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1035

九州王朝説(田口利明)

2006/05/04

学士会会報2005-V No.854に田口利明氏が書いた「随書つい国伝」から見える九州王朝という九州王朝説。多元史観にたつ。

田口氏は東大法学部卆の企業経営社で歴史家ではないが趣味として日本国の成立の経緯に興味を持ち岡山市の小笠原・新納代表の「考古学研究会」に参加しているうちに九州王朝説に興味を持つようになったという。そこで中国唐の魏徴らにより選集された「随書つい国伝」を呉音で解読して九州王朝の実在性について論じている。

その根拠として倭王の名が北九州で出土する青銅の矛を意味する多利思北狐(たりしほこ)で先祖が南部朝鮮から移住してきたことを示唆する。大和朝廷が太陽神信仰なのに北九州王朝は月神信仰である。兄弟統治は九州にあったと考えられる卑弥呼の姉ー弟統治に似ている。配下の国の数が大和朝廷の410郡より少なく120である。「婚家には、同姓を取らず、男女相悦ぶ者は即ち婚をなす。婦、夫の家に入るや、必ず、犬(火)を跨ぎ、乃ち夫と相見ゆ」から大和朝廷では同姓不婚の制度はなかったし、花嫁に関する火の儀式はアルタイ系文化のもので日本海沿岸にだけに見出されるから玄界灘、福岡などの北九州地方にこの政権はあったとするのが妥当としている。

三島由紀夫がギリシアの「ダフニスとクローエ」を翻案して書いた「潮騒」のなかで神島の監的哨の廃墟のなかで「その火を飛び越して来い。その火を飛び越したら・・・」と山口百恵演ずる初江が叫んだシーンがあるが、三島はアルタイ系文化の火の儀式を知っていてこのシーンを書いたのか、民族に残る古い記憶に触発されて書いたのか興味がある。

古事記・日本書記の神話が戦前の軍部に利用された反動として津田理論が左翼に支持され、神話にふれることは戦後の歴史家のタブーとなったのは事実だ。しかしこのような仮説は 荒っぽくて3世紀から7世紀にかけた政権の移行を一緒くたに論じていて専門家は相手にしないのだろう。

ただ大和朝廷が自らの政権の正当性を高めるために出雲王朝、九州王朝を神話として取り込んだことは、中国の明時代に鄭和の成功を快く思わない宦官たちが自分達の政策に邪魔となる鄭和の残した報告書を全て焚書していまったことにあい通ずるものが見えてくる。

Rev. November 24, 2007


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