ノースウエスト・アース・フォーラム

川上私記 回想のアフガニスタン

パシュトゥーン人

   パシュトゥーン人の住む国境のパキスタン側、部族地域(tribal area)と呼ばれるこの地域にはパキスタン政府の統治が完全には及んでいない。治外法権に近い。裁判ですら部族長の手で行われるという。人口こそまばらでも、ペシャワールから北東へこれが何百キロの山岳地帯に続くのである。今、米軍に追い詰められたタリバンがここに逃げ込み、出撃の拠点にしている。そして、パキスタンの正規軍が、ここで苦戦している。そしてタリバンに呼応するパキスタン側の過激派がパキスタン国内の治安を揺るがしているのである。

   アフガンのクーデタ騒ぎよりすっと後に出直したときのことだが、ペシャワル郊外のこの地域のマーケットを訪れた。小屋掛けのような商店がにぎやかに軒を並べており、日用雑貨から銃にいたるまであらゆる商品を売っている。雑貨の多くは、アフガンが輸入した物が逆流してくるのだという。いわば密輸品の市場である。商店と並ぶ工房では銃を造っていた。

   あれから36年。だが、国境をまたいで両側に同じ民族が住んでいることの重要さは今、ますます大きい。パシュトゥーン民族の人口はアフガニスタンでは最大の44パーセント、パキスタンでも全人口の10パーセント近い。1980年代のほぼ10年間にわたったソ連のアフガン侵攻時、アフガンから大量の難民が流出して大きな国際問題になったが、難民の多くがパシュトゥーン人であった。彼らが身を寄せた先はパキスタン側の同属の地域であった。時代は下って、米軍に追い詰められたアフガンのタリバン政権はパシュトゥー人の政権だった。米軍が文字通り草の根を分けて探して見つからない。

   ウサマ・ビンラディン(彼自身はサウジアラビアの出身だが)がもし生きているとすればこの国境地帯で、ひょっとしたら、タリバン勢力に、あるいはパシュトゥーン人に匿われていることは容易に想像できる。

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March 14, 2010


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