釜山・巨済(コチェ)

2011年2月17-18日、韓国の巨済島にある造船所視察と講演のために成田から釜山に飛んだ。鎌倉から成田まで3時 間、成田から釜山まで2時間、合計5時間かかった。2年ぶりの海外旅行でうっかりパスポートが必要なことも失念するところであった。

釜山は始めてであった。雨が降って雲が垂れ、予定されていた巨済島へのヘリによるフライトはキャンセルされた。代わりに ベンツのコピーのような黒塗りのリムジンで陸路巨済島に向かう。2年前に斜張橋が完成したとかで造船所のゲストハウスまで高速道路でノンストップ。釜山も 巨済島も山が海に迫り、瀬戸内海のような風光明媚なところだ。深い入江は鎮海湾と呼ばれ、バルチック艦隊を破った東郷艦隊の旗艦三笠が出 撃前に隠れていたところだ。韓国南部海岸は多島海であることを再認識。対馬海流が洗っているので海水の透明度が高く 、きれいだ。対馬は九州より釜山に近いことに気がつく。

旅の目的は世界初といわれるオーストラリア西海岸沖450kmの海底ガス田向けのLNG-FPSOの設計の相談にのるた めであった。天然ガス開発もいよいよ終りの始まりに差し掛かった証のようなプロジェクトだ。事故が発生すれば人もプラントも一挙に失うため、安全確保が最 重要点となる。設計要員30名ほどに初歩知識を授けたが、設計要員の1/3程度はLNGプラントの運転経験のあるインドや中東のエンジニア達であった。彼 らは聡明であることに加え、運転経験があるだけ飲み込みは早い。日本の造船業が全て韓国に敗退したにもかかわらず日本のエンジニアリング会社はまだ頑張っ ている。その理由は建設労務者は建設国の労務者を使うことに徹したからである。だから韓国のエンジニアリング会社に参入を許さずに渡り合えたのである。だ がその韓国の造船会社は設計要員すらインド・中近東の人材を使って行おうとしている。これは日本のエンジニアリング会社にとって脅威となろう。 北朝鮮が崩壊すれば安い労働力が容易に確保できるようになり、ますますその競争力は高まる。

造船所視察は日本語の通訳付きでPR館と工場を見学した。2010年メキシコ湾で燃えて沈んだBPの掘削船は現代造船製だという。しかしここでも掘削船を 沢山建造している。18,000個のコンテナーを積めるコンテナー船やドリル・シップで活況を呈していた。この他にもLNG船、フェリー、セミサブマーシ ブル・リグ、プラットフォーム、FPSOなどを建造している。豪華客船も受注したという。労務者約3万人、日本などから輸入する使用鋼材100万トンとい う。船の上部構造物は中国で建造してここに持ち込み 、800トンのゴリアテという門型クレーンがドックの上を走行して完成させるという。ゴリアテは旧約聖書にでてくるサムソンと敵ペリシテ人の女デリラ、ダ ビデとペリシテ人の無敵の戦士ゴリアテとの戦いに由来するという。

造船所全景

韓国の造船会社が1社で100万トンという鋼材を日本から購入して付加価値の高い、コンテナ船やドリルシップをつくって世界に高く売りつけているのをみる と、日本が償却済みの装置産業である鉄鋼・化学など素材産業だけを後生大事に残し、高賃金ゆえに組み立て加工産業から撤退し、国内の労働市場を壊滅させた のは戦略ミスと感ずる。外国人労働者を導入しても維持すべき産業ではなかったかとの気がする。MHIにしろ、IHIにしろかっての東京や横浜の造船所の跡 地には高層ビルが建ち並び、製造業は大家さんとなって家賃を稼ぐ ご隠居に成り果てている。しかしすでに若者の職場は失われて久しい。職場がなければ海外に出かせぎしなければならなくなるだろうし、国内の消費は落ち込 み、ますますデフレになる。国内の償却済み装置産業の装置が寿命を迎えても 、もうそれを更新する体力を失うのは時間の問題ではないか。 組み立て産業で最後まで頑張った自動車産業も風前のともしび。もし装置産業が老朽化する装置を更新する意欲を失い、組み立て産業が海外に生産拠点を移せ ば、これに原発の電力を供給していた電力会社も顧客を失う。

さてこの月始めに宮古島に 飛んだときは羽田の新設なった沖合い滑走路からであった。宮古島まで4時間ですんだ。釜山までの距離は宮古島の半分というのに時間が余計かかるのは成田が 鎌倉から遠いからである。最近、日本人が引きこもりがちなのも成田の影響は大きいのかもしれないと思う。まさに「亡国の空港」である。

