蔵王

船形山・蔵王山

2010年10月20-22日、wakwak山歩会は紅葉で最高に輝き渡る東北随一の人気の山である船形山(ふながたやま二 百名山 1,500m) と蔵王山(百名山 1,841m)に登った。足に故障のあるマーさんは下山に蔵王ロープウェイ利用を織り込んだ。

第1日目

JR仙台駅西口バス停2番に15時40分集合。宮交バス大衡(おおひら)村 役場行15:50発、16:31吉岡着。 村の中に大和(たいわ)町がありその吉岡に村役場があるというからややこしい。大和のビジネスホテル「大和(たいわ)パークホテル」泊。(Hotel Serial No.488)

大衡村には第二仙台北部中核工業団と陸上自衛隊第6戦車大隊の駐屯地があり、村とはいえないところである。 大衡村の西には七ッ森という小高い山が沢山あり、船形山はその陰に隠れている。

第2日目

6:40吉岡タクシーでホテル出発。イチがアンドロイド携帯のアラームのセットを週末にしていたため、鳴らず、寝過ごし、10分遅れの出発となった。車の なかでおむすび2個の朝食とする。あわてたためカップヌードルとサラダをホテルに置き忘れた。いずれにせよ湯がないので意味がない。

緩やかなアンジュレーションのある広大な水田の中をひた走る。山形側からは見えるそうだが宮城側からは船形山は前山に隠れてみえない。その姿は1997年10 月に松島からの帰路、疾走するバイクから白銀の姿をチラッと見ただけである。山頂が船底をひっくり返したような形をしていた。

 
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続日本紀元明紀にでてくる色麻柵で有名な色麻(しかま)町から保野川沿いに山に分け入る。色麻柵は当時、東 北辺境開拓のために、城柵の設けに守られながら開拓に従事した武装開拓移民が開発した土地だ。 ここから古川にかけての広大な水田は伊達藩の豊かさのもととなったところかなと思う。水田は戦後の土地改良がゆきとどいて大型になっている。しかしいまで は休耕田では牧草栽培をしている。刈って干した牧草を集めて円筒形の梱(こり baileにし、プラスチック・フィルムでくるんである。牧草収穫機械には邪魔になるだろうと思うが、補助金目 当てか畦は維持している。農政がもたらしたゆがみだ。

海抜200mの地点で高さ50mの立派なロックフィルダムが目に入る。一般地図には記載ない。グーグル地図には保野川(ほ のかわ)ダムと記載 がある。灌漑用にしては降水域が狭い。不思議なダムだと思ってしらべる。王城 寺原演習場周辺障害防止対策事業として建設されたらしい。王城寺原演習場の迷惑料ということか 。それにしても灌漑に役だっているのかしら。漏水などがあり地震による決壊の危惧もあるらしい。色麻町は受益者負担としてのダム機器の維持管理費にあえい でいる。日本でいままでに完成した大ダムは2,749個あり、そのうち農業用ダムおよび農業関連ダムは2,081個を数え、大ダムのおよそ76% を占めているという。いずれどこかでロックフィルダムの決壊はあるのだろう。

水田が終わる頃、森に入る。いまだに杉の植林をしている。密植だ。だれが間伐するのだろうといぶかる。人々は一つ覚えのことを黙々と繰り返すようだ。運転 手はGPSを持っているが道に迷い、分岐毎に停車して思案する。未舗装の狭い林道に分け入るが荒れているため、車体が石などにふれて不気味な音を立てる。 1998年国有林野事業特会の累積赤字が3.8兆円になって、改革したため、林道維持予算不足なのだろう。 大滝キャンプ場(1,050m)には予定より1時間遅れの8:30に到着。

運転手はまた迎えに来るのは大変なのでここで待つという。 標高差450mの往復なので登り2時間、下り1.5時間の合計3.5時間で山頂往復できる計算だ。ちょうど12時には帰れる。マーは12時までの往復は無 理なのでやはり待つという。コンチャンと2人ででかけた。今年はクマが多いというので鈴は無論のこと、アメリカ製のペッパー・スプレーをいつでも噴射でき るように腰につける。9m以内で有効だ。

