|

八幡半島・左京鼻の突端に「左京鼻龍神「が祀られている。 岬の先端に立つ赤い鳥居は、海を航海をする人々のメルクマールとなり、信仰の対象になっていたと思われる。

海岸線には、高さ20mの切り立った海蝕断崖が約1km以上も延々と続いている。

左京鼻の沖合いに立つ「観音柱」。壱岐の8本柱の一つとされている。

玄武岩の柱状節理によって生まれた観音柱。海鵜の休息場となっており白い模様は海鵜のフンによるもの。
|
壱岐の東海岸、八幡(やはた)半島の突端にある「左京鼻(さきょうばな)は、玄界灘に侵食されてできた高さ20mばかりの海食崖(かいしょくがい)で、眼下には玄武岩の柱状節理によって生まれた大岩と、泡立つ荒波が広がっている。
左京鼻の「鼻」は、海に細長く突き出した陸地の先端部を示す「出鼻(でばな)」の意で、岬、崎(さき、みさき)と同義である。「鼻」が付いた地名は全国にあるが、中国・四国・九州地方に比較的多いという。
地名の由来については、次のような伝説がある。
江戸時代の元禄期(1688〜1703年)、壱岐は大旱魃に襲われ人々は生活に苦しんでいた。そこで村人は2人の行者に雨乞いを頼む。陰陽師の後藤左京と地元の竜蔵寺五世の日峰昌高和尚は村民の要望に応え、雨乞いの祈祷を行った。2人は一心不乱に祈ったが、雨は降らない。そして、ついに満願の日を迎えた。
責任を感じた後藤左京は、岬の断崖から身を投げようと席を立つ。また、日峰和尚は周囲にある麦わらに火を点じて、自らに火を付けようとした。まさにその時、一天にわかにかき曇り、車軸を流すような豪雨となって山野を潤した。
左京鼻の地名は、雨乞いを行った後藤左京の名に由来するともいわれるが、切り立った石があるので「石橋の端(しゃきょうのはし)」から出た言葉であるとも伝えられている。
◎◎◎
古来より、「岬」は常世(とこよ)から神が依り来る聖なる場所であり、また、神が常世へと旅立つ場所であった。上記の雨乞い祈祷が行われた場所は、左京鼻の先端にある「左京鼻龍神」であったと思われる。
神社には、切り立った断崖上の道を歩いていく。この日も風が強かった。ちょっとしたスリルを感じつつ、ソロリソロリと歩いていった。
左京鼻龍神は、猫の額ほどの小さな神社だった。中には、小さな鳥居と祠、なんだか分からない屋根状のものがついた金属箱が据えられている。三方をブロック塀に囲まれた殺風景な空間に思えるが、すさまじい強風が吹きまくることを考えると致し方ない。周囲も見渡すかぎり草と灌木のみで、立木は一木もない。
当社の由緒は定かでないが、祀られているのは神社名にある「龍神」であろう。龍神は、もともと日本の自然信仰にあった水神や蛇神と結びつき、雨を降らせる神として祀られてきた。村人にとっては、地域を守る大切な神様であったのだろう。
「猿岩」のページで、壱岐島誕生神話の八本柱について触れた。左京鼻の100mほど沖合いに、海中から突き出た奇岩が見える。これが「観音柱」と呼ばれるもので、壱岐の西海岸にある「猿岩」のほぼ対極となる島の最東部に位置している。
観音柱は、壱岐島が流されてしまわないよう神様が立てた8本の柱の1つとされている。折口信夫(おりくちしのぶ)の『壱岐民間伝承採訪記』の「生き島」に記されている「八幡の鼻」に相当する「折柱(おればしら)」である。かつては「夫婦岩」とも称されていたが、平成17年(2005)3月20日の「福岡県西方沖地震」で男岩が崩れてしまったという。
|

左京鼻龍神神社の神域。
|

すさまじい風が吹き付ける左京鼻龍神神社。
|
左京鼻からの帰路、八幡半島南西側の漁港・八幡浦にある「はらほげ地蔵」に寄った。昔は集落の入り口にあったというが、現在は、港湾西側の海に突き出した場所に、赤い帽子と胸当てをかけた6体の地蔵が海を背にして据えられている。明治期からはじまる護岸埋立の整備のため、数回にわたって移転を繰り返し、平成17年(2005)に現在の位置に落ち着いた。移設前は、満潮時には頭まで海に浸かっていたが、現在は腰までしか潮がこなくなったという。
はらほげ地蔵の建立年代は不詳だが、この地区では江戸時代から六地蔵を祀る風習があったという。
仏教では、人が死ぬと生前の善行や悪行のいかんによって、行く先が、地獄道、餓鬼(がき)道、畜生道、修羅道、人間道、天道の「六道(ろくどう、りくどう)」に分かれるとされている。六地蔵は、六道に行って苦しんでいる死者を救う6体の地蔵菩薩のことをいう。
海を背にして並ぶ6体の地蔵は、長年海辺に据え置かれていたことによりかなり風化している。旧時の暴風雨で倒れ、首が折れて無くなったが、今は自然石の丸石を頭に載せてセメントで接着してあるという。
◎◎◎
「はらほげ地蔵」の名は、6体のお地蔵さんの腹に丸い穴が空いていることに由来する。地元の方言では「穴があく」を「穴がほげる」という。この穴を確認したいと、罰当たりなことは承知でお地蔵さんの赤い胸当てをめくってみた。胸には2cm大の丸くて浅い穴が空いている。穴はお供え物を置く場所であるというが、この小さな穴にどのようなお供え物をいれたのか? 真相はよく分からない。
八幡浦は「海女の里」として知られており、今も海女が、古代の海人族からの伝統の潜水漁が営まれている。また、江戸時代、壱岐はクジラの回遊路にあり、八幡浦はその捕鯨基地であった。はらほげ地蔵は、海女漁の海難者の霊を弔ったものとか、鯨の供養のためのものではないかといわれている。
撮影を終え、近くの「はらほげ食堂」で昼食をとった。看板メニューは「うにめし」だが、私は食わず嫌いでウニ・カキ・貝を口にしたことがない。「刺身定食」を注文が、さすがに漁港近くの人気店だけのことはある。美味しくいただいた。
◎◎◎
2023年12月25日 撮影
|

はらほげ地蔵の胸にある丸い穴。
|

海を背にして並ぶはらぼけ地蔵。満潮になると腰まで海水につかるという。
|
|