後尾集落の巨巌の島「影の神」。島の長径は約125m、高さは30mを優に超えるだろう。


岬の突端に、影の神を遥拝する小さな祠が置かれている。


漁を終えた磯舟が帰ってきた。巨岩が聳える磯辺は、サザエ、アワビ、海草、黒鯛などの宝庫とされている。


岩面に見られる流理構造(縞模様)は、粘性の高い溶岩がゆっくりと流れたことを示している。


県道側から眺めると墓地が並ぶ高台があり、その背景に影の神がそびえている。
 外海府(そとかいふ)海岸の中央付近、「龍王大明神」が鎮座する藻浦崎(もうらざき)から県道45号(佐渡一周線)を2kmほど北進した後尾(うしろお)集落の西端に巨巌の島「影の神(かげのかみ)」がある。

 2021年10月に亡くなった漫画家・白土三平の『忍者武芸帳』や『カムイ伝』に出てきそうなミステリアスなネーミングは、島内最高峰の金北山(きんぽくさん、1172m)山頂の祠堂の影が、日の出の際に影の神の巌に映ることから名付けられたといわれている。
 また、影の神のシルエットが、牛が眠っている姿に見えるといわれ、金北山の神の使いである牛が固まったものという伝承も残されている。金北山山腹の平坦地は、江戸時代中期からウシ、ウマの放牧が盛んであったことから生まれた伝承と思われる。

 金北山は、影の神の南南東約8kmの地点にある。元は「北山(ほくさん)」と呼ばれていたが、佐渡金山の奉行として名を馳せた大久保長安(ながやす)によって、相川金銀山の北にある山ということで「金北山」と名称を変更された。

 金北山は、佐渡びとから「オヤマ」と呼ばれ、古くから信仰の霊山としてあがめられてきた特別の山である。そのため、島の男子が7歳になると「初山かけ」と称して、父兄に伴われ金北山に登山した。
 「初山かけ」には、まず海に入って潮垢離(しおごり)をして、浜の小石を自分の歳の数だけふところに入れて出発した。中腹で日の出を拝み、山頂に着くと、オヤマが少しでも高くなるようにと願い、祠のまわりに小石をまいた。帰りには、山上に群生するナギ(佐渡ではシャクナゲ(石楠花)のことをいう)を数本折って持ち帰り、神棚に供えて健康を祈願した。

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 かつては、金北山と影の神は、ともに女人禁制とされ、佐渡には、
「ネショウ(女)の いかぬ所
檀特山(だんとくさん、905m)にオヤマ
それに続いて影の神」
 という古謡が残されている。

 金北山の山頂には、島の総鎮守とされる金北山神社が鎮座している。今日祀られている金北山神社の祭神は、本地(ほんじ)を勝軍地蔵とし、垂迹(すいじゃく)神を軻遇突智命(かぐつちのみこと)・大毘古命(おおびこのみこと)とする。 山頂に奥社を祀り、佐和田地区真光寺に里宮があり、影の神は海府側の里宮であったともいわれている。

 影の神は、陸地からわずか10数mの沿岸域にあって、岩質は灰色っぽい流紋岩(粘り気の強いマグマが急冷して固まった岩石)で、島の周囲は約320m、高さ約30mを超える巨大な一枚岩でできている。約2000万年前、佐渡が大陸の一部であった時代に、火道を満たしていた溶岩が周囲の地域から円柱状に突出して生じた溶岩ドームと考えられている。
 頂上部には槇柏(シンバク、ヒノキ科の常緑針葉樹)が密生しており、そこだけ帽子をかぶったような緑色を呈している。

 グーグルマップの航空写真で「影の神」を見ると、島の南西側に小舟が入れるほどの洞穴があるのが分かる。この洞穴の奥に、観世音の像が安置されており、ここで弘法大師が護摩を焚いて、祈祷をおこなったという伝承が残されている。

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 影の神から東に約400m離れた後尾の「石動(いするぎ)神社」には、沖を通る船の「帆下げ」伝説が残されている。海に臨む神仏の前を通る船は、かならず帆を三寸ほど下げて、神仏に敬意をあらわすという決まりがあり、これを「ホサゲ」と呼んだ。このホサゲをしないで進む無作法な船は、海を見守る神仏が船の航進を止めたといわれている。

 海から陸を眺めたとき、岬やその先にある島や岩が、恰好の目印(ランドマーク)となり、船人が船の位置を確定する「山当て」の指標となった。
 石動神社に残された「ホサゲ」の遺風に、影の神が船人たちの精神的なシンボル、心の拠り所となっていたことが、ありありとうかがわれる。

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2021年6月26日 撮影


影の神から眺めた外海府海岸。


影の神から眺めた大佐渡山地。2015年の後尾集落の世帯数は34戸、人口は84名である。