ノースウエスト・アース・フォーラム

川上私記 回想のアフガニスタン

仏教遺跡バーミヤン

    新聞記者の取材の旅はいつも慌ただしい。本拠地カラチを留守にしてのことだからなおさらだ。駆け出しの特派員にはまだ心の余裕がなかった。旅程を一日延ばせばわけなく行けたはずの「バーミヤン」を訪れなかったのはかえすがえすも残念だ。その後数十年、高名な遺跡を見るたびに、バーミヤンを見逃していることが、かすかに胸にうづいた。バーミヤンは、カブール北方の渓谷の崖に6−9世紀ごろつくられた巨大な仏像群である。1kmにわたって約1000残っていた、という。この貴重な仏教遺跡を、狂信的なイスラム原理主義の政権タリバンが、2001年3月に爆破してしまった。その報道を読んで、私の後悔は強くなった。

   蛮行はアフガンの政治問題などではない。イスラム教の排他性と独善性を示す以外の何ものでもない。イスラム教徒による米国9.11同時多発テロが起きたのはこの半年後のことである。世界も、米国も、ジャーナリズも、このテロを政治的側面だけで捉えているように見えるが、イスラム教対キリスト教という軸をもっと見据えるべきではないか、と思う。もしそうすると、信教の自由や政教分離といった近代西欧の価値観にからむことになり、すべてが泥沼状態に陥ることを避けたいという思惑がどこかにはたらいているのではないかと、私などは考えてしまう。たとえば、私が数十年にわたってことのほか興味をを持って報道、watch してきたイスラエル・パレスチナ問題も宗教抜きには考えられないものだ。

   バーミヤンは全部が破壊されたわけではないらしい。爆破から約2年後の2003年ユネスコはあわててこれを世界遺産に選んだ。証文の出し遅れなどとはいうまい。それよりも、世界遺産と言うものの基準だ。日本では近年、平泉の中尊寺や富士山を世界遺産に選んでもらおうという運動が盛んだ。世界遺産には、自然遺産と文化遺産がある。私の見るところ、これまで文化遺産は圧倒的にキリスト教のものが多い。基準が西欧にあることを示す。別に中尊寺が登録されなくたって、まったく気にすることはない。同じことはノーベル賞やミシュランのレストラン格付けについてもいえる。そういってしまっては、実もフタもないが。「それを言っちゃあ、おしまいよ」 と寅さんのせりふが聞こえてくる。

(アフガンと日本の関係へ続く)

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March 20, 2010


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