読書録

シリアル番号 1242

書名

吉田松陰と松下村塾の秘密と謎

著者

中見利男

出版社

宝島社

ジャンル

歴史

発行日

2015/1/29第1刷

購入日

2015/08/20

評価



山木会でS.K.に貰う。

吉田松陰について調べたものをまとめたメモ1461原田伊織の書いた本ほぼ同じ論調。

鎌倉プロバスクラブで聞いたフルベッキ群像写真に関してはこの本では言及なし。フルヴェッキ集合写真は捏造という見方があるが、写真の真偽はどうでもよいことであって、松陰→伊藤の子弟関係やその目的を変えることにはならない。

明治天皇替え玉説は主として元弁護士の在野の歴史研究者鹿島f(かしまのぼる)が言い出した説である。鹿島氏は早稲田大学法学部在学中に司法試験に合格し弁護士となったが歴史研究にのめりこみ、多くの奇説たてた人だ。その鹿島氏が山口県柳井(やない)市を訪れ、田布施町麻郷(おごう)に大室近祐(おおむろ ちかすけ)氏 から聞いた話に立っているので出鱈目だと無視できない。松陰は藤田東湖の水戸学に洗脳されていて南朝再興論者であった。というわけで松陰は南朝系大室寅之 介を利用として伊藤が実行したというわけだ。南朝系はこのほかに水戸藩の庇護を受けた熊沢系と愛知県豊川市の三浦系があるが大室系だけが田布 施にいたというわけ。中見の本によれば多布施の大室弥兵衛には子がなく、元海賊の地家作蔵の子を養子にしてい る。したがって南朝の血を引いていない。でも松陰や伊藤それもよいはとしたのではないか?この大室寅之介を松陰の母が教育したという。薩摩は大室寅之介を 英国船に乗せて京都の薩摩藩邸に送っている。

慶喜は孝明天皇刺殺犯の特定を宮崎平左衛門に命じ、宮崎平左衛門が岩倉と伊藤だと判明したと報告したところ宮崎は長州の刺客に襲われて重傷という一文がある。したがって慶喜は孝明天皇刺殺犯を知っていたわけ。

伊藤博文を暗殺した安重根は暗殺理由として「今ヲ去ル四十ニ年前、現日本皇帝ノ御父君(孝明天皇)ニ当ラセラル御方ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス」と言っている。韓国人が皆知っていることを日本人は信じたくない。

松陰はまだ若かったから対外進出主義をただただ言い募るだけであった。そのためにはまず貿易によって経済を発展させて、軍備を整えてから進出ということが わかっておらず、戦略だけで事足りるという未熟さがあった。欧米が産業革命を経験していることに全く気が付いていない。そういう未熟さを無視して松陰を謳 いあげた徳富蘇峰や司馬遼太郎には松陰の虚像をつくった責任がある。

さすが外国を自分の目でみた伊藤博文は気が付いて、まず富国強兵をしたが、同じ松陰の弟子である山県有朋は外にでなかったため、伊藤なきあと軍部が唯我独尊となって独走したということになるのだろう。

Rev. August 23, 2015


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