なんで「亡国の空港」を作ってしまったのだろうか?国が成田に空港をと言い出した時、私はなぜ、羽田を拡張しないのかと疑問に思った。そのとき、東京湾の 漁業権は殆ど沿岸の工場に買い取られていてもはや漁業は成立しておらず、埋め立ては不可能ではなかった。米軍横田基地との空域に問題ありとのことだったと 思うが、それこそ対米交渉で調整可能なことである。それもせず、広大な農地を農民の反対を押し切って潰して不便な空港を強引に作った。羽田周辺の住民が騒 音に悩まされているという理由が当時表向き語られたが、沖合いに移動すれば騒音も消える。結局そのとき私が頭に描いた沖合い埋め立ての構想 は石原知事によって蘇り、羽田の拡張が完成した。船乗りは物事が分かっている。羽田周辺の住民が騒音に悩まされたというニュースは聞かない。そしてまだ羽 田には拡張の余地がある。一体成田騒動はどういうことだったのかという総括もされていない。成田B滑走路近くに1軒残った農家の裏に建つ看板に「Dawn with Narita」とあるのは妙に説得力がある。

国は成田の農地を土木工事で潰す一方で貴重な不知火の干潟を埋めたてて農地を造成し、余剰農産物を増やし、海産物を失うというへまを仕出かしている。環境 学者の警告を握りつぶしての暴走で、土木事業のための事業であることは明らかである。全国津々浦々に出現した地方空港も閑古鳥がないている。 六ヶ所村に建設した再処理プラントが稼動すれば半減期13年のトリチウム水が三陸沖にたれ流され、親潮に乗って千葉沖まで下る。そのうちに汚染魚を食わさ れるハメになるのだ。これは目的と手段が転倒した倒錯の世界である。役人にもしかし気骨のある人間はいて、我が中学のクラスメートのTは長野市役所の役人 となったが長野空港構想が持ち上がった時、一身をかけて阻止したと言っている。 でもそのような人物は希である。

日本政府はなにか対策が必要となったとき、いきなりたった一つの選択肢を出して正面突破するという手法をとる。成田も不知火も同じ手法だ。わたしはこれが 物事をこじらせ、国を誤ると思っている。我が古巣の土木屋が埋立地の土壌安定化工法(結局今の羽田の拡張工事はこれで行われた)を開発していたのでなぜ埋 め立てしないのか不思議に思ったことをいまでも覚えている。役所は唯我独尊で、そのような民間の声を聞く耳を持たない。かってエンジニアリング振興協会の とある委員会をリードしていたとき、ゼネコンの面々になぜあなた達は建設省に出向いて、首都圏周辺の車の流れを緩和するため丹沢山塊をぶち抜いて東名と中 央道を結ぶ道路建設を提案しないのかとそそのかしたことがある。彼らは「そんなことしたら役所に出入りできなくなります」と悲しそうにいう。フランスの土 建会社が怖いもの知らずで私の案とウリ二つの案を持って建設省に乗り込み提案したが、慇懃に拒否されたと聞いた。役所は政策立案は自分たちの権利だと思い こんでいるからだろうか、あるいは既定路線を変える面倒などしたくないという単なる怠け心なのか。役所 の役目は実行に限定すればよいのだ。政策立案とその立法は政治家とその政治家が持っている政策研究所がして始めてうまい政策ができるはず。民主党が自前の 政策研究所を持たないために今、役人に依存し、どうしようもなくなっていると私は思う。自民党もそのようなものをいまだ持っていない。公明党もそう。だれ が政権をとってもダメ役人のダメ政策に依存するというのが日本の悲劇だ。今日、新聞で環境庁の研究結果を読んだが何の見通しもない作文で、がっくりしてい る。

私は一時期、社命で医薬品プラントビジネス事業部の責任者であったことがある。このとき、米国の有名な製薬会社のプラント設計・建設を請け負ったことがあ る。設計案を1案だけ提出したら拒否された。少なくとも6案だせという。これが世界のマーケットで成功している彼らの流儀である。技術の世界で成功を望む ならDiversity(多様性)という概念が大切なのである。

さて「亡国の空港」と同じものがいままさに繰り返されそうであると指摘したい。すなわち「亡国の原発」である。京都議定書は人類史最大の知的汚点と言われ るものだが、政府は槌田敦教授や丸山茂徳東京工業大学教授が「温暖化が先で二酸化炭素濃度は結果である」という指摘が正しいか、IPCCの見解が正しいか も検討せず。2010年6月に民主党政権下で策定したエネルギー基本計画では発電時には二酸化炭素を出さない電源比率を2030年までに70%にするとい う目標を設定した。将来発電単価が原発より下がると期待されるPVは2030年にようやくその期待値に達するかどうかという程度である。従って当面原発は 安い。そこで将来を見通せない電力会社は、エネルギー基本計画に従うためにはどうしても原発を選定してしまう。だが2030年になれば 海外が格安で提供する家庭用PV+バッテリーでオフグリッド運用する自家発単価がグリッド価格とクロスオーバーするという事態になる。なぜなら電力は配電 網に8.4yen/kWhという余計なハンディを背負っているためだ。自業自得 ではあるが哀れな、電力企業はここで一般消費者を失うという事態を呆然と見つめる運命にあるといえよう。PV産業を育てることを怠った日本はPVの価格競 争に敗れ、これを輸出して外貨を稼ぐことができず、貿易収支は赤字に転落するだろう。まさに「亡国の原発」がそこここに出現するということが予想されるの だ。詳しくは「グ ローバル・ヒーティングの黙示録ー政策研究所・マスコミの一歩先を行く予測」をご一読あれ。

