上信越

苗場山

2004年10月、wakwak山歩会は信濃と越後の国境にある苗場山(2,145m)にアタックした。百名山の一つである。 山頂が平で火山にはみえないが火山だという。広大な湿原の山頂部は池塘が点在し、お花畑が広がる。 江戸時代の越後の文人、鈴木牧之(ぼくし)の 「北越雪譜」にも越後の名山と讃えられている。台風23号の影響で山小屋最終日泊の登山となった。グリーンウッド氏は軽井沢から上信越自動車道と千曲川に そう117号線と405号線で秋山郷に入った。他のメンバーは関越道経由、秋山郷の小赤沢に入り、事前調査と赤茶色の湯が特徴の「楽養館」温泉を楽しん だ。山頂小屋では新潟中越地震の震度6強のゆれに驚くことになる。

第1日

台風23号一過の晴天の下で終日ゴルフをし、ジープで小諸高原ゴルフコースを出発できたのが午後5:00。日没直後のことであった。小諸ICから豊田飯山 ICまでは通いなれた上信越自動車道で約1時間。117号線は飯山市外をさけて千曲川の土手道を走る。夜目に黒々と見える高社山を右手にかわすと木島平の 傾斜みあると思しき家々の光が美しい。野沢温泉入口を過ぎると、真っ暗な山間部に入る。車の数もグンと減り、高速走行が可能となる。

20年近く前、長岡市近くの腰路町の丘の上にある天然ガスプラントの試運転指揮のため、117号線を車でたどったときにくらべ、道路は格段に改良されたと感じた。千曲川の左岸と右岸を交互にただひたすら走る。県境を越え、かなり大きな中津川の橋を渡ると意外に大きな津南町にはいる。長らく真っ暗な山道を来た眼には驚きだ。

苗場山へのアクセスルート (緑色)

秋山郷に入るため、右折して中津川に沿う405号線に入る。山間部に入ると雨も降り出し、路は狭くなる。幸い対向車は1台も来ない。ついに個人の家に入ると見まごうような細い路を20km走ってようやく小赤沢に到着。夜目にはまわりはほとんど見えないが、途中の 「へいけ茶屋」前の渓谷の岸壁は迫力あった。地図をみると秋山郷には天明と天保の飢饉で廃村となった村が三つある。

「北越雪譜」を書いた鈴木牧之が逗留したという旧家を改造した苗場荘(Hotel Serial No.295)はすぐ見つかった。ここで全員合流。キノコ汁の夕食は美味であった。

第2日

朝眼が覚めると雨である。TVの天気予報をみれば午後には雨が上がり、明日は晴天という。9:00まで様子をみて完全装備で登山を決意。3合目まで2台の 車で移動。ここから山頂までの標高差は820mである。広い駐車場に駐車して尾根を登り始める。ブナ林が針葉樹に変るころ、尾根は痩せて北側はガレていた がドライであった。尾根上部は平坦になり、ほとんど沼の中を歩くはめになる。やがてダケカンバになる地点から坪場に向かい急斜面をトラバースしながら登 る。ところどころの急斜面には簡易鎖が用意されていた。登りには必要ないが下りには便利だろう。 坪庭に達してしまえば、ほとんど平坦で広大な山頂である。

小赤沢上空から苗場山と登山路を鳥瞰

上の苗場山の鳥瞰図は杉本智彦氏開発のカシミール3Dと国土地理院の数値地図25000(地図画像)と数値地図50m(標高)を使い、ベースキャンプとした海抜762mの小赤沢の苗場荘上空2,138m(海抜2,900)より俯瞰したものである。この3D地形図上に登山ルートを青色で、写真撮影した地点をPoint A-Fと朱色で表示した。 登山開始点とした小赤沢3合目(1,320m)の駐車場は狭い尾根が、少し平坦になったところにあるのがわかる。

次第に気温が下がり、樹木には樹氷がついている。頂上は雪が降っていると下山者が教えてくれる。坪場に出ると途端に池塘が点在する草原となる。風が冷たい。木道をしばらく歩き オオシラビソ樹林帯の中の岩だらけの道を難儀しながら進むと再び池塘が点在する草原になり、栄村村営の苗場山頂ヒュッテ(Hotel Serial No.296)が見えてくる。ヒュッテには荷も置かず、裏手の山頂に向かう。苗場山山頂の最高地点には遊仙閣がオオシラビソの林に囲まれていて視界はゼロ。 見えなかった風景をカシミール3Dで地上2mの視点で作成された360度パノラマで紹介する。

