まり客は我々2名と1,500回登山を明日達成するという夫を迎えるべく、前日から宿泊している奥さんと3人であった。1,500回登山は週日だけ登り、7年間で達成したそうである。尊仏山荘に支払ったコーヒー代金は8万円とのこと。毎回飲んだら1杯400円だから60万円になる。登りは1.5時間という。我々は4時間かかるからほとんどマラソンなみである。登山靴は年に何足も履きつぶすので安いものを買うそうである。

昨年1月みかけた、1,000回登山の修行中の僧は500回で一区切りつけインドに行ったという。記念に空と書いた板を食堂に残した。住職の口がみつからず針灸で生活しているとのこと。

尊仏山荘も痛んだ外装を1,400万円かけて修理するという。そうしておいてこれを所有する県の外郭団体は民間の経営者に払い下げてコスト節減に努めるのだそうだ。

夜も10時になって80才になるご老体が登ってきた。夜行で秋田からやってきて午後1時に大倉から上り始め、9時間かかったという。尊仏山荘には予約も入れずに登ってきたのだが、途中、この名物じいさんが上り始めたのを目撃した常連から 山荘に連絡が入った。「知ってしまった以上、もし10時を過ぎて到着しなかったら探しに行かねばならない。とんだ迷惑だ」と小屋の管理人は不機嫌である。

尊仏山荘は夕食はカレーライス、朝食はおでんが定番。

夜は寒風が吹き荒れたが、満天の星空。宵の口は冬の星座、オリオンだが夜中の3時には夏のさそり座といて座に入れ替わっていた。ストーブを消した小屋は寒い、服を着て寝具に包まる。

2009年3月27日

朝、8:00出発しようとすると1,500回目の登山を達成すべく登って来た人が奥様のクラッカーの出迎えを受ける。気温は零下というのにショートパンツで汗ぐっしょりである。我々と同世代だが大腿部の発達はすごい。

1,500回登山達成を祝う夫婦 後ろは丹沢山と蛭ヶ岳

同じ場所でクラッカーを鳴らした奥様に我々の記念写真も撮影してもらう。デジカメより発色がよい。

クリさんの光学カメラで撮影

クリさんのアイゼンの歯が欠けた。零度近くで低温脆性破壊はおかしい。買って7年、一年に5,000歩としたって3.5万歩で疲労破壊はない。破面を見ると90%以上は古い面なのではじめから疵があった欠陥品と思える。

花立山荘でアイゼンをはずしていたら携帯が鳴る。三峰を目指していた二人は深雪に阻まれて断念し、我々と同じ路を引き返しているという。堀山の家で追いつかれ、一緒に大倉に下る。

山小屋の管理人は三峰は冬はすこし危険。死者もでているという。夏は山蛭でゆけたものではない。山蛭よけの毒を靴に塗る手もあるが完全ではない。そこでマーさんは11月ならどうだろうという。

鶴巻温泉の弘法の湯で汗を流し、ビールで喉を潤す。

メタボを解消しないといけないと、ビールも手控える。

March 31, 2009

Rev. August 11, 2009


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