イラク人質事件 続き

最近の社会現象につき、グリーンウッド氏かっての職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に投稿した雑感と対話録イラク人質事件のつづきです。


「平和ボケ」vs「温室育ち」

グリーンウッドさんの言う「平和ボケ」、語呂としてはいいですね。でも実態は「温室育ち」と言った方がいいかも知れません。温室の中で育った若者が、Mさんの言う「いちずさ」や「ひたむきさ」に突き動かされ外に出て行って、外の寒風にさらされる。それを温室の中から親がワアワア言っているとの構図です。

「温室」では命の尊さを過剰に教育したように思います。多分、「カミカゼ」に怯えた米国の謀略だったのでしょう。中東での爆弾テロを見ると世界的には未だ「カミカゼ」は健在です。自分の集団(民族とか国とか、さらには世界)の為に自分の意思で個人の生命を犠牲にする事は、世界的には美徳とされているように思います。MITの学生だった時、同級の米国人から「カミカゼ」を賞賛する言葉を何回か聞きました。

昔むかし、テキサスがまだメキシコ領だった時、アメリカから開拓者が不法侵入・居着いたため、怒ったメキシコ政府は軍隊を差し向けます。 すると、デ−ビ−・クロケット、トム・ボ−イなどはアラモ砦に立てこもり防戦、ヒュ−ストン将軍の部隊が救援に向かいますが、何故か途中で立ち止り(一説によると政府の指示)、アラモ砦の全員は戦死してしまいます。そこで時の米政府は大キャンペ−ン。"Remember Alamo!”当然デ−ビ−・クロケット、トム・ボ−イも死して大英雄となるし、これを言いがかりに大軍を差し向けテキサスをふんだくってしまいましたよね。

太平洋戦争開戦時の、"Remember Pearl Harbor!”は、煮え切らない世論を開戦に向わせるために、空母を除く太平洋艦隊を生贄にしたとの説があります。(多分事実でしょう。)

上記2つの米国の"Remember!”は本人の意思ではなく、政治の意思で生命が国のために捧げられた例です。

生命がそれだけ政治まで動かす事を知っていたからこそ、米国は「温室育ち」の中に命の尊さを過剰に教育したように思います。勿論「カミカゼ」を禁じ手にする事が第一義だったとは思いますが・・・

人質になった人々が、少なくとも自分の信条に基づき自らの生命を危険にさらすのはそれなりに立派な事だと思いますが、家族を含め他人に迷惑をかけちゃあ、不味いと思います。

まえじま

 

「温室育ち」は米国の陰謀?


まえじまさん、

「温室育ち」は米国の陰謀だとかの見解、気に入りました。米国人が「カミカゼ」を賞賛するとのご指摘、私にも心あたりがあります。

わたしの英語会話の先生だった米国人が、ニューヨークのレコード店をなげうって日本にのこのこやってきた動機というのが、若きころ参戦して特攻機が隣の艦に突っ込むのを目撃し、日本人に興味をもったのがそもそもの発端だったと告白してました。

ある人が自己犠牲をともなう利他的行動に走り、それに他の人が感応するように我々の遺伝子は進化しているというわけでしょう。利己的遺伝子は一筋縄ではいかぬように巧妙な構造になっているというわけで、これは米国人、イラク人問わず平等にそなわっている資質と思います。

たとえ間違った紛争でも隣で喧嘩しているのに家に閉じこもっているのも変人だとみられてもやむを得ず、事態改善のために日本も血をながさないと国際社会では一人前でないことはたしかだと思います。そういう意味で私は日本も必要なら軍を出すべきとの立場です。ブッシュの間違った判断に付き合う義務はなかったのですが、米国民の過半数が支持する政権につれなくすることのリスクもあって、日本は付き合ってしまった。やってしまったことは悔やんでもしょうがない、ここで徹底的に勉強することでしょう。それより、問題は軍の出し方の理由付けが問題だとおもってました。内閣法務局が憲法解釈にこだわり、集団自衛権は無いとがんばっているため、法治国家としての体裁上、安全な場所に人道支援のため自衛隊を派遣するとかの屁理屈をつけて国会を通したという日本政治の2000年の伝統と化した感のあるタテマエとホンネを使い分ける欺瞞の政治が継続されたことです。小泉政権のいい加減さはもう日本国家の遺伝子そのままの進化のない政策でした。

政府がなんと言おうとも、本当は集団自衛権のために軍を出しているのは事実です。北朝鮮の核が脅威だと誰も認めているではないですか。欧米の人もイラクの人々も日本は米国を助けるために軍を進駐して米国とギブアンドテークしていると正確に理解しています。このように日本国内では自己欺瞞のため、日本人の平和ボケが治らず、安全だという政府のタテマエの公式見解に乗せられた欧米式にまっすぐに考える素直な若者が陥穽に落ちたという構造も見えてきます。政府が人道支援の派遣だと声を上げればかえって集団自衛権のために派兵したと日本以外では聞こえるわけで、そういう意味で政府は今回の事件に負い目を感じたことは確かでしょう。

