秩父34ヶ所観音霊場を気の向くまま、のんびりと歩きます。
午歳は観音様を開帳するので、にぎやかさのなかでの巡礼となります。
一巡すれば100キロとなりますが、時間的な制約もあり交通機関も利用しますが
風光明媚な巡礼道に身をまかせて・・・
第1回目(3月10日・日)
キッカケは、職場の同郷の友人の訃報を聞き秩父に向かう途中秩父線熊谷駅で手に取ったパンフ
レットに3月10日から6回にわたりハイキングとしての札所巡りの案内があった。
友人の通夜は11日・告別式が12日となり10日が一日あいたので友人の供養として歩くことを考え
た。
・・黒谷駅9時30分にスタートし1番へ・・
今年は、例年に比べて暖かい、梅も通常より10日も早く咲き満開である。もう桜の開花だよりも聞こえる。
この日は4月下旬から5月上旬の陽気とか、多くの人たちは羽織ったものを脱ぎ始めるように汗ばむ。
急遽に思いついたこの日はトックリセーターにジャンバーのいでたちなので暑い、そして運動靴も新しい、
足になじむまでなんとなくぎこちなさがある。しかし巡礼道は春ののぞかさがいっぱいで気持ちがいい。
途中、我が家の菩提寺である瑞岩寺を見ながら歩く。お盆の施餓鬼には来る。
『父は福島の猪苗代町片田舎の生まれで、父の親戚の先輩に連れられて秩父セメント(当時)の下請け会
社に入社し、そして秩父セメントの従業員となり定年まで勤め上げた。
77歳で亡くなり、お寺もなく困っていたが姉の嫁ぎ先の菩提寺を紹介された。実家も曹洞宗でもあり檀家
にしてもらい、供養していただく。お墓は秩父聖地公園にある。』
陽射しが強くなってきた、ほどなく20分ぐらい歩くと一番(妙音寺・通称四万部寺)に到着。
一番の住職は、中学時代の担任の先生である。あいにく留守のため会えず。このお寺は関東三大施餓鬼
で有名(毎年・8月24日)
皆ここからスタートということで張り切っているようだ!!
一番を後にして、標高665mの高篠山の中腹にある二番(真福寺)へ向かう。ここへは、秩父巡礼道の数箇所
ある難所と云われている。
ダラダラ続く坂道を40分かけて登る、ほとんどの人は数回休憩するが50代の半ばであるが休まずに登り切る。
まだまだ若いということを確認した。
『亡くなった友人は私より3つ年下で、高校の後輩で職場の寮(浦和・今さいたま市)に入ってきた。紅顔の美少
年だった。
その頃、日曜日は寮母さんはお休みで、夕食は二人三人連れ立って居酒屋風の店でよく飲みながら食事した。
彼とは良く談論した。彼はすべて運命のもとにありそれに従って生きていくんだと話した。
私はそうじゃないよ、自ら切り開いていくものだと良く言い争った。
それから30数年、、彼は独身を通した(なぜだか分からないが)。でもいつも明るく人をなごませる優しい顔で接
していた。私もそんな彼の笑顔で幾度も救われたことがある。
お通夜の導師様の法話の中で、人は生まれたときから寿命を持っている。その中でどう生きてきたかここで皆さ
ん故人を偲んで考えるのがお通夜だと話された。
もって生まれた寿命といわれてしまうと「なんとなく寂しいが納得してしまう」。
彼の親しい友人から、母親と妹から次のような話を聞いた。
彼の入院先は、秩父から山を越えた西部地方であったが、最後の時、秩父の方を指しながら肯いていたという。
母親も身体の調子を崩し入退院の繰り返しであったそうだ。家に帰っている時はヘルパーのお世話になっている
いた。そして、彼が入院する時、そのヘルパーさんに、母親の好物等をメモして置いてあったそうだ。
彼の優しさが偲ばれる。
もしかしたら、彼は自分の寿命を知っていたのか?・・・1年半の闘病生活であったが・・・』
そんなことを思いながら、息せきながら登った。
中腹に辿り着き開けた所に本堂があった。
通りすがりに桃の花が満開である。
きつい山登りあとの清清しさの中での巡拝、皆満足そう!!
桃の花満開!!