ハーグ市、スヘフェニンゲン、デルフト市

旅行第二日目、アムステルダム中央駅から鉄道でスキポール空港経由で約50分のハーグ市のNS中央駅に降り立つ。スキポール空港付近は17世紀のアムステルダムではなく、近代的なビルの立ち並ぶ都市だ。ソニーやホーヤ・ガラスの文字が散見される。それにしてもオランダには日本製の自動車が少ない。ほとんどドイツ製だ。

さて九州のハウステンボスの名前はハーグ中央駅の前にあるハーグス・ボス庭園の中にある女王の居城、ハウステンボスに由来する。女王の現役の居城のため、中には入れない。

駅前広場を左に左折して国会であるビネンホフに向かう。ビネンホフに隣接してマウリッツハウス美術館がある。ここでお目当てのフェルメールの「デルフトの眺望」、「青いターバンの少女」を鑑賞する。「デルフトの眺望」はたまたま朝日が当たっていて写真でみるくすんだ色ではなく、息を呑むような空の色に驚く。係官が気がつき、ブラインドを閉めたので写真でみる黄色っぽい、いつもの色に代わり、がっかりした。「青いターバンの少女」は意外に小さな絵だ。「デルフトの眺望」の雨上がりの空の青、「青いターバンの少女」のターバンの青はアフガニスタン産の石、ラピス・ラズリ を砕いて粉にして亜麻仁油を加えたウルトラ・マリン・ブルーという絵の具を使っていたとわかっている。ザーンセ・スカンス村にある風車では今でも鉱物を粉砕して絵の具を作っているが、ラピス・ラズリは高価なため、風車は使わず人手で突いて粉にしている。フェルメールは「デルフトの眺望」の生垣の緑すらウルトラ・マリン・ブルーと黄色の絵の具だけで描いたという。そしてレンガの建物を描く時、砂を絵の具に混ぜ、表面を紙やすりのように仕上げ、質感をさしているという。プルーストは世界で一番美しいと絶賛したそうだが、そのとおり。ここでレンブラントの出世作「デュルブ博士の解剖学講義」を見れるとはおもわなかった。

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ビネンホフ

女王が執務を行なう、ノールダインテ宮殿前を通り、米国の富豪カーネギーの寄付で作ったという平和宮まで歩く。今は国際司法裁判所になっている。ここからは8番の市電に乗り、北海に面した保養地スフェヘニンゲンに向かう。市電に乗るときは一番前のドアを開け、運転手に行き先を告げて切符を買わねばならない。その間、市電の客は待ちぼうけであるい。クールハウスホテル前で下車。森鴎外が滞在したホテルとのこと。ここのテラスで昼食後浜を散歩する。

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スフェヘニンゲンのク−ルハウス

市電で今度はハーグHS駅に取って返し、鉄道でデルフト市に向かう。デルフトの市庁舎では結婚式が執り行われ、白いハトが放たれた。オランダでは教会とともに市庁舎で結婚式がよく行なわれる。フェルメールの「デルフトの眺望」はスキー運河の南岸から旧デルフト市を描いたとあるので、地図を調べると旧デルフト市の東側にあるスキー運河が直角に曲がる東南の角に東門があるので多分その当たりであろうとまずスキー運河の東側に渡ろうと市庁舎から東に歩いて行くとその橋が跳ね上がり結構大きな1,000トン近くありそうな貨物船がその下を通過した。

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デルフトのスキー運河にかかる跳ね橋を通過する大型貨物船

くだんの貨物船が難儀してまわった運河の角に来るとフェルメールの絵にでてくると同じ形の双塔の門があった。塔の左手の旧市街に入る運河の入口には白く塗った跳ね橋がかかっている。遠くに見える高い塔は新教会の塔であろう。他の建物は入れ替わっているが、東門、旧市街に入る運河の入口、新教会の塔の三点セットは変わっていない。運河の川幅は少し狭くなったようである。ところでこの東門は九州のハウステンボスにある双塔の門のモデルになったのではないかと思われる。

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フェルメールの「デルフトの眺望」が描かれたと推定される東門の現在の眺望

かくしてグリンウッド氏は満足してアムステルダムのホテルに帰ったのである。帰路、列車は行きに通過したスキポール空港より西側のハーレム市を通過した。ニューヨークのハーレム地区はこの町に由来している。キポール空港とアムステルダム旧市街の間は近代的な都市空間だが、ハーレム経由の沿線はよりシットリとして古風である。

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2003/10/10


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