麗しき東欧周遊8日間
2011年5月2日〜5月9日
JTB西日本
ブルガリア編
                                                                                                                                 
 5月2日(月)〜5月3日(火):
 平成22年旅行しようと一度は計画した東欧ブルガリ・ル−マニアにトルコ航空で行くことにした。トルコ航空は夜10時30分のフライト。出発当日が日常の仕事に従事できる。また、帰国前日の午前中も観光に利用できるのが便利である。
 いつものようにMKスカイゲ−トシャトルを利用して関空まで。グル−プは26名。添乗員はYさん。5月3日AM5:30イスタンブ−ル。8:30のTK1027で9:45にブルガリアの首都ソフィア・ヴラジデヴナ国際空港に。空港でブルガリアの紙幣レブに両替する。4000円で56レブ。専用バスに荷物を持ち込み、ソフィア市内と世界遺産ボヤナ教会の見学。
 
 現地ガイドはご主人が元日本外交官のご夫人である中年のブルガリア女性。

 ソフィアはバルカン半島のほぼ中心に位置し、標高550mの地で古くから交通の要所として栄え、そのため紀元前数世紀の遺跡も市の中心部に発掘されている。ガイドさんによると日本の大成建設がソフィアの地下鉄工事を行ったときに多くの遺跡が発掘され、工事が1年延びたとの話し。気温22度。

 アレクサンドル・ネフスキ−寺院を最初に訪れる。黄金色のド−ムを持つ大聖堂は20世紀初期にロシア・トルコ戦争によってブルガリアをトルコから解放したロシア兵士を称え建築されたもので高さ45m。バルカン半島最大の正教会の聖堂。内部は薄暗いが大理石・瑪瑙を使い精巧なモザイクが壁面を彩っている。大きなシャンデリア。3つある祭壇。ガイドの説明を受け30分くらいの見学。その後、6世紀ビザンティン帝国のユスティニアヌス帝が建てた初期キリスト教会の聖ソフィア教会を見学した。

 昼食後、ソフィア郊外の世界遺産ボヤナ教会に。

 ボヤナ教会に1時過ぎに到着。静かな住宅地の奥にあり、小さな入り口をくぐり木々に囲まれた小道を歩く。教会は3つの部分に分かれており2階建ての東翼は10世紀後半〜11世紀初頭、中央棟は13世紀、さらに西翼が拡張された。教会の内部にはフレスコ画が描かれており、時代の違う第一層、第二層に重なっており、保存状態もよく美しい。内部への入場は入場人数に制限があり、少人数になっており我々は9人ずつ。2時過ぎに見学を終わる。

 其の頃より雨が降ってきた。ソフィア市内の戻り、雨の中、半地下式の聖ペトカ教会(14世紀。身廊ひとつの小さな教会)の内部見学。ツム百貨店の前をとおり、公衆温泉浴場、バ−ニャ・バシ・モスク(オスマン帝国時代を反映)、旧共産党本部の建物、工事現場の中心に高くソフィア像、シェラトンホテルに囲まれたロ-マ時代の遺跡の中の聖ゲオルギ教会(内部見学。ソフィアで現存する最古の建物。12世紀頃のフレスコ画)、聖ニコライ聖堂(ロシア正教会)を見学したのち、RODINA HOTELに午後5時。ソフィアと東京の時差は7時間。夕食は市内のレストランでカヴァルマ(豚肉と野菜のブラウンシチュウ)。

 
アレクサンドル・ネフスキ−寺院 アレクサンドル・ネフスキ−寺院 アレクサンドル・ネフスキ−寺院 ソフィア教会
聖ソフイァ教会 戦没者慰霊 世界遺産ボヤナ教会 世界遺産ボヤナ教会
世界遺産ボヤナ教会 世界遺産ボヤナ教会 世界遺産ボヤナ教会 聖ペトカ地下教会
聖ゲオルギ教会 聖ゲオルギ教会 ロ−マ時代の遺跡 バ−ニャ・バシ・ジャ−ミヤ
5月4日(水)
 今日はブルガリア観光のメインのひとつ世界遺産リラの修道院の観光。8時出発。リラへは2時間30分の走行。

