ブエノスアイレス再訪

1980年にLNG技術交流団の一員としてアルゼンチンのブエノスアイレスとバイアブランカ市を訪問したことがある。1991年11月の2度目の訪問は第13回世界石油会議にパネリストとして参加するためであった。

1980年代のアルゼンチンはまだ日々高騰するインフレーションの思い病から抜け出せないでいたが、1991年のアルゼンチンはインフレーションを退治し、ベルリンの壁崩壊後のグローバル経済に乗り出した明るい雰囲気の町であった。エバ・ペロンで有名な大統領公邸もそのピンク色の瀟洒な姿を留め、カミニート通りもペンキも新しく、観光客をひきつけていた。

アルゼンチンが小麦景気で稼いだ金をつぎ込んで造った世界一のオペラハウス、コロンで演奏会を聴いた。壮大な建物は緞帳が古くなってはいたが、かっての喧騒を彷彿とさせるものであった。アルゼンチンではステーキを食べない手はない。La Cabanaにゆく。(Restaurant Serial No.54)

eva.jpg (20634 バイト)

大統領公邸

caminit.jpg (19201 バイト)

カミニート

そして今、2003年の初めアルゼンチン経済は破綻し、IMFにも見限られて、失業率20%の淵に追い込まれている。かっての1980年代の再来である。

Rev. January 12, 2003


トップページへ