北片辺の岬突端にある龍王大明神の龍金岩。周辺は藻浦崎公園として整備されている。


龍王大明神参道。白木鳥居の前に青銅製の狛犬が鎮座している。


鳥居をくぐりと岩を回る遊歩道が両側にあり、龍王大明神の社殿に至る。


龍金岩を背にした「龍王大明神」の社殿。


藻浦崎公園。例年5月下旬から6月上旬にかけて、群生するイワユリの花が見頃を迎える。


岬の突端は岩礁地帯、東側には砂洲が広がっている。
 相川から県道45号線(佐渡一周線)を北進し「鹿ノ浦(かのうら)トンネル」を抜けると、安寿と厨子王の伝説で知られる鹿野浦集落があり、そのすぐ先の「南片辺トンネル」を抜けると、木下順二の『夕鶴』で知られる北片辺(きたかたべ)の集落に到着する。

 ここ北片辺は「鶴の恩返し」のルーツとなった「鶴女房」が語り継がれた民話の里であり、木下順二に『夕鶴』の原話「鶴女房」を語った道下ヒメ(当時72歳)が住んでいた集落でもあった。
 昭和24年(1949)に発表された戯曲『夕鶴』は、男に助けられた鶴が、人間に姿を変えて嫁に来て、毎夜、自らの羽を抜いて美しい布を織っていたが、ある夜、物欲にかられた男は、絶対に見てはならぬという女との約束を破り、機(はた)を織る鶴の姿を見てしまった。正体を見られた女は、男の元を去り、傷ついた鶴となって空に帰っていく。という物語である。

 木下順二が、この話を北片辺集落で聞いたことから、この地は「夕鶴の里」と名付けられ、県道45号線沿いにある廃校となった北片辺小学校分教場の校庭内に作者自筆の記念碑「夕鶴の碑」が立てられている。

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 佐渡島最北端の弾崎(はじきざき)から相川地区の尖閣湾までの約50kmの海岸を外海府(そとかいふ)という。とりわけ日本海の荒波が押し寄せる地域で、かつて佐渡のなかでも秘境と呼ばれていたところである。

 外海府の大地は、約3000万年前から2000万円前までの火山活動でできた岩石でつくられている。火成岩から成る複雑な構成で、周辺の岩場から、緑色を帯びたグリーンタフ(緑色凝灰岩)や灰黒色の玄武岩、白っぽい色の流紋岩やデイサイトなど、マグマ由来のさまざまな岩石を見ることができる。
 一帯には海岸段丘が発達しており、海食を受けた岩盤が岩礁として残り、奇岩、奇勝が散見される県下随一の景勝地として「佐渡弥彦米山国定公園」の一つとなり、「佐渡海府海岸」として国の名勝にも指定されている。

 北片辺の小さな岬の突端にある藻浦崎(もうらざき)公園に「龍王(りゅうおう)大明神」、別称「リュウゴンさん」が祀られている。火山岩でできているご神体の「龍金岩(りゅうごんいわ)」は、高さは5〜6mほどで、赤みを帯びた褐色の岩肌は、空気に触れていた溶岩が酸化して酸化鉄ができたためと思われる。
 龍金岩の前には、白木の神明鳥居、その前に青銅狛犬が鎮座している。鳥居をくぐり、岩の隙間の階段を上がると「龍王大明神」の扁額が掛けられた社殿がある。

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 藻浦崎周辺は、どこかひなびたところが感じられる海辺の村のように見える。地元の住民は半漁半農の生活を営んでいるのだろう、岬南側の波止場には船小屋が連なっていた。藻浦崎の地名も、海藻(かいそう)の豊富なことにちなんで名付けられたものと思われる。
 龍王大明神は、こうした地元漁民が、海上安全と豊漁を願って祀られた神であろう。

 わが国で「龍王」は、中国伝来の龍神信仰と日本の水神・蛇信仰が習合した、水をつかさどる神とされている。民間伝承では、水神の象徴として蛇、龍などがあり、これらは水神の神使(しんし)と考えられていた。明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つとされている。

 龍王大明神は、「新潟県神社庁」の4700社にも記載のない、無格社のうちにも数えられない神社であるが、海に突き出た藻浦崎は、古来より神々のより来る聖なる場所であったのだろう。
 海岸に屹立する龍金岩は、藻浦崎のシンボル的存在として、また、海に生きる漁師や船乗りのメルクマールとして信仰の対象になり、その凛々しい立姿は、まさに海に立つ神の姿と捉えられていたと思われる。

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2021年6月27日 撮影


社殿に掲げられた「龍王大明神」の扁額。



北片辺は半漁半農のようで、海岸沿いには船小屋が連なっていた。