大滝キャンプ場界隈はブナの林で紅葉が美しい。コースそのものは優しいのだが、上るにしたがい、 笹の葉についた露で肩までぬれる。レインコートを着用すればよかったと思う。山頂は長い稜線の端にある。かって目視した船形山の台形の姿から納得。山頂で は深い霧で何も見えず。記念撮影しただけですぐ下る。GPSの5万分の1の地図の登山ルートはかなりいい加減で、実ルートと一致しない。山頂で携帯をテス トする 。電波は検出するがマーの携帯にかけると「電源が入っていない」という。あとでマーの聞くとかれも2回電話したが同じだったという。ただ不思議なのは日本 では使われていないインスタント・メッセージがマーの電話番号で2度受信していた。返信メッセージも入力できるが送信はできない。

船形山山頂にて

山頂には立派な避難小屋があった。当日会った登山者は我々含め3パーティー6名であった。下りで前船形山の優美な姿が目に入った。大滝キャンプ場には10 分ほど遅れて帰還。タクシーで大衡村役場に戻っても高速バスに間に合わないため、更に脚を伸ばして泉地下鉄駅まで運んでもらう。

泉駅周辺は立派になっていた。コンチャンがこの駅ビルは彼が奉職した千代田生命が建ててリースしていいたものだという。イギリスで始まったプライベート・ ファイナンス・イニシアティブ(PFI)方式だろう。地下鉄で仙台駅まで移動。仙台駅発遠刈田(とうかった)温 泉行宮交バス(高速)で遠刈田(とおかった)温泉に移動。 途中蔵の町を標榜する蔵王町を通過する。真田幸村の娘がここの城主の奥方になったというゆかりの地のようだ。「あづまや旅館」泊(Hotel Serial No.489)ここ旅館は古い建物で客は我々だけだった。

第3日目

今日も霧がかかっている。タクシーで大黒天(1,450m)に登る。ここから刈田(かった)岳(1,758m) までゆるやかな尾根を登る。標高差308m。右手に御釜が見えるはずだが、霧のため何も見えない。刈田岳で刈田巌神社におまいりして記念撮影。

刈田岳山頂にて

馬の背を熊野岳に向かう。濃霧で道に迷わぬようにGPSを使ったが、何のことはない木柱が一列に並んでいるためこれに従えばよい。途中一瞬霧が晴れ豪快な 馬の背が目前に広がるが、御釜までは見えず。

熊野岳山腹より馬の背を振り返る

熊野岳(1,841m)は蔵王の最高峰だ。山頂はサッカー場がいくつも出来るほどのだだっ広いところだ。ここで記念撮影。

熊野岳山頂にて

熊野岳よりワサ小屋跡に向かい下って下る。ここでも霧が一瞬晴れて地蔵山が見える。

地蔵山

鞍部でカップラーメンの昼食とする。少し登り返すと地蔵山の裏手に蔵王ロープウェイの地蔵岳山頂駅(1,660m)が見えてくる。ここで青い空が少し顔を 出す。

ロープウェイで 蔵王温泉に下る。50年前の学生の頃、学んだスキー場がどこであったのか探すが分からない。多分、上ノ台ゲレンデ、ブナ平、鳥兜山などの名を覚えているの でそれなのだろうが遠すぎる。

仕事のため早く帰りたいと温泉はパスして山形交通のバスターミナルに向かい13:20のバスに乗った。しかしバスが満員で山形市内に入ってから各駅停車と なり、結局15:06の新幹線には乗り遅れ、温泉満喫組みと一緒に帰るはめになった。

2007年に バイクで蔵王温泉一泊した宿がどこにあったか分からない。帰って調べると「わかま つや」は蔵王ロープウェイ下駅から山形交通のバスターミナルに向かうとき右手にあった大きなホテルであった。

October 27, 2010

Rev. October 31, 2010


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