メモ

シリアル番号 表題 日付

1411

豊臣秀吉の政策
2013/12/30

清洲会議:織田氏の継嗣問題及び領地再分配に関する会議である。集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人。清洲会議では、それ まで織田家の重臣筆頭として最大の発言権を持っていた勝家の影響力が低下し、代わりに秀吉が重臣筆頭の地位を占めるなど、織田家内部の勢力図が大きく塗り 変えられた。この時の対立が翌年の賤ヶ岳の戦いにつながり、織田家の瓦解と秀吉の天下取りへ影響する。秀吉が三法師を推したのは腹心の黒田孝高(官兵衛)の策で、他の宿老たちにも根回しが行き渡っていたと言われる。会議では長秀は恒興と共に秀吉を支持した。

太閤検地
:太閤検地ではこういった権利関係が整理され、ひとつの土地 に複数の耕作者=納税者が存在することはなくなったのだが、これは帳簿の上でのことで、実際には依然として農村内で様々な権利関係が存在しており、領主に 提出するものとは別に、村内向けのより実態に近い帳簿が作成されていた。

刀狩:百姓身分の者の帯刀権を剥奪する兵農分離政策。実際には刀以外の武器所有は禁じられていない。武装解除を図った政策というより身分制固定のため。

兵農分離:武装を必要としない江戸時代の安定を見るまでは、経済的に 許される範囲において、あらゆる階層が武装していたと考えるほうがよい。その武装しているあらゆる階層の中から、大名や国人から軍役を課される階層が出現 してその階層が身分として固定化した。彼らは軍役を担う代わりに徴税を免れるなどの特権を有した。彼らの多くは惣村経営の主導者層であり、「侍衆」と呼ば れる。軍役は侍のつとめであって百姓のつとめではない、ということを中世的兵農分離という。

身分統制令:侍(さむらい)、中間(ちゅうげん)、小者(こもの)ら 武家奉公人が百姓・町人になること、百姓が耕地を放棄して商いや日雇いに従事すること、逃亡した奉公人をほかの武家が召抱えることなどを禁じたもので、こ れらに違反した場合は成敗するという。士農工商などの社会全般に対する身分統制との関連性はないとされる。

人掃令:全国の戸口調査を命じ、一村単位の家数、人数、男女、老若、職業などを明記した書類を作成して提出させたもの。

惣無事令 :、豊臣秀吉が大名間の私闘を禁じた法令

喧嘩停止令:中世日本において制定されていた農民の武力行使を制御することを目的とした法令。

海賊停止令:海賊は、沿海における豪族という面を持っていた。豊臣秀吉が出した海賊衆(水軍)に対する政策。それまで海賊衆に与えられていた警固料を徴収する権利も禁止した。

バテレン追放令:豊臣秀吉が発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書

Rev. January 7, 2014


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