アンカレッジ、サンフランシスコ、ラスベガス

1966年はじめて外国に出国した。東京ガスと東京電力が横浜根岸に建設する日本ではじめての液化天然ガス(LNG)の輸入基地の設計スタッフとして、アラスカ のアンカレッジ近くのケナイに建設予定のLNG製造プラントのサイト視察と取り合い条件のすり合わせのためである。

当時は外遊組には羽田で壮大な壮行会が開催された。今思い返すとのどかな時代である。

アラスカでは原野を車で走りまわり、クック入り江周辺の天然ガス産生井戸をはじめて目撃した。建設予定のLNG製造プラントのサイトはいまだ海にむかってなだらかな斜面を下る荒地であったが、後で完成した写真をみるとLNGタンクの外壁はペンキを塗らず褐色のさびで覆われた鋼板であった。寒いところなのでこれで数十年の耐候性があるものとうことらしい。世界は広い。後に中学時代の友人で建築家になった遠藤誠之亮君からさびが進行しないタイプの鋼材が製造されていて建築にも使われるとのことであった。

下は最近のケナイLNGプラントの航空写真である。さすがに年月が長くなるとタンクの外壁は白いペンキが塗ってある。 このプラントは3元カスケードサイクルで液化している。

 
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アンカレッジでのガス輸出者による歓迎パーティーで当日初当選した左翼の美濃部東京知事が本プロジェクトに与える影響などが米国側から話題として上がったことを覚えている。歓迎パーティーの開催されているホテルのピカピカに磨きあげられたトイレに黒人のボーイがいて、手洗いのあとタオルを差し出されて驚いたことも忘れられない。

サンフランシスコでは液化プラントの設計を担当するエンジニアリング会社であるベクテルを訪れた。ここでの昼食会でも会員制クラブでマージャンのようなゲームを楽しんでいる老紳士を目撃した。あとでドミノ・ゲームだったと知る。

週末には米国に帰化した親戚で、医者をしている家庭を訪問した。サンフランシスコの市街を湾越しに望むティブロンの丘の上にある温水プルール付き高級住宅にすんでいる家族である。夫婦専用のバスルーム、じゅうたんが連続した居間とトイレの床、大型冷蔵庫、自家用クルーザーなど米国の贅沢を垣間見た。

べクテルは創立者が米大陸横断鉄道建設でその基礎を築いた、米国最大の建設会社であったが、ファミリーがその株全てを保有する個人会社であった。そのファミリーの一つがティブロンの丘に住んでおり、ニエダ夫婦はコントラクトブリッジをする仲と聞いておどろいた。

ラスベガスは若いエンジニアが行くようなところではないが、おえらがたに同行して行ったものである。ブラックジャックをする知識も無かった。バカラをプレーしている区画は護衛がいて近寄れない。スロットルマシンとルーレットを少し楽しんだだけである。このような賭博の町とは別に忘れられないのはその自然だ。ホテルの部屋の窓からみるラスベガスを取り巻くハゲ山の色が紫がかって近くにくっきり見える。日本にはない景観である。多分空気が透明でかつ高度があるためであろう。このような山の色は30年後、マスカット・オマンで見ることになる。

とにかく米国の豊かさと奥の深さを知ったはじめての外遊であった。

2001/1/11

Rev. December 2, 2008


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