参道に立つ二之鳥居。扁額には「天の岩戸」と記されている。


落差約2.5mの「禊の滝」。現在も滝行が行われており、そばに更衣室が用意されていた。


天の岩戸と称される恵利原の水穴。洞穴からは湧き出る水は環境省の名水百選に選ばれている。


恵利原の水穴。伝承によると奥に行くほど広くなっているという。


「天の岩戸」の拝殿。天照大神、滝祭大神、泣沢女神、美都波女神、猿田彦大神の5柱が祀られている。


江戸時代の『伊勢参宮名所図会』には、恵利原の水穴は「天の岩戸」ではなく「瀧祭窩」として紹介されている。
 周知のように、日本神話において最も重要な一場面とされる「天の岩戸」は、太陽神である天照大神が弟・須佐之男命の乱暴な振る舞いに怒り、自ら岩屋に籠もってしまい、世界が暗闇に包まれるという岩戸隠れの物語である。

 天の岩戸神話の伝承地は全国に数多ある(ウィキペディアには、天の岩戸に関連する神話の舞台として20カ所が掲載されている)。伊勢神宮を有する三重県内にも今回紹介する「恵利原(えりはら)の水穴」の他に「高倉山」と「二見興玉(ふたみおきたま)神社」の3カ所の「天の岩戸」が知られている。

 高倉山は、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の神域内にある標高116mの山域で、山中に20数カ所の岩穴があり、その中の古墳時代後期の円墳・高倉山古墳の石室が、江戸時代末期まで「天の岩戸」として信仰の対象となっていた。
 残念ながら、現在は禁足地となっており、一般人が見学することはできないが、江戸時代には参詣者で大いに賑わい、外宮の参拝を済ませた人々が、御師(伊勢地方では「おんし」と読む)に導かれて「高倉山の天の岩戸」をお詣りするのが、外宮参詣の道順であったという。

 ちなみに、高倉山古墳の墳丘は直径約32m、高さ約8m。内部構造は両袖式の横穴式石室で全長18.5m、幅3.3m、高さ4.1m。全国でも屈指の規模を誇り、奈良県明日香村の石舞台古墳にならぶ広さをもつ。昭和50年(1975)に行われた発掘調査では、須恵器、土師器(はじき)、馬具、鉄刀、刀子、玉類などが出土している。

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 天の岩戸(恵利原の水穴)は、志摩市磯部町の神路(かみじ)ダムの上流、逢坂山(おうさかやま)中腹の恵利原地区を流れる神路川の水源地にある。

 撮影に訪れたこの日は、太陽の光がまぶしいドピーカンの好晴だった。天の岩戸の駐車場から杉木立に囲まれた参道を5分ほど歩く。木陰は暗くひんやりとして、初夏の暑さをまったく感じさせない。しばらく進むと「禊(みそぎ)の滝」と呼ばれる落差2.5mほどの水行場が見え、一筋の清流が音を立てて流れ落ちていた。

 天の岩戸と称される「恵利原の水穴」は、この禊の滝の後方にあった。洞口の高さは約1m、幅約80cmほどで、入り口に小さな鳥居が立てられており、2本の竹の筧(かけい)から清らかな水が流れ出ている。周辺は、石灰岩の岩山で、水穴から湧き出す水は日量3万1000トンに及ぶという。

 寛政9年(1797)に上梓された『伊勢参宮名所図会』第5巻には、恵利原の水穴は「天の岩戸」ではなく「瀧祭窩(たきまつりのいわや)」として紹介されている。
 水穴の横にある拝殿には、以下の5柱が祀られており、そのそばに水の神とされる「罔象女大神(みつはのめのおおかみ)」と刻まれた石碑が立てられている。
 天照大神(あまてらすおおみかみ)
 滝祭大神(たきまつりのおおかみ)
 泣沢女神(なきさわめのかみ)
 美都波女神(みつはのめのかみ)
 猿田彦大神(さるたひこのかみ)

 滝祭大神は、天照大神を祀る伊勢神宮内宮の御手洗場(みたらし)の近くに鎮座する所管社「瀧祭神(たきまつりのかみ)」の祭神で、五十鈴川の水源の神とされている。また、泣沢女神と美都波女神も日本神話に登場する水の神、猿田彦大神は二見興玉神社の祭神で道開きの神として知られている。

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 恵利原の水穴は、昔時から「背すり腹すり」と呼ばれており、伝承によれば、洞内は奥に行くほど広くなり、入り口から十間(18m)ばかりのところに高さ六尺(10.9m)ほどの小瀑布があり、そこに水の神が祀られているという。伝承の真偽は定かではないが、何はともあれ、この水穴を見た刹那、なんとも奇妙な違和感を覚えたことは否めない。この小さな洞窟に、天照大神が「背すり腹すり」をして潜り込んでいく姿を想起できないのである。

 江戸時代、恵利原の水穴が「瀧祭窟」と称されたのは、当地が雨乞いの神事が行われる聖地であり、古くから内宮の「瀧祭神」と同様の水の神である「龍神」が祀られていたためだろう。

 察するところ、恵利原の水穴が「天の岩戸」と称されるようになったのは、明治以降のことではないだろうか。それ以前、伊勢の天の岩戸と言えば「高倉山」であったが、ここが禁足地となって封印され、伊勢参宮の案内書からも取り除かれたことで、「恵利原の水穴」が新たな天の岩戸の伝承地として浮上したのではないかと推察する。

 最後に、当サイト内の「天の岩戸」に関するページをリンクしておいた、こちらも参照されたい。
 宮崎県の「天安河原宮
 京都府の「日向大神宮の天の岩戸
 滋賀県の「白鬚神社の岩戸社
 山梨県の「石割神社
 奈良県の「天乃石立神社

 なお、「二見興玉神社の天の岩屋」と「内宮の瀧祭神」は後日の公開を予定している。

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2022年6月28日 撮影


天の岩戸神話を描いた
『伊勢参宮名所図会』の「石窟幽居」。
『伊勢参宮名所図会』は、数ある江戸時代の
観光ガイドブックの決定版ともいえる。

案内板。