読書録

シリアル番号 930

書名

素顔の石原裕次郎 ここだけの話し

著者

川野泰彦

出版社

講談社

ジャンル

伝記

発行日

2002/12/20第1刷

購入日

2008/2/22

評価

町内で元某自動車会社の役員だった方がいる。車の宣伝に裕次郎を起用して、付き合いのあった方で、ヨット乗りで兄の慎太郎とも面識があった方だが、いつも懐かしそうに、裕次郎との交友が心温まるものだったと話している。兄のほうは付き合いたくないという。江ノ島のヨット乗りがたむろする「すし政」で裕次郎と友人だったという人から直接思いで話しを聞いたこともある。

裕次郎なんて全く興味がない人物であったが、こんな経験の後、たまたま鎌倉図書館でこの本を見つけて手にとった。

元某自動車会社の役員や裕次郎の友人と称する人が持っていると同じイメージの裕次郎が描かれている。

独立プロ第一弾として1963年市川昆を監督に起用して堀江謙一の「太平洋ひとりぼっち」を映画化したときのこと、西宮での撮影初日に市川監督が風邪で休んだ。大分あとになって、実は風邪ではなく、歌舞伎出身の時代劇スタート結婚した元宝塚出身の女優と情事を楽しんでいたことが発覚し、裕次郎が大分プライドを傷つけられたこと を紹介している。

元宝塚出身の女優はこれが原因で離婚したという。市川崑(2008年94才で死去)は監督の映画の台本をほとんど書いている1948年に結婚し1983年に亡くなるまで40年近く夫を支えた和田夏十(わだなっと)という怖い奥さんがいた とミセス・グリーンウッドはいう。二人に波風は立たなかったどうかはか知りたいところだが書いてない。ちなみに「太平洋ひとりぼっち」のシナリオも和田夏十が担当している。

菅原通斎が麻薬、売春、暴力の三悪追放運動の旗手であったということもここで初めて知る。 この通斎が著者に「裕次郎の方が政治家に向いているように思う」と語ったという話や裕次郎が「兄は大臣にはなれるだろうが、首相にはなれないだろう」と語ったことなどの秘話がでてくる。兄は悪筆だったがなぜか、裕次郎は生まれながらの達筆だった。兄は「字がうまいからって、頭がいいというわけじゃないからね」とにげていたようだ。


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