ここで記念撮影。ミゾレの降る中で 、遊仙閣の近くにテント張り作業中の夫婦を見た。

苗場山山頂にて(撮影Point A

苗場山頂ヒュッテの最終営業日を記念した1缶のサービスビールを味わって 夕食を待って寛いでいると突然強い地震に見舞われる。食堂の壁に掛けられた山岳写真の額が大きく揺れる。幸いまだ新しい山小屋のため、倒壊の危険はなさそ うだ。テレビの速報によれば長岡近辺が震源で震度6強 (後日、川口町で7であったことが判明)、マグニチュード6.8とのこと。苗場山からは60kmの至近距離だ。 震度5強はあったのではないか。(後日そのとおりと確認)3合目の駐車場に落石との報が入るが、これは翌朝の1番乗りの登山者より、駐車場より1キロ下の 林道が落石で通行不能になったと判明することになる。彼は前夜駐車場で車中泊したそうである。登山路は無傷であるという。我々は車ごとこの山に閉じ込めら れた ことに変りはない。ブルドーザーの作業を要請したとのことであるが、いつ復旧するかは不明。最悪、車を山中に残して徒歩下山の覚悟をきめる。auも docomoの携帯も 不通。それにしても震度5強の余震が2度も繰り返し、消灯後もゆれ続けた。

第3日

ミゾレは夜半に止み、快晴。

御来光、平標山/仙ノ倉山上へ昇る(撮影Point B

朝食前、御来光を撮影。太陽はちょうど平標山 と仙ノ倉山の上に上る。霧氷が朝日に輝いて幻想的。 平標山の左手遠方に燧ヶ岳(ひうちがたけ)が高く、手前低く 、谷川岳のトマの耳が見える。平標山の右手には赤 城山が大きく見え、その手前のスロープ上に沼田市の光が見えた。

早朝の赤湯方面の池塘 (撮影Point C

早く下山してもブルドーザー作業に時間がかかるかもしれないと考え、下山に先立ち、池塘が多い赤湯方面の山頂縁まで散策することにする。雪の積もった木道で転倒しないように注意して歩く。雪と霧氷を被った草原と氷が張った池塘を堪能する。

苗場山頂ヒュッテ南側撮影Point D)からの、岩菅山と池塘

苗場山頂ヒュッテまで戻ると気温が上昇し、暑くなったので股引をステテコに着替える。池塘の向うに岩菅山(2,295m)とその左手前の烏帽子岳(えぼしだけ、2,230m)の東面の崖が迫力をもってそびえている。岩菅山 の右手下に奥志賀の焼額山(やけびたいやま)のスキーゲレンデが見え、その遠方には奥穂高岳と槍ヶ岳が見える。

苗場山頂ヒュッテ西奥展望台(撮影Point E)からの鳥甲山と手前の檜ノ塔

山頂の散策に先立ち、 苗場山ヒュッテ西奥展望台から苗場山の西側にある鳥甲山(とりかぶとやま、2,038m)のとがった山容をみた。鳥甲山の手前にテーブルマウンテン状の檜ノ塔、そしてその手前に坪庭近くの高みが見える。右手奥には妙高と冠雪した火打山、そして遠方に白くなった白馬岳 、そして順次南に唐松岳、五龍岳、劒岳、鹿島槍ヶ岳、立山が見える。

上の2つの写真は地上約2mの視点で撮影しているので苗場山頂の南端をみることができない。鳥甲山もヒュッテの南側からは背後の高みに遮られて見えない。 そこで苗場山地表100mの地点にヘリでホバリングするとどう見えるか 、カシミール3Dで作図してみた。 視野に苗場山頂ヒュッテならびに遊仙閣が入るように後退して撮影した。