 途中、コウノトリの里のコチェリノボに。建物の屋上や鉄塔の上にわらの巣がありそこに大きなコウノトリが生息している。以前ハンガリ−でコウノトリですとガイドの説明を受けたことがあるが、今回ははっきりと観察できた。ビデオに納める。

 リラの僧院に近づくに、ひとつの山の頂に十字架が見られた。バスで走る道路のそばには清流が流れており、なんとなく気持ちの落ち着く場所である。修道院に着いた頃より小雨が降る。

 リラ修道院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が隠遁の地としてこの場所に小さな庵を建て、その場所が中心となって中世の宗教文化の中心になっていった。現在の形になったのは14世紀。修道院の建物は1833年の大火事でフレリョの塔を除き、多くの建物が焼失した。4階建ての外陣に囲まれ、敷地の中央に聖母誕生教会が建っている。やや、奇妙な形をとった建物で、民族復興様式といわれるそうだ。19世紀半ばの建築。教会の外壁や外廊下の天井には一面にびっしりと色鮮やかな極彩色のフレスコ画が描かれており、そこには聖書の物語や聖人の像が描かれている。正面右側壁にはリルスキの肖像のフレスコ画。教会内に入る。中は教会特有の薄暗さ。正面奥に多くのイコンで飾られた壁イコノスタス(聖障)。イコノスタスはブルガリア正教会など東方正教会の教会にはなくてはならないものである。至聖所の前にイコノスタスがあり、天国との境をしていることになる。イコノスタスは幅10mもあり、精緻な彫刻が施され、ブルガリア木彫芸術の最高傑作とも言われる。僧院の創始者イヴァン・リルスキの左手の聖遺物。
 教会を取り囲んで修道院の住居部分があり、ここに宿泊も出来るようである。西欧に見られるような修道院のガイドブック等を探したが売っていない。イコンなど宗教関係のものがほとんど。およそ1時間半くらいの見学。

 5分くらいバスで走ってレストランに。昼食はます料理。山肌に養蜂箱をおいている蜂蜜の道路わきの店で蜂蜜の買い物をガイドが案内。ユ−ロ立ての価格。ホ−レン4ユ−ロ、アカシア4レバ等。
 
 その後、プロヴディフへ。3時間30分。

 コウノトリの里をとおり、スキ−場や陰線保養地のあるバンスコなどの山道を通り、5時過ぎにプロヴディフに着く。旧市街を歩く。石道で傾斜もあり、歩くのには小生には少しつらかった。まず、ロ−マ円形劇場跡に。ロ−マ時代の半円形の劇場跡で3000人収容の大きさで現在も演劇や音楽界が行われているとのこと。緑色の鐘楼の聖コンスタンティン・エレナ教会、そして多くの歴史的な建築物の見学。トルコ様式の二階部分が」張り出した建物。外壁に彩られた絵模様。建物には名前がつけられており多くはギャラリ−として利用されている。写真・ビデオで忙しく、イアフォンガイドも耳からは売れやすくガイドの説明を十分には聞くことが出来なかった。内部の見学はしていない。紀元前4世紀マケドニアのフィリップ2世によって建てられた要塞門ヒサル・カピヤを抜け、にぎやかなジュマヤ広場に出る。ここの地下にはロ−マ時代の競技場跡が残されている。

 今夜のホテルは旧市街に近くイギリス資本のNOVOTEL HOTELでソフィアのホテルよりは立派。近くにはス−パ−があり夕食後、グル−プの人たちは買い物に。夕食はホテル「レストランでキョフテ(トルコ風団子)。ホテル内と周囲には多くの警備員がいた。


