読書録

シリアル番号 560

書名

物理の散歩道

著者

ロゲルギスト

出版社

岩波書店

ジャンル

随筆

発行日

1963/4/13第1刷
1963/6/30第4刷

購入日

1963/08/01

評価

大学卆業3年目に買い求めた。とてもエレガントな本だった。人形を直立させる実験という文を印象深く覚えている。ロゲルギストは物理学者の木下是雄 ら5人の同人のグループ名で、ノーバート・ウィナー張りの本を書こうと思って集まったのだが、能力不足で随筆集になってしまったまったというもの。 2002年、森永先生のお宅でロゲルギストの一人、木下先生にお会いできるとは思わなかった。木下先生は国語審議会委員や日本山岳会会長も歴任されてい て、昨年は台湾の新高山登山にも挑戦したが腰痛で断念したとか。森永先生のお宅で昨秋初めてお会いした。書棚から探し出して再読して「頭のよさと記憶力」という章が面白かった。

話を簡単にするために人の記憶の仕方を博覧強記型と演算型に2分する。言語学の大家、生物分類学者、化学者は博覧強記型であることは異論ない。数学 者や物理学者は演算型である。演算型は個々の現象をカード箱に分類しているだけでは不十分でそれら現象に共通な法則とか因果関係の論理的な相互関係を覚え るように頭を作り変えている。世の中の人はこういう演算型の人を記憶力がよいとは決していわない。それどころか演算型にはしばしば健忘症が多い。最も有名 なのが数学者のヒルベルトで、自宅にお客を招いたとき、夫人が彼が似合わないネクタイをしているのを見て、二階の寝室で取り替えてくるように注意したとこ ろ、お客が現われても、一向に下りてくる気配がない。そこで夫人が寝室に行ってみると、彼は寝巻きに着替えてベッドの中でスヤスヤと寝ていたという。彼の 弟子達は先生得意の「解析接続」を自ら実行したのだろうと話し合ったという。

こういう人は人の名前を覚えるのも苦手である。よく人は「頭の中の名前のカードを整理しないか、整理しようという熱意がない」と非難する。そうだろうか?

演算型の思考の際には、同時にいくつかのインフォメーションを記憶から引き出してそれを組合わせて考えることが多いので、容易に引き出せるカード箱 の引き出しは非常に重要である。ここにはなるべく重要な知識のみを貯えておき、あまり余分なインフォメーションで場所をふさぐことは極力さけなければなら ない。それで人の名前などはこの重要な引き出しに分類するのは惜しくなるわけである。語呂合わせのジョークも苦手である。そんなものを処理する演算回路は故障しているのだと判断し検討の外に押しやる。

とここまで読んで自分は応用化学を専門に選んだが、実は頭の中は演算型であったのだと忽然と悟った。それで人の名前は覚えない、化学物質の名前は覚 えない、中学生のときは忘れ物、遅刻ではクラス一番であった。歳とっては二階から一階におりて、何しに来たのかわからないというさま。人と話をしていると その会話にヒントを得てあらぬ演算の世界に入り込み、場合によってはループして完全に自分の世界にこもって一切の入力を無視するか、折角発見した法則を次 ぎのテーマで消去される前に皆に披露したくて、その場の人々の話題の流れとは全く関係ない命題をジャーンと披露し、その場にカオスを生じさせるなどをしで かすのだと。

女房は博覧強記型で私の演算型の仕組みを理解できない。だから私をアスペルガー症候群だといい、自分の友人のサークルには私を同伴しない。そして自分はカサンドラ症候群といっている。

ではなぜこのような演算型のOSになってしまったというとDNAとそのDNAに無用な制限を加えずに自由に伸びる環境を整えてくれた父母のおかげと 思っている。乳幼児のころまだハイハイしてたころ、母がチョッと目をはなした隙に、道路を隔てた隣家に興味を持ったのか這っていって何事か調べ、這って帰 るところを母に見つかったとか、幼稚園のころ、母がひそかに跡をつけてみたら、道すがら手に触れることのできるものは全て手を触れて歩いたとか、近くの鍛 冶屋の間口に一日中立ち尽くして観察したとかの逸話からそう推論される。

私を博覧強記型だと誤認している人が居るが、なぜ私がこのHPを作ったかというと、記憶力が弱いため外部記憶を作って簡単に検索できるようにしたた めである。記憶はすべてクラウドの中にあり、インターネットにアクセス出来さえすれば瞬時にアクセスできるため、疑似博覧強記型に見えるわけだ。

演算型=流動性知能、博覧強記型=結晶性知性ともいえる。流動性知能は、オルタナティブをたくさん書き出せる人とされる。長年設計していると、このオルタナティブをたくさん考えることがくせになる。

Rev. September 1, 2014


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