益子・那須岳ツーリング

1997年10月(?)、グリーンウッド夫妻は益子、那須高原、那須岳、大谷地下洞をめぐるツーリングに出かけた。宇都宮駅でランデブーし、益子に立ち寄った後、国道294号号線を黒磯まで真っ直ぐ北上。黒磯からは県道17号で那須高原に向かい一泊、翌日 (Hotel serial No.97) 大谷地下洞を見物して、宇都宮で解散した。

益子が有名になったのは、濱田庄司のおかげである。濱田庄司が英国のセント・アイヴスでバーナード・リーチと陶器 作りをした時、英国の家具を買い始めた。昭和4年柳宗悦と渡英したときも、京都の鳩居堂主人の依頼で英国家具を買い揃えた。濱田庄司が集めた世界各地の工 芸品2,000点が益子参考館 (Theme Park Serial No.133) に展示されている。

セント・アイヴスはかって英国に駐在していたとき、グリーンウッド夫妻が家族と訪問したなつかしい場所だ。そこで買い求めた陶器はまだ氏の手元にある。グリーンウッド夫妻にとってようやくループが閉じたわけだ。

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那須岳を背にして

2018/9/4 NHKの「たもり」の番組で那須疎水がとりあげられた。那須にはこのタンデムライドと1997/10/5の石原隊のツーリングと、那須岳登山の3回立ち寄ったはずだが疎水など みたことはない。そこでこの記録と地図を見ながら記憶をたどって、この明治期に日本の貴族たちが開発した那須疎水のある扇状地は黒磯駅と那須温泉を結ぶ県道 17号と平行して流れる那珂川より西側にあると分かった。どうりで知らなかったはずだ。広谷地の交差点で西に行く車も多いのでなにかあるとは思ったことを記憶している。

那須疎水は那珂川で取水し、扇状地を横断して流れ、蛇尾川の河底の下に掘った隧道で横断し、 千本松牧場の南端まで流れて、以後、箒川に沿って流下している。那須野が原とよばれる扇状地は、小石の多い荒地で農耕に適さず明治まで荒地のままであっ た。明治維新後、民間有志や華族によって大規模な開拓が行わた。1888年(明治21年)、この那須開墾社の土地1650haを引き継いで、松方正義が千 本松農場を開設した。千本松牧場は、様々な観光施設が整備されていて、多くの人で賑わっているという。

千本松牧場の牧場の中に、松方正義別邸(非公開)がある。松方正義は、薩摩藩士の四男として生まれ、大久保利通に認められ、島津久光の側近として生麦事件、寺田屋事件に関係。明治維新後は、大蔵官僚として財政畑を歩み、日本銀行や川ア重工を設立。

1997年10月

Rev. September 4, 2018


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