南イタリ−の旅
part2
アルベロベッロ・マテラ・ナポリ・カプリ