夕食はホテルレストランでチョルバ(チキンの煮込みス−プ)
 
ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿
ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿
ペレシェ宮殿 ペレシェ宮殿 シナイア修道院教会 シナイア修道院教会
聖ニコライ教会・学校博物館 聖ニコライ教会 黒の教会 ブラショフ旧市庁舎
 5月7日(土):
ホテル出発7時30分。世界遺産シギショアラへ。約2時間の走行。シギショアラの歴史は1191年ハンガリ−の王の命でザクセン人が入植したことに始まる。トランシルヴァニアの中心の都市で中世には15のギルドをもつ城塞都市として繁栄を極めた。現在も中世の面影を多く残した町並み。1556年に建てられた高さ64mの時計塔は市のシンボルで現在は歴史博物館になっている。現在も機械仕掛けで人形が動くからくり時計は現役である。屋上から見る赤レンガの町並みの眺望はすばらしい。時計塔の見学後、屋根月の階段を上り山上教会へ。靴職人の塔も近くに見える。
 ヴラド・ドラクルの家のドラキュラ・レストランで昼食。ブラム・スト−カ−の恐怖小説ドラキュラ(1897年)のモデルとされている15世紀のワラキア公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)の父ヴラド・ドラクルが1431年〜1435年の4年間ハンガリ−王によって幽閉された家で、現在はドラキュラ・レストラン(カサ・ヴラド・ドラクル)になっている。ヴラド・ツェペシュがモデルとされているが、実際のところ使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけ。昼食の途中、ドラキュラのマスクをつけた人が部屋に入り、写真のモデルに。
 シギショアラの観光後、約2時間30分の走行でブラン城へ。小雨が降ってきたが、城の前は大変な人ごみ状態。有料トイレ1レフ。ブラン城は恐怖小説ドラキュラのモデルとなっった城で有名であることが人気を呼んでいるようだ。1377年ドイツ商人がオスマン軍の進軍を早く発見するために築いた中世の城塞で1920年にはル−マニア国王フェルデッィナンド1世の王妃マリアにブラショフ市より寄進されその住居となっていた。1948年王家の国外追のあと、共産主義政権により国の財産となったが2006年マリア王妃の遺産相続人に返還されている。ブラム・スト−カ−の小説ドラキュラのモデルとされた串刺し公ヴラド・ツェペシュはこの城には住んでいなかったと考えられており、居城としていたのは彼の祖父ミルチャ公である。
 城の前には大きなギャラリ−があり、多くのみやげ物の店が並んでいる。カ−ドの支払いはだめの店が多い。
ワラキア公ヴラド・ツェペシュは近隣尾オスマン帝国・ハンガリ−・ポ−ランドとの関係の思惑や自領の争いに串刺しという刑罰を仮借なく行い。君主としての権威性をあらわそうとしたものか。現在ではル−マニアでは愛国者ともされていることもある。
 ブラン城の観光後3時間30分の走行でブカレストのRIN GRAND HOTELに。夕食はホテルレストランでミティティ(豚肉のミニハンバ−グ)。

総走行距離:475km
世界遺産シギショアラ  石畳 時計塔 歴史博物館 時計塔 歴史博物館 ヴラド・ドラクルの家 レストラン
ヴラド・ドラクルの家 レストラン 世界遺産シギショアラ 時計塔 歴史博物館 時計塔 歴史博物館 より
時計塔 歴史博物館 より 山上教会 ブラン城 ブラン城
ブラン城 ブラン城 ブラン城 ブラン城
 5月8日(日):
 朝食後、ホテルから近くのス−パ−・カ−ルフ−ルに行く。リュックサッウをしてると、ビニ−ル袋に機械で包み込まれた。ジェロビタ−ル化粧品はこのス−パ−が一番安いようだ。フェイスクリ−ム29レフ(約900円)ハ−ブ茶などを少し購入する。同じ化粧品が10倍くらいの値段でインタ−ネットに見られるのには驚いた。
 予定では9じ30分の出発だったが、国民の館の観光予定の時間変更で11じの遅い出発。最終日の今日は日曜日でブカレストの観光。日ごろ混み合っている道路もすいておりスイスイと走れた。広大な敷地の国民の館の周りをバスは一周してくれた。その大きさと四方から見て同じに見える建築。
 ブカレスト最初の観光は統一広場の近くの大主教教会。3つのド−ムがあるギリシャ正教の教会。日曜日のミサが行われていた。ビカレストはバルカンの小パリと称されるほど美しい町並みであったが現在其の面影をとどめているのは旧市街の一部と凱旋門のあたりだけである。その旧市街の一角にあるレストランで昼食(トキトゥ−ラ(豚肉のグヤ−シュ)
 昼食後、車窓よりのブカレスト観光。ブカレスト大学、凱旋門、国営テレビ局、農民博物館、ヴィクトリア広場、ジョルジェ・エネスク国立博物館(ル−マニア狂想曲の作曲家でル−マニアを代表する音楽家)、など。
 革命広場dバスを降りて歩く。旧共産党本部の前でチャウシェスク大統領が演説したテラス、屋上からヘリコプタ−で脱出しようとした1989年の民主革命の話をガイドより聞く。カルロ1世の騎馬像、共和国宮殿、クレッレスク教会818世紀のル−マニア生協の教会)、アテネ音楽堂、軍事博物館の前にあるル−マニアの歴史を刻んだ壁dガイドよりル−マニアの歴史の概説を聞く。

 ブカレスト最後の観光は午後3時の予約の国民の館。国民の館はチャウシェスク大統領が巨費を使い、造らせた巨大な現代の宮殿で世界で米国のペンタゴンに次ぐ2番目に大きい建物で部屋数はおよそ3017。現在は一部が国会議事堂。一部が観光用として使われている。使われていない部屋の電気は節電のため、消してあり、観光するグループが部屋に入るときに、ガイドが部屋の電気のスイッチを入れるのです。地下に入り口から入る。飛行場で見るレントゲン検査を受け、パスポ−トを預け、その代わりに入場許可票を首より下げる。ビデオ30レフ、カメラ30レフで撮影できる。館員のあんあいによるガイドツア−になっており、われわれのガイドが館員の説明を通訳。つるつるに磨き上げられた大理石の床にギリシャ神殿風の円柱が並ぶ長い廊下。壁には大きな額に入ったルネサンス風の宗教画が掛かっている。説明によるとロ−マのバチカンを舞台にした映画がここで製作されたときのもの。
 ゴシック様式のダンスフロアがあり、ドイツスタイルの会議室があり、その他ヨーロッパのありとあらゆる建築様式を取り入れた部屋が、尽きることなく並んでいる。天井は高く、シャンデリアは豪勢で、敷き詰められた絨毯ももちろん最高級のものである。ル−マニア国内から集められた大理石、シャンデリア等が使われおり、国民の生活をよそに、浪費された感

午後7時20分TK1046ブカレストよりイスタンブ−ルへ。1時間25分。イスタンブ−ル午後11時50分のTK046で関空に。座席は空席が10数席あり。約11時間5分のフライト。夕食と朝食。

5月9日(月)午後5時過ぎ関空に到着。MKシャトルゲ−トで帰宅する。偶然イタリア旅行に行かれたA先生と同乗に。
大主教教会 共和国宮殿 アテネ音楽堂 クレッレスク教会
軍事博物館の前のル−マニアの歴史彫像 軍事博物館の前のル−マニアの歴史彫像 旧共産党本部 革命犠牲者碑 革命広場
国民の館 国民の館 国民の館 国民の館
国民の館 国民の館 国民の館 国民の館
ブルガリア編へ
旅行記 へ
HOME へ