読書録

シリアル番号 788

書名

イサム・ノグチ 宿命の越境者 上下

著者

ドウス昌代(まさよ)

出版社

講談社

ジャンル

伝記

発行日

2000/4/10第1刷

購入日

2006/8/9

評価

鎌倉図書館蔵

若き頃、アイザック・ドイッチャーの「トロッキー」を読んでロシア革命の英雄の一人であるトロッキーがスターリンとの権力争いに敗れ、メキシコに亡命し、その地でスターリンが送り込んだ暗殺者の手で殺されたことは知っていた。

1965年のデヴィッド・リーン監督の映画「ドクトル・ジバゴ」にもトロッキーをモデルにしたような人物が蒸気機関車に乗って現れる。

しかし亡命の地でトロッキーが暗殺される前に保護者のディエゴ・リベラの妻、フリーダ・カーロと恋仲になったことは知らなかった。ところがである、このフリーダ・カーロとイサム・ノグチがデキテいたという話を最近朝日新聞で知って、思わぬリンクに再度驚いた次第である。

無論このあたりも本書で触れられている。

イサム・ノグチの父は野口米次郎である。明治8年、愛知県に生まれ、明治23年、単身で渡米、新聞記者となり、後英国に渡る。詩集を出版するなど両国の詩壇で活躍し、明治37年、日露戦争報道のため帰国。兄が住職を勤める藤沢の常光寺や鎌倉円覚寺に住んだ。

米次郎はアメリカの作家・レオニー・ギルマー(Leonie Gilmour)の助けで、英語を磨き、同棲した。彼女はイサム・ノグチを生み米次郎を追って藤沢にきたが、米次郎は結婚はしなかった。イサム・ノグチは母親の手で13才まで東京に住んだ。1918年 、イサム・ノグチは母の意志でインディアナ州ローリング・プレーリーの学校に送られた。その後コロンビア大学医学部に入学。ニューヨークで野口英世博士に会った時、芸術家になれと助言されたことから19歳から彫刻に専念する。在学中にレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校で彫刻を学んだ。

1927年、グッゲンハイム奨学金を取得し、パリに留学。2年間、ロダンの弟子である彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに師事し、1929年にニューヨークで最初の個展を開いた。

米次郎は昭和22年、疎開先の茨城県で没する。イサム・ノグチは父米次郎の墓をデザインし、その墓石は常光寺にある。

Rev. February 7, 2007


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