マスカット・オマン

1994年8月、マスカット・オマンに出張した。 その後受注することになるLNGプラントのプレセールス活動のためであった。ここで M商事の方からバスコダガマが喜望峰を廻ってインド洋に入れたのはマスカット・オマンの船乗り、アフマド・イブン・ザイードがアフリカ西海岸にまで航海して行っており、水先案内したためであるというお話をうかがった。しかしマスカット・オマンは皮肉にも、ポルトガルによって後に襲撃を受け、占領されることになる。このM商事の方はクエートに駐在していてサダム軍の侵攻で家に残した物、全てを失ったという。なかでも一生の思い出が詰まったアルバムが何者かによって持ち去られたのが一番心残りだとおっしゃっていた。

マスカット・オマンはアラビア海に面している。滞在したアル・ブステン・パレスホテルはここの英君といわれるシェイクが国の威信をかけて建設したものという。 このホテルは2つの岬に囲まれた浜から漁民を退去させ、浜一つを完全所有している国有迎賓ホテルで当初は一般客には開放されていなかった。現在はインターコンチオネンタルに経営が委託され 、観光用に開放されている。オマンの最高級6星ホテルである。エミレイト諸国8王族の個室あり、8角形の建物。中は完全空洞の寺院建築。白砂ノ前浜は専属で、プールやヤシの林があり、セーリングボートもチャーターできる。(International Hotel Serial No.37)

ホテル前の入江は湖のように静かであった。(Marina Serial No.105)湿度が低いせいか紫色にかすむ草木一本もない禿山に囲まれた無人の浜に忽然と出現した超近代的ホテルとその前庭のビロードのような芝生と一条の無垢の白浜の向こうに蒼い入江がある。観光客もほとんど居ない別天地である。船すら一叟もみえない。忘れられない風景である。

アル・ブステン・パレスホテル

週末、ここで (International Hotel Serial No.37) レーザーに初めてトライした。「遭難してもだれも助けに来てくれないことを承知する」との契約書に署名し、念のためビーチ・ボーイを一人雇って海に出た。海側から観るホテルの景観はシェイクが国家の威信をかけて600億円で建設したといわれるだけあってなかなかの偉観である。しかしなによりその自然に圧倒される思いであった。

その後、幸いにもこのプロジェクトを受注することができ、後輩たちがSur近くの海岸に完成させた。下の航空写真はグーグルマップにリンク表示したものである。

シェル社はカタールのNGLプラントのLPGタンク漏洩・火災事故以降ノマレーシアのビンツルやオーストラリアのノース・ウェスト・シェルフ・プロジェクトのダンピアでは、LNGタンクは9%ニッケル鋼製内殻ーコンクリート外殻の外側に更に土盛りするという3重の対策をしてきたが、さすがに本プロジェクトでは土盛りを省略した。

 
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2001/1/13

Rev. January 12, 2009


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