玄海国定公園の一部にある「湊の立神岩」(唐津市天然記念物)。


玄武岩の断崖(だんがい)が崩れ、岩塊が折り重なっている。


玄界灘は世界有数の漁場であるという。岩場のあちこちに釣り人が点在していた。


直径20〜30cm余りの柱状節理が規則正しく並んでいる。


展望台から眺めた立神岩(夫婦岩)。
 湊(みなと)町は、唐津市の北西、東松浦半島の北東端に位置し、北東の海上約600mには神功(じんぐう)皇后の朝鮮出兵の際、この島に神々を集めて海上の安全を祈ったとされる神集島(かしわじま)がある。

 湊浦は、古くは「鰐(わに)が浦」とよばれていた。「鰐」はサメ(鮫)・フカ(鱶)の古名と考えられているが、一説には、漁労・航海術に優れた海人族・和邇氏(わにうじ)が住んでいたからとする説もある。
 『松浦拾風土記』には「和珥(わに)が浦は今の湊濱なり」とあり、浜で迷子になった我が子を助けてくれた男と夫婦になった女が、ある海の荒れた日、漁に出たまま帰らぬ夫を探して海辺に出ると、1匹の大きなワニが女の襷(たすき)をくわえ、腰に魚をつるしたまま死んでいた。そこで女は、夫がワニの化身であったと知って手厚く葬り、以来、この浜を「鰐が浦」と称するようになったと記している。
 また『松浦古事記』には、神功皇后が朝鮮出兵の時、軍勢を整えて和珥(わに)津より船出したとあり、和珥とは湊浦浜なりという。とある。

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 湊の立神(たてがみ)岩は、国道204号線から海側の脇道を300mほど入った「鰐が浦」の懸崖(けんがん)にある。玄武岩の断崖が荒波によって侵食され、崩れた岩塊が幾重にも重なりあったなかに、周囲約6m、高さ約40mの男岩・女岩が、巨大な岩柱となって直立し、天に向かってそびえ立っている。その圧倒的な量感は、SF映画に登場する斬新奇抜な要塞のように見える。

 崩落の原因は、柱状節理の岩盤が節理面の風化によって崩壊したものと考えられる。海岸からだと、男岩・女岩の2本の柱状岩は重なりあって1本にしか見えない。海岸沿いの遊歩道に「これより先一般の方の立入は、御遠慮ください」との案内がある。たしかに足元は悪く、落石の危険もあるのだろう。これ以上岩場に近づくのは止めておいた。

 他にもビュースポットはないかと、犬の散歩をしている御仁に尋ねてみると、背後の山に展望台があるという。駐車場にもどり山側の散策路を登ってみた。歩くこと約10分。好天のこの日、展望台からの眺めは絶景だった。風のない穏やかな海が眼下に広がり、水面は真昼の太陽を反射して銀色に光っている。玄界灘に沿った海岸線が大きな弧を描き、男岩と女岩、別名「夫婦岩」もすぐ間近に見ることができた。
 
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 前回アップした「佐用姫岩」でも述べたが、玄界灘に面した唐津地方一帯は、『魏志倭人伝』に見える「末盧国(まつらこく)」に属し、古代から大陸との外交・防衛の拠点であり、本土上陸の玄関口であった。倭国と百済、新羅を往還する船の上から見える異様な奇岩は、畏敬の念で眺められていたと思われる。

 また玄界灘は、対馬海流が流れ込み、大陸からの季節風が吹き込む荒海であり、同時に世界有数の漁場でもある。漁師の魚場決定のランドマーク的役割を担うと同時に、神の依り付く岩として、豊漁・海上安全を祈っていたのではないだろうか。

 「立神岩」と名のつく岩や岩礁、岩島は、全国各地に存在する。有名なところでは「与那国島の立神岩(沖縄県)」「枕崎市の立神岩(鹿児島県)」「淡路島・沼島の上立神岩(兵庫県)」「大田市波根町の立神岩(島根県)」などがある。どれも岬の向こうにそそり立つ岩礁を神の姿に見立て、古くから信仰の対象とされてきたものである。

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2019年4月22日 撮影

案内板。


玄界灘の荒波をまとも受ける海岸は九州サーフィン発祥の地といわれている。