集団自衛権問題に関する見解は岡崎元大使とか佐々元警備課長の見方の受け売りですけれど。憲法は集団自衛権を禁ずるとはどこにも書いてないのです。歴代の内閣を支えた内閣法制局が見解を変えることができず、政治家も言いくるめられて面倒なのでごまかしを継続していると理解してます。国内事情で集団自衛解釈にこだわっても、国際社会はなにバカやってるのというあきれた目でみるだけということにそろそろ気がついてもよいのではないでしょうか?ということは国民の責任と負担も増えるわけで、現日本の住み心地のよい楽園のような世界はもう期待できそうもないとの覚悟が国民各層に要請されることになるわけです。温室育ちのヤワな人間は淘汰されていく宿命にあるのでしょうね。

グリーンウッド

 

一人、寒風の中に立つ男の美学

今回解放された3人の親達のなかで、娘さんの父親の下着姿が一番共感を覚えました。騒ぎのなか、娘の命は半ばあきらめ、ただ沈黙を守ったようにみえました。この姿が将来みることになる日本人の姿であろうなと感じたものです。一人、寒風の中に立つ男の美学とでもいえましょうか。

引退後は妻子から「はるかに厳しい目で見るくせに何もしない、大多数の人々」とレッテルを貼られたグリーンウッド氏ですが、若きころは「同じことを進んでやろうとする人々」ではあったのです。当時全盛だった石油と石油化学に背を向け、だれも手がけない天然ガスに活路を見出したのもそうだし、自分の設計したプラントの試運転を率先志願したものです。そして何度も危機に直面し、命拾いをして、人知れず冷や汗を流しました。そうすると自然に何がリスクで何が問題ないかの感覚が身につのでしょう。アラビア湾の絶海の孤島に7ヶ月こもり、今回イラクで犠牲者を出しながら、働いている米国の某コントラクターの多国籍の仲間と自ら汗をながし、リスクを計算しながら果敢に挑戦してやりぬく根性というものを学びました。後年、管理職となり、部下を海外の現場に派遣する立場になってから、多くの後輩が自ら手を汚すことなく、専門家の派遣要請をするだけの姿をみて、これでは会社の将来はないと心配しましたが、実際その危惧のようになりました。自ら解決する気迫のない人々の集団など存在する価値などないのだということでしょう。

そういう意味で今回拉致された3人は動機はどうあれ、「はるかに厳しい目で見るくせに何もしない、大多数の人々」ではなかったのは確かでそれなりに価値ある行為をしようとしたとはいえるだろうし、フランスなどからも評価する声が聞こえてきます。しかし、本人の意志ではないとしても、脅迫に負けて軍を引けなどとマスコミ上で大声で主張するなど非常識だなと感じました。これからもひるむことなく、イラクに行きたい人はゆけばよいのです。ただもう全国民が国家に全力で救出するように圧力をかけてくれることは期待できないとの覚悟を持って出かけないと犬死することになるのではないでしょうか。「一人、寒風の中に立つ男」の気概というものが必要になるとおもいます。

少なからぬ量のガス漏れを始めたばかりの主製品タンクを前に、某国で脆性破壊のため完全破壊にいたり、一瞬にして全プラントが火の玉に包まれてしまったタンク事故の惨状が頭の中で点滅するのを自覚しながら、事態が発覚した直後のタンクの前に自分の命をかけて一人で立ち、観察と点検をし、経験を総動員して内部で生じている事態を推察。マイナーな部分が脆性破壊を起したと判断したことがあります。この症状ならカタストロフィックな事態には至らないと判断。生産に入ったばかりのン千億円という巨額の資金が投入されたプラント全体の保全の要請と生産の継続の重みを勘案し、運転停止と避難の要請を出すまでも無いと判断した己の「一人、寒風の中に立つ男」の体験が今鮮やかにダブって想起されます。幸いこの推察はマトを得ておりました。そしてマトを得るのはおみくじを引くのとはちがうのです。このようなことを幾つも経験してそしていま「はるかに厳しい目で見るくせに何もしない、大多数の人々」となってステテコはいて安逸をむさぼることができているのだとつくづく思います。

 

発狂した米政府

まえじまさん、

5人の人質が解放された後、アルジャジーラのテレビがファルージャに入った報道をみましたが、アウトソーシング先の軍属4人を殺されて米市民の世論を気にした米政府が軍に命じてファルージャで大虐殺をしでかし、全イラクを敵にしてしまったという構図が見えてきました。軍を送ればこういうことも発生するという歴史上何度もくりかえされてきたお話みたいです。あわてたブレアがワシントンに飛んでもうあきらめて国連に助けを求めろと進言したようです。折角育てたイラク警察もファルージャ包囲に協力することを拒否するどころか兵器をもって逃亡するに到り万事休す。

サドルの出現に驚いたブッシュは敵国イランにまで協力を求めるあわてブリです。ファルージャとサドルは歴史のターニングポイントとなるような気配です。国際感覚に無知な米国民が支持し続けるという構図も見えてはいますが、これでブッシュも終わりかなと感じました。いずれにせよイラクの混乱を収めるのは米国の責任でしょう。かれらは投げ出すことはできない。やるしかない。自衛隊は安定するまで小さくなってかくれているしかないが、もし狂った米政府がサドルを殺害すれば、スペイン軍にせまったような危険な事態になりかねない。軍はいつ発狂するかわからない。強力な武器を持たせていますので心配ではあります。しかし米国はどうしてヘマばかりするのでしょうか?小泉さんもよほど良く考えておかないと、彼の政治生命も万事休すということでしょうね。

グリーンウッド

April 16, 2004

Rev. November 27. 2006


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