幅127m、高さ31mの一枚岩からなる和合山のおうむ岩。


おうむ岩。岩壁の前に玉依姫命の小祠が祀られている。


「語り場」。建物の中に拍子木が置かれている。


「聞き場」。語り場で打った拍子木の音が、おうむ岩に反響してここまで聞こえてくる。
 天の岩戸(恵利原の水穴)から約4km南下した神路川(かみじがわ)沿いの国道167号線に「おうむ岩←1.3km」の案内板が見える。

 おうむ(鸚鵡)岩は磯部町恵利原(えりはら)の和合山(わごうさん)の中腹にそそり立つ高さ31m、幅127mの巨大な岩壁のことをいう。
 岩のそばの谷間に「語り場」と「聞き場」と呼ばれる建物があり、「語り場」の中で声を発したり、備え付けの拍子木を打つと、音が岩壁に反響して約50mほど離れた東屋(あずまや)風の「聞き場」にいる人の耳に、あたかも「オウム返し」のごとく、その声や音が岩から発せられることから「おうむ岩」と名付けられた。

 和合山は、伊勢神宮から磯部町の別宮・伊雑宮(いざわのみや)に至る参拝コースの途上にある。おうむ岩は、その不思議さから「物いう石」とも呼ばれ、文人・墨客が立ち寄る名所の一つとして知られていた。
 江戸時代前期、霊元(れいげん)天皇の叡覧に供したという記録もあり、寛政9年(1797)に刊行された『伊勢参宮名所図会』にも「物の音に答ふる事、石の物いふがごとし、其の声を聞所あり、是を聞石といふ。声を発する所是をかけ石といふ」と記されている。

 案内板には「石英岩の大岩壁」とあるが、おうむ岩周辺の露頭から三畳紀の放散虫のプランクトン化石が見つかっており、地質学的には秩父帯南帯のチャートと思われる。

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 「物いう石」の正体が、音が岩に当たって反響するエコー現象であることは、言うまでもないだろう。現代では少しも不思議なことではないが、古代においては自分たちに理解不能なものは、すべて「物の怪(もののけ)」のしわざとされ、妖怪、精霊が引き起こす摩訶不思議な現象と捉えられていた。

 案内板には、元禄時代の頃、山中を歩いていた二人の者が、この岩の下で休憩を取り、談笑していたところ、岩の中から話声が聞こえてくるので大変驚き、山の霊の仕業とおののき恐れ逃げ帰ってしまった。この話を聞いた勇気ある者たちが幾度か試すうちに、ついに岩の反響による現象だと気がついた。というおうむ岩発見の由来譚が記されている。

 古代信仰において、「山彦(やまびこ)」は、山の神や山の精、あるいは山に棲(す)む妖怪のしわざであり、「木霊(こだま、木魂、谺)」は、樹木に宿る精霊が応えた声であり、森羅万象ことごとく神霊を宿し、人語を発すると信じられていたのだ。

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 おうむ岩の前にある小さな祠には、神武天皇の母であり、龍神を束ねる海神族(わたつみぞく)の祖先とされる玉依姫命(たまよりひめのみこと)が祀られている。
 また、おうむ岩の「語り場」を少し下ったところには、「倭姫機織場(やまとひめはたおりば)」と呼ばれる旧蹟がある。倭姫命は天照大神を祀るふさわしい場所を探す旅をして、現在の伊勢神宮を創建したとされる伝説上の皇女である
 さらに、江戸時代中期の旅行家・百井塘雨(ももいとうう)の『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』には、磯部の御師(おんし)が和合山を稚日女尊(わかひるめのみこと)の神跡と語ったくだりがあり、和合山で機織りをしたときにかけた「絹かけ松」なるものがあると記されている。稚日女尊は書紀神話の素戔嗚尊(すさのおのみこと)のご乱行で、素戔嗚が逆剥(さかは)ぎの馬を織殿(はたどの)に投げ入れたために梭(ひ)で傷ついて亡くなった天照大神に仕える機織の女神である。

 3柱いずれも、後世に附会された伝承と思われるが、古代には和合山は、伊雜宮背後の神体山として神聖視され、崇められていたのではないだろうか。

 おうむ岩の頂上には展望台がある。勾配のきつい石段があるというで、私は行くのをためらったが、そこからは一面に広がる磯部の田園風景と、天気が良ければ遠く志摩半島まで見渡すことができるという。

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2022年6月28日 撮影


おうむ岩周辺案内図。

『伊勢参宮名所図会』に描かれた和合山の鸚鵡岩。「うぐいすや 内外にわかる あふむ石」の歌が添えられている。