秩父札所『午歳総開帳』巡礼記

秩父34ヶ所観音霊場を気の向くまま、のんびりと歩きます。
午歳は観音様を開帳するので、にぎやかさのなかでの巡礼となります。
一巡すれば100キロとなりますが、時間的な制約もあり交通機関も利用しますが
風光明媚な巡礼道に身をまかせて・・・

第2回目(3月22日・金)

法雲寺から30番(宝雲寺)へは、車で15分くらいである。荒川と木立の山に囲まれて
清清しい風に吹かれて気持ちがいい。
白久駅をまたいで往く。ここはキャンプ場が多く、夏場はにぎやかである。

『昭和39年に高校を卒業して、就職して、職場の空手部に入り、そして1年後夜間大学
に通った。
ここのキャンプ場は、職場の組合活動の青年婦人部(当時)で、毎年ここでキャンプが行
なわれた。
昭和40年代で組合・反戦運動が盛んだった。県内の組合の交流を目的としたキャンプで
もあり、大勢の参加者があり活気があった。
キャンプファイヤーは、古い枕木を持ち込んで本格的なものだった。
夏の夜空に燃え盛り、それに照らされてみんな生き生きしていた。
20代は、空手と学校と、毎日が忙しかったが寮生活なので食事の心配がなかったのは
大きかった。
寮生は12人、6畳2人で生活した。屋久島・長野・富山・秋田からとさまざまであり、それ
ぞれ県民性を発揮して愉しかった。
この頃、屋久島へ連れて行ってもらった。
屋久島といえば、縄文杉で有名であるが、当時は直接まじかに見、触った。
最近、ある映画で屋久島の縄文杉を見たが、なんか囲いみたいものが張り巡られてあり
なんかかってが違っていた。
屋久島の彼は、43歳の若さで奥さんと子供2人残して逝ってしまった。
そして、大学4年の時は、全共闘が学校閉鎖をしてほとんど授業は出来なかった。
学校側は、年が明けて3ヶ月間、別な場所で授業を行い、我々は卒業した。』