伊豆七島 大島

三原山

2009年10月21日、 グリーンウッド夫妻は藤沢市主宰の280トンの東海汽船の水中翼船セブンアイランドでの日帰り大島観光に参加した。 藤沢市がチャーターした船で江ノ島の湘南港から直接市民を大島に連れて行って1日遊ばせるという行事である。抽選に当たった藤沢市民のY夫妻に誘われての参加である。一人1.5万円もするのに人気の企画のようだ。

セブンアイランドは江ノ島港と大島間を時速80kmで1時間で結ぶ。港外に出たところで一旦停船し、飛行機の主翼のようなものを水中に下ろす。 この船は「全没翼型水中翼船」という方式でフラップで姿勢制御する。二基の7,600HPガスタービン直結ポンプで海水を噴出して推力を作り出すジェットフォイルという船である。ボーイング社製である。現在 は川崎重工が建造している。大波に突っ込んでガラスが割れた事故以来、1階の前面ガラスは塞がれている。そして乗っている間シートベルトで座席に縛り付けられたままである。一旦浮き上がると揺れは少なく快適な走行である。

湘南港の水中翼船

いつもは元町につくのだが 前日の強風の名残のうねりがあるため岡田港につく。ここは初めてのところだ。断崖の下の狭いところに港がつくられている。バスで山頂口展望台に登る。外輪山の付近は草原となっているが、ここに1998年からログハウスビルダーの平山さんが沖縄 の与那国馬の一家3頭を連れてきて子をふやして増えている。彼らのおかげで草原も維持できている。

展望台から西側の景観を楽しむ。黄砂でかすんで伊豆半島は見えない。岡田港の上の台地には空港がある。2001年に中本氏の自家用ヘリでここにきたことを思い出す。そして元町は眼下である。

大島空港

ここで三原山中央火口丘(764m)に登ってお鉢周りをするグループと裏砂漠散策グループに分かれた。我々は裏砂漠散策グループの参加だ。大島一周道路で島の東に向かう。「がくあじさい」はこの島から広がったのだという。

環境省から許可をとった 小型マイクロバスに乗り換えて島の東側の二子山にゆく枝道を登る。二子山に行く道のゲート前で下車し、徒歩で裏砂漠に向かう。 途中案内人からこの島の植生について説明を受ける。殆ど対岸にある我が家の庭の植生と同じである。アシタバは島ではチンタチグサというそうだ。サネトモユリは利島で品種改良されてカサブランカになったという。

二子山山頂には航空機向け標識電波発信のビーコン基地があるため立ち入り禁止地域だ。このマーカーがあるため全ての航空機は大島上空を飛んでいる。

ビーコン基地

外輪山である白石山と櫛型山の中間にある鞍部に到達する。ここから西側のカルデラを覗いた。中央火口丘の上には先ほど分かれたグループがお鉢めぐりをしているのが見える。

外輪山の白石山(左手)と櫛形山(右手)の間の鞍部から三原山のカルデラと中央火口丘を望む

反対の東側が裏砂漠である。 この砂漠は日本最大の砂漠とか。昔は真っ白だったが23年前の噴火で黒色の火山灰に覆われて黒くなったという。この砂漠の窪地に帰りのマイクロバスが待っている。草が生えないのは亜硫酸ガスによる。偏西風の影響で砂漠は三原山の東斜面に広がっている。その領域は下の グーグル地形図を航空写真に切り替えればみることができる。

東側の裏砂漠

木星号遭難の記念碑が鞍部の白石山側にあった。木星号はJALが委託した羽田発のノースウエストのプロペラ双発機である。遭難は 戦後7年目の1952年の朝鮮動乱の最中に発生した、当時管制をしていた米軍は交信記録を公表せず。スチュアート機長のミスというのが公式の報告である。しかし米軍は 浜松方面で発見との偽情報を出して1日の余裕を作り出し、証拠となる右主翼の機関銃の弾痕のある補助翼タブを持ち去っている。米軍がボイスレコーダの交信記録を一切出さなかったにもかかわらず、羽田とジョンソン基地の管制官の交信記録の一部がノースウエスト側から漏れている ことから推察できたようだ。

Intec JapanのElectric Journalによれば上空で訓練飛行をしていた空軍との衝突を避けるためにジョンソン基地の管制官の指示で三原山より低い低空を飛び続け 島の南端の差木地上空を掠める予定であった。しかし米軍機パイロットが遊びにした機銃掃射で、補助翼タブを損傷しパイロットの意思にそむいて右旋回して三原山の外輪山、白石山中腹に激突したというのが真相のようだ。

裏砂漠で発見された木星号の残骸

松本清張がこの疑惑に取り組んだ。山崎豊子氏は同じような証拠隠滅のうたがいありと『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』としてJAL123号墜落事件を取り上げている。そのほかにもJAL123便の垂直尾翼に三菱重工製の地対艦誘導弾(Surface to ship missile SSM-1)の訓練標的機ファイヤー・ビー(無人のリモコン操縦)がぶつかったという仮説もある。事故調査委員会の急減圧説は説得力があったがこれが原因ではなく結果かもしれず、なぞは残る。

 
大きな地図で見る

あんこ達に見送られ、3:30には江ノ島についていた。

あんこさんのお見送り

October 22, 2009


トップページへ