 本日の総走行距離:約270km
リラ修道院 聖母誕生教会 リラ修道院 リラ修道院 フレリョの塔
ア−ケ−ド一杯に描かれたフレスコ画 ア−ケ−ド一杯に描かれたフレスコ画 リラ修道院 コチェリノボ コウノトリの里
ロ−マ円形劇場跡 ロ−マ円形劇場跡 ゲオルイアディハウス歴史博物館 ヒンドリアンハウス
要塞門ヒサル・カピヤ ある風 ロ−マ競技場跡 アレクサンドル・バテンベルグ通

 5月5日(木):
 8時30分出発。カザンラクに。約2時間の走行。

 世界遺産のトラキア人の墳墓の見学。

 1944年偶然発見され保存されており其のそばに精巧なレプリカが忠実に再現されている。レプリカの墳墓を見学する。紀元前4世紀後半から紀元前3世紀頃のトラキア人のフレスコ画で戦闘場面や葬送儀礼の様子が描かれている。丸天井の地下墳墓。

 トラキア人は紀元前5世紀頃に現在のブルガリア南部を中心に住んでいた人々で紀元前2世紀マケドニアにより征服されその後ロ−マの支配を受けるようになった。カザンラクにはこの墳墓以外にバスの車窓から多くの墳丘が見られる。1989年、旧ソ連の崩壊が始まると同時に、工場の多くが閉鎖され、失業者がちまたにあふれ、職にありついた人も月平均2万4000円ほどしか稼げない。かつての中流階級の生活は苦しくなる一方で、生きていくために盗掘に走る人がふえたとのこと。
 
 次にバラの博物館に行く。バラの花の農場が一面に広がっているが花は時期的に見ることは出来なかった。バラは鑑賞用でなく香油として輸出されている。博物館はバラの女王の写真やバラの蒸留釜ナドが展示されているが売店は小さく何か共産党時代の名残をとどめているような感じ。カザンクラはバラを蒸留する釜を意味する。
 
 昼食はレストランでタラトラ(冷たいヨ−グルトのス−プ)
 
 その後ヴェリコ・タルノボへ。約2時間。

 其の途中、カザンラクから約1kmのシプカ僧院を見学する。1877年〜78年のロシア・トルコ戦争の激戦地でこの戦争でロシア・ブルガリア連合軍が勝利しブルガリアは5世紀に亘るオスマン帝国からの支配から独立した。この戦争で戦死したロシア兵を悼んで建てられた教会でタマネギ型の金色の屋根を持っている。
 
 午後4時前にヴェリコ・タルノボに到着。大相撲の琴欧州の出身地であるが、現地の人たちにはあまり知られてないようだとガイドの説明。

 1187年〜1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた町でその宮殿跡がツァレヴェッツの丘にあり、折からの強い雨の中を石道を苦労してのぼる。頂上には大主教教会。内部には社会主義時代の絵画が描かれており違和感を感じた。1398年オスマン帝国との3ヶ月に亘る首都攻防戦がこの丘を中心に戦われ、滅亡した。500年に亘るオスマン帝国からの支配から独立を達成した1879年にはブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれている。

 旧市街サモヴォドスカタ・チャルシャには陶器・革製品・木彫り・絵画・化粧品などの小さな店が並び多くの店は工房を兼ね職人さんが作品を作っていた。強く振る雨の中の見学だったが、楽しい町並みのように思う。市内のレストランでギョヴェチェ(壷焼き)の夕食。その後、INTER HOTELへ。

 
 総走行距離:約224km
トラキア人の墳墓 イスラムの遺跡 トラキア人の墳墓 トラキア人の墳墓 トラキア人の墳墓
バラの博物館  バラの蒸留釜 ツァレヴェッツの丘 ツァレヴェッツの丘 大主教区教会
大主教区教会 ツァレヴェッツの丘 旧市街サムヴォトスカ・チャルミア 旧市街サムヴォトスカ・チャルミア
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