旅行第四日目、アムステルダム中央駅から鉄道で約30分のライデン市に降り立つ。駅舎は旧式のいカマボコスタイルではなく、完全に近代的な構造だ。駅舎にはよくハトや人懐こいイエスズメも居るが、ここの大きな屋根の下にツグミらしき小鳥が住み着いている。
ライデン市を訪れたのはグリーンウッド夫人がシーボルトが 持ち帰った日本の文物と植物を見たいという希望をかなえるのが目的である。ロシア人の学者らしき人と開館時間の午前10時まで待って国立民俗学博物館に入 る。ここでシーボルトが持ち帰ったという小物を見る。アジア・オセアニア、南米などの民俗学的収集物と一緒の展示なので、日本に関してはたいしたものでは ない。
多少の失望感を持ちながら参観していると図書室の閲覧室にデルのパソコンが4台ほど置いある。米国では通常これらはイン ターネットに接続してあり、無料で使用できるのでのでためしにグリーンウッド氏のHPのURLを入力してみると、日本語でちゃんと表示されることがわかっ た。このようなところで自分のHPを見るのははずかしいおもいもする。それではとアサヒネットのHPを呼び出し、出発後、メールの受信はできるが、返信で きない問題解決のための設定法を調べた。
国立民俗学博物館をでてからはブット風車経由、旧ライン川を跳ね橋で渡り、ライデン大学の植物園に向かう。空模様は今にも降り出しそうであったが、遂に小雨になる。
ライデン市を流れる旧ライン川とプット風車
ライデン大学の植物園にはシーボルトが持ち帰ったという各種の日本の植物が生存していた。トチノキなどは日本でも見られないほどの大木になっていた。ここでシーボルトが持ち帰った植物資料などのCD-ROM資料を買った。80ユーロもしたので、高すぎると思ったが、帰国して内容をチェックするとぼう大な資料が入っていた。専門家には貴重な資料なのであろう。
シーボルトが持ち帰ったトチノキ(ライデン大学植物園)
ライン河上に浮かぶバージ船レストランで昼食をとった後はライデンの風車博物館にも立ち寄らず、ライデン駅からスキポー ル空港経由アムステルダム中央駅にもどり、今でも観光目的で稼動させているというザーンセ・スカンスの風車群を見に行くことにする。列車は北海運河の下を トンネルでくぐり、北上する。列車で20分の距離である。運河周辺の工場地帯には近代的な大型風力発電機が多数設置されている。コーフ・ザーンディック駅 からは徒歩でココア工場や住宅地の間を歩いて行くとやがて北海運河に連なるザーン川を渡る橋に出る。ここからザーン川対岸沿いに何基もの風車が並んで廻っ ているのが見えた。ザーン川の対岸の干拓地はザーン川の水位より1メートルは低い。この干拓地の中に緑色に塗られた民家が集落を作っていてオトギの国のよ うだ。干拓地には羊や牛などか飼われている。条理をなす排水溝が区画放牧柵の役目を果たしている。この排水溝の二重の機能はオランダ全土共通の約束事に なっている。
デ・ズーケル風車のプラットホーム上からみたデ・プレーンブルフ風車とデ・ハウスマン風車とザーン川
ここの風車は干拓地の排水用ではない。見学したデ・ズッカー風車は搾油風車として1676年に建設されたものだが、蒸気 機関の出現とともにつかわれなくなり放置されていた。ザーンダイク市が買い取り、現在位置に移設し、修理して観光用搾油風車として昔通り再現運転している ものという。カーンカーンという甲高い音が聞こえてくる。風車は羽の付いた頭部を風向きウインチを使って人力で風上に向けて調節する上部回転式だ。風車の 木枠には帆布が張ってある。風車の横軸の回転力が木製の木製の歯車から縦軸のディスクフイールに伝わる仕組みはスペインの風車と 同じ。風車を止める時は歯車の周りに設置してあるブレーキをレバーを引いて締め付けるのだという。内部に入ると石の円盤の上を2個の大きな車輪がグルグル と円を描いて廻って、ピーナツを磨り潰している。これを碾臼(ひきうす)という。磨り潰したピーナツをウール製の袋に入れ、木製のクサビにはさみ、このク サビを木製の木製の杵(きね)で何度も叩いてピーナツ油の搾油作業を行なっていた。杵の衝撃でクサビが打ち込まれ、250気圧の圧力が生じるという。杵の 衝撃音がカーンカーンという甲高い音だったのだ。衝撃音で風車番は難聴になったという。絞り粕は熱処理した後、2度打ちをして搾油効率を上げていた。理に かなったやりかただが、全て木製のメカニズムで作ったところがすごい。隣のデ・プレーンブルフ風車は染料を作っているとのこと。このほか、製粉、製材、パ ルプ製造目的の風車もある。くわしくはザーン地方風車協会のHPを参照願いたい。(Theme Park Serial No.193)干拓地内に作られた観光用の木靴工場やチーズ工場を見た後、小雨の中、帰路につく。
ロッテルダムの東にあるキンデルダイクの19基の風車群は遠いので訪問しなかった。この風車は水車を回す干拓地の排水目 的に設置されたものだそうで、第二次大戦当時ドイツに占領されたとき、燃料不足で電力が止まったときに、大活躍したという。 新旧マース河にはさまれた三角州の水をマース河にくみ出すように配置されている。観光用に動かしているそうだ。大航海時代には船建造用の板を製材するため に400基の風車が稼動したという。6枚位の鋸を板の厚さ間隔で並べて上下に往復運動させ1本の丸太を1時間で板にすることができたという。
2003/10/10
Rev. August 8, 2013