読書録

シリアル番号 1065

書名

日本語で書くということ

著者

水村美苗

出版社

筑摩書房

ジャンル

発行日

2009/4/25第1刷

購入日

2010/08/31

評価

鎌倉図書館蔵、家人が「日本語が亡びるとき英語の世紀の中で」と一緒に借りてきたのを横取りして読む。

著者はここで日本が直面しているジレンマを聖書の言葉を引用して一言で表現。 すなわち、日本が植民地化を免れた以上に周辺を植民地化した故に、日本語は少なくとも短期間ではあるが中華の言語となり辺境の言語ではなかった。技術の教科書すら全て日本語化されている。しかるにかって植民地だった国、たとえば韓国はハングル、ベトナムはアルファベットという表音文字に切り替え、世界言語となった英語を繰る人が多く中心言語となっている。(マレーシア、インドネシア、フィリピンではいわずもがな)。中国語は語順が英語と同じのため英語を繰ることは日本人よりも容易。しかし日本人の大部分は翻訳されないかぎり、世界の新しい情報にふれることはできない。これからはインターネットの普及もあって新しい情報は翻訳される前に英語で読むことができる。そうするとかっての植民地のように世界言語である英語を自由に繰れるだけ、早く成長し、経済もよくなり、栄えだした。日本語がふたたび辺境の貧しい国、そこに住む人以外に使われない言語に堕落する日が来ると危惧する。

これは内田樹の「日本辺境論」の危惧と同じだ。内田樹は「人々が無知であるのは、自ら進んで情報に耳を塞ぎ、無知のままでいることを欲するばあいだけである」という。これは水村が引用した聖書の言葉と同じ。すなわち「捨てざるをえないものの大きさゆえに、選ぶべきものを選べない不幸」、もっと簡単に言えば、既得権にしがみつく心理とおなじだ。

日本企業で英語を社内公用語としたのは孫正義のソフトバンクと三木谷浩史の楽天、柳井正のファースト・リテイリング(ユニクロ)である。


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