読書録

シリアル番号 514

書名

バルチック艦隊 日本海海戦までに航跡

著者

大江志乃夫

出版社

中央公論新社

ジャンル

歴史

発行日

1999/5/25初版
1999/7/5第3版

購入日

2002/07/29

評価

歴史的資料を豊富に引用したロシア海軍史解説。陸軍を主題とした「日本の参謀本部」が好評だったので姉妹編として書いたのだと言う。

アレクサンドルIII世がピョートル大帝以来のロシア海軍のバルト海艦隊で良いのかと疑問をもち、大西洋に自由な出口を持つムルマンに軍港を持つべきではないかと考え、ヴィッテに調査を報告書を見て承認したあと直後腎臓病で急死する。後をついだニコライ二世も先帝の意思を継ぐつもりであったが、アレクサンドルIII世の弟が海軍のトップでバルト海のリバウ軍港建設派であることを知っていたヴィッテは宮廷内の政治的紛糾をおそれてニコライ二世に「ムルマンは急ぐことはない」といってしまう。ニコライ二世はリバウ軍港建設派となり、極東の大海洋に出ようという考えもすべてリバウ軍港建設の結果としてでてきたのである。大臣のたった一言が歴史を変えるという複雑性の原理を見る心地がした。

日本海海戦はT字戦法として有名であるが、これは全く誤りで正確には単縦陣艦隊が回頭しながら並航戦をした持続戦法が正しいとしている。敵前回頭をT字戦法と誤解している向きがあるとの指摘は納得 した。

その後、文芸春秋2005年5月号のとある論文でT字戦法は参謀の秋山達は研究していた「円戦術」だとしていた。「円戦術」とは敵先頭艦を中心とする円弧上を艇進しながら敵先頭艦に砲撃を加えるという戦術である。 しかし現代の2005年6月号によると円戦術は秋山眞之(さねゆき)の先輩の山屋他人(やまやたにん)が考案したものだという。これをしようとしているうちに、 バルチック艦隊も逃げるので結果として並進戦となったと思われる。 詳しくは野村實著「日本海海戦の真実」、講談社現代新書にくわしい。野村實氏は皇居に1刷だけのこされていた「極秘明治三十七八年海戦史」と「山梨大将講話集海上自衛隊幹部学校編」を原資料として結論したという。

日本艦隊がバルチック艦隊に勝ったのは長い射程とリーチを有効に使った戦法、ピクリン酸を使った下瀬火薬、伊集院信管、高い乾舷によるなどによる凌波性、バルチック艦隊の石炭の過積載による低乾舷などがあげられるが、バルチック艦隊を発見した信濃丸が無電で知らせたことは知られていない。海戦に無線を使ったのはこれが世界初。電子情報戦に勝ったわけである。バルチック艦隊は無煙炭を使えなかったのでモクモクと煙を出し発見されやすかった。ちなみに東郷艦隊はカーディフ炭をつかっていた。

本著はマハンの引用がおおい。クラウゼヴィッツの戦争論をはじめて翻訳したのは森鴎外だとかマハンの著書をはじめて翻訳したのはハーバート大出で大日本国憲法を起草した金子堅太郎だとか連合艦隊参謀の秋山真之大尉が米国留学時マハンの教えを受けたとか、徳川慶喜が大阪城を脱出し開陽艦に移るまでの間、マハン少佐が副長を務めていた米艦イロコイ号にかくまわれていたとかの秘話が紹介されていて面白い。

Rev. June 3, 2005


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