相手方の常務を夕食をとったとき、箸が韓国式にすスズの箸であることを指摘し、これこそ韓国式といったところ、昔は韓国も木製であったが木材資源保護のた めに法律で禁じたので金属製になったのだという。日本は自国の間伐材も利用せず、割り箸を無制限に使って世界の木材を浪費しているけしからん国だと文句を 言われる。中国から強い漂白剤で白くした割り箸を輸入して平気で使っている無神経さにはあきれると言われ放題。そういえば一時期、自分の箸を持ち歩くこと が提唱されたがいまは忘れ去られている。反論のしようも無く、ただただ 、御高説を聞く羽目になる。

メディアについて一言。自宅では常時CNN-TVで世界のニュースを見ている。NHKは夜のニュースと特集番組のみである。ゲストハウスでCNN-TVを 観ていて広告が違うことに気がついた。日本では怪しげな健康食品の広告が多いが、韓国では風車メーカーなど大企業のイメージ広告が多い。これは産業構造の 差によるものと思われる。日本で広告料を支払えるのは健康食品メーカーだけということだ。 大 企業は優秀な人材を確保する必要もないので企業イメージを高める広告に無駄金など使わないのだ。

PR館では船橋シミュレータで操船の体験をした。幅6mはある巨大スクリーンをにらんで操舵するのだが、かって滞在したザ・リージェン ト香港の ベイビュー室からみたなじみの 夕暮れの香港港である。船のスピードは40ノットは出ていそうな高速船である。スロットルを引けばヘッドアップになるし、波の衝撃も激しくなる。舵を切れ ば、傾くし、波をカブッテ大きく上下に揺れる。日本によくあるかったるいシミュレーターとは違い、過激である。 ザ・リージェント香港を海側から見てみようと舵を切ったが船酔いしそうになったので止めた。その途端、船が傾き揺れている思ったのは錯覚で、全て画面が動 いていただけと気がつく。金がかかっている。世界中の船のプロが船を買いにくるところだからあたりまえといえば当たり前。

ゲストハウスではチェックインすると無線LANの暗証番号をくれる。これでスマートフォンが自由に使えた。ここらへんも日本の一歩先を行くところだ。持参 したGoogle-NTTの3Gスマートフォンは国際ローミングも使えることは確認したが、無線LANでGメールが使えるので電話の必要はない。ここら辺 がGoogleの強みである。

これを読んだトヨタ系の会社に勤めていた高校の同期のKは「やっぱり化学出は、今が旬だね。釜山はカラオケの思い出しかありません。メカ屋は、当時はよかったが、 今は相手にもされません。ひょっとすると、早くこの世から消えた方がいいのかも?」と書いてきた。

6年後、世界的な船舶過剰で2017年には韓国造船3社、すなわち現代、大宇、サムスンの総受注量は17年ぶりに日本のそれを下回ったという。その理由として友人Hが上げる原因としては

1) 韓国造船業は、労賃アップ以上に技術力を向上させねばならないのにこれに失敗。技術力向上への投資を怠った。日韓の労賃レベルの差は縮小したが(1980年代始め頃の1/10位から現在は1/2〜1/3)、韓国造船会社の Offer Price は日本より未だに若干低い。が、その差は技術力(品質・契約納期の信頼性・その他)の差を考えた場合の総合競争力では日韓に差はない。つまり、韓国造船会 社の多くが超安労賃に依存する体質から抜けて切っていず、技術力向上が進んでいない。かくして、比較的高い技術を要する LNG Carriers・Bulk Carriers等の市場においては、日本勢に負けるケースが多くなった。日本の造船業界の変化も大きい。MHI等大手の会社は造船業から撤退し、名村造 船等かつては中小(従って、平均賃金が低い)と言われた会社が技術力を大きく延ばし、現在の日本造船業を担っている。

2) 韓国勢得意の超大型タンカー・自国向けLNG Carriers・Bulk Carrieの新規案件が激減し、韓国優位の市場が縮小。高級船市場では日本勢に、一般船では中国等の後進国造船会社に市場を奪われるケースが多くなった 結果、韓国勢の受注高が激減した。中国等の後進国造船会社の造船能力(設備の質・規模、設計・建造管理技術、技能者の労働生産性、等)は未だ韓国より低い が、日本の技術者等の力を借りて一般タンカー・貨物船等比較的容易な船種を建造するには十分な能力を持つに到った。

リグに関しては米国内陸のシェールオイルブームで海洋石油開発が低調になったことも影響している。

February 28, 2011

Rev. February 25, 2017


この報告書で「亡国の原発」とを書いたのがFebruary 28, 2011であった。その11日後に福島事故が発生している。いま思えば虫の知らせがあったのだとしかいえない

October 20, 2012


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