第13章 1978-1979年:

カンガンガス田の開発

 

1978年ころだったとおもうが、T電力がイランのカンガンガス田のガスを液化して新潟港に荷揚げして発電に使い、パイプラインで仙台までガスを送るプロジェクトが持ち上がった。M重工が液化からLNG船、そして受け入れ基地まで一環したメーンコントラクタになるスキームが浮上した。当社はその実績をもってM重工に基本設計を提供する話がまとまった。

私はM重工の新宿事務所で基本設計のお手伝いをした。そのとき三菱長崎造船育ちのエンジニアの方々を親しく仕事をさせてもらい、田町?にあった原動機事業部の火力の基本設計を担当する若いエンジニアたちと設計思想のすり合わせをしたことを懐かしく思いだす。米国のF社が発注者である電力会社のコンサルタントを勤め、そのときの縁でF社のプロセスエンジニアであったRon Cooper氏とは今でも親しくしている。

このプロジェクトは契約までこぎつけたが、残念ながら、1979年イラン・イスラーム共和国が成立し、ホメイニ師が最高指導者に就任したころ頓挫してしまった。その後のイランは固まってしまい。その資源はまだ眠ったままである。

August 25, 2008

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