メモ

シリアル番号 表題 日付

1237

LH-RH

2009/05/25

Luteinizing Hormone-Releasing Hormone(黄体化ホルモン−放出ホルモン)

LH-RHはインシュリンとおなじく体内でメッセンジャーとして働くペプチドホルモンの一つである。視床下部から分泌されるホルモンで、脳幹から下垂体に作用し、ゴナドトロピン(LHやFSH)の放出を促す。下垂体から分泌されるLHとFSHとを合わせて性腺刺激ホルモン(ゴナドトロピン:Gn)とも呼ぶ。分泌されたLHを介して精巣でテストストロンが分泌される。

この微量ペプチドホルモンの構造解明においては、ロジャー・ギルマンとアンドリュー・シャリーという二人の科学者の、死闘とも言うべき激烈な競争があった。

ギルマンとシャリーはもともとは共同研究者であったが、研究方針の違いからやがて相互不信に陥り、1962年にシャリーはギルマンの元を去ってニューオリンズのチューレイン大学に自分の研究室を設立する。

二人がまず研究対象としたのは視床下部ホルモンのひとつ、TRF(チロトロピン放出因子)であった。TRFはわずか3つのアミノ酸から成る非常に簡単なペプチドであったが、先頭のグルタミン酸が「ピログルタミン酸」(アミノ基と側鎖のカルボン酸が結合して環になったもの)に、末端のカルボン酸(-COOH)がアミド(-CONH2)に変わっており、通常の分析手段を受け付けなかったためその構造解明は難航し、引き分けにおわった。

次に二人はLH-RHの構造決定に挑戦した。シャリーはLH-RHの構造決定にあたっては細かいテクニックに長け、真面目で権利を主張しない日本人科学者を雇い入れることを考えた。有村章・馬場義彦(東大薬学1957卒、三共製薬)の両博士を招き、16万5000頭のブタ視床下部から830マイクログラムのLH-RHを分離した。そして構造決定には、当時末端アミノ酸の超微量検定法を開発したばかりの気鋭の化学者、松尾寿之博士(後、宮崎医科大学学長)を迎え入れる。

1971年の年始、シャリーの研究室を初めて訪れた松尾氏にシャリーはいきなりLH-RHのサンプルを手渡し、「ギルマンにだけは負けたくない。一日も早く構造を決定してほしいと依頼する。しかし手持ちのLH-RHの純度は30%程度(250マイクログラム相当、とうてい目には見えない量である)、しかも研究室の設備は驚くほど貧しい悲惨な状態からのスタートであった。松尾氏は綿密な実験計画と持ち前の実験技術で、まずLH-RHはそれまでアミノ酸9個から成ると考えられていたのが、実はトリプトファンを含む10個からできていること、先頭はTRFと同じくピログルタミン酸であること、最後尾はやはり-CONH2のアミド構造になっていることなどを次々に明らかにした。少ないペプチドを酵素分解して断片を詳しく解析し、ついにその配列の可能性を2通りにまで絞り込んだ。最後に合成による構造確認のため1目指すペプチドを合成しシャーリーが勝つ。

3度目のソマトスタチンの構造決定競争ではギルマンが勝つ。こうして1977年にギルマンとシャリーは揃ってノーベル医学生理学賞を受賞した。

馬場義彦氏はニューオリンズに新婚の妻昌代を同伴するが、リビングクオーターで慶応出の新鋭の外科医田島夫妻と知り合うのである。


トップ ページヘ