苗場山頂の鳥瞰

100m上空では手前の地面の下にかくれていた大岩山が岩菅山の手前に姿を現す。帰路、切明から鳥甲山に少し登ったところで見た迫力ある崖はこの大岩山の向う側にある。苗場山の 南に向かって傾斜している平坦な山頂は大岩山が作る南西の縁まで続いていることがわかる。 その右手、鳥甲山も姿を現し、その手前にテーブルマウンテン状の檜ノ塔が見える。その手前のピラミッド状の小山が坪庭の西にある 標高2,036mの高みである。黒い文字は平面地図に書いてある標高の数値が地形でゆがめられてみえているわけである。その手前に坪庭の池塘群が見える。灰色の点線は我々が歩いた 道で2.5万分の一の地図に描いてある登山道である。坪庭の池塘群のなかをつっきって右にまわりこみ、急斜面を下って 右手の小赤沢に降りている。帰路、霧氷が解けて我々をぬらしたオオシラビソ樹林帯を貫通する登山道は100mの高度からでは斜面のアンジュレーションにかくれてみえない。 苗場山頂ヒュッテの向側に「苗場山頂ヒュッテ」の「テ」が見える。遊仙閣の右上には地図上に書かれた標高2145.3mの「.3」がみえる。

ヒュッテから少し下ると苗場山頂の池塘群を見渡せるスポットを通過する。その向う中央に佐武流山(さぶるやま、2,192m) や赤倉山(1,938m)が見える。そしてその右手遠方には噴煙を上げる浅間山が見える。上のパノラマ図によれば、赤倉山の少し左上に富士山、写真の左端 には雲取山が遠望できるはずであるが、浅間の噴煙と望遠鏡がないため確認はできなかった。見えるのは年間4日位だそうである。

手前は苗場山頂の池塘群、向う中央は佐武流山、その遠方右手は浅間山、左手前は赤倉山(撮影Point F

坪庭からの急坂は鎖を使って難なく下る。途中行き逢った、3番目の登山者から林道は落石がブルドーザーで片付けられ、開通したことを知る。メデタシ、メデタシ。 苗場山の地質は、第四紀安山岩が基質で、基質の上に火山灰が厚く堆積しているという。安山岩のためか、中越地震でも登山道に変化はなかった。林道建設のため、切削して不安定になった 斜面の岩石が崩落しただけである。震源地の表土は知らないが、震源地周辺にはグリーンタフがあり、これは地すべりしやすい地質と言われているので、あるいは今回の地すべりと関係あるのかもしれない。

小赤沢で山菜ウドンの昼食をとり、中津川渓谷最奥部の切明に移動。ここの碓川閣 (Hot spring Serial No.202)で汗を流す。碓川閣では会津若松で味を知ったソバガキをつくるためのソバ粉を仕入れる。

雑魚川林道に崩落した土砂も処置され開通したとのことで、ここから雑魚川林道で奥志賀に抜ける。林道から見る大岩山(1,947m)の巨大な崖や鳥甲山の南面の崖は迫力満点であった。 大岩山は苗場山の山頂が緩やかなスロープで下がり、そこから急に中津川に落ち込む崖を大岩山と呼んでいるようだ。

奥志賀の水を集めて中津川に流れ込む雑魚川は水量も豊富な渓流であった。奥志賀の白樺林は優しい。苗場山から遠望した焼額山のスキーゲレンデの前を通過して発哺温泉経由、渋・湯田中温泉郷に下った。後は上信越自動車道の渋川SAで夕食、関越の嵐山SAで休憩をとった後はノンストップで 八王子と16号線経由で11:00に無事帰宅。

スケジュールとパーフォーマンス

日付

場所 予定時刻 実時刻 歩数 毎時高度差(m/h) 毎時歩数

第1日目10月 22 日、金

小赤沢の苗場荘

夕刻

20:00集合 - - -
第2日目10月 23 日、土 苗場荘(762m)

7:00発

9:00発

-

- -

-

小赤沢3合目(1,320m) 8:00発 10:00発

0

- -

-

苗場山頂ヒュッテ(2,140m) 13:10着 15:30着 7,100

150

1,290

第3日目10月 24 日、日 苗場山頂ヒュッテより赤湯方面散策

-

7:25発 7,100 - -

-

苗場山頂ヒュッテより小赤沢方面へ下山(2,140m) 8:00発 9:30発 9,500 - -

-

小赤沢3合目(1,320m) 12:00着 13:15着 20,100

220

2,830

今回は登山路が悪路であったこととメンバーの加齢ならびに時間的余裕があったため、wakwak歴史でも最遅速のペースであった。

装備

山行装備:ストック2、雨具、スパッツ、軽アイゼン、膝サポーター、寒さ対策としてスエータとズボン下、懐中電灯、着替え2着、洗面用具タオル。

食糧

食糧:羊羹、コーヒードリンク、ビタミンCドロップ、水1.5リッター、非常食

November 3, 2004

Rev. April 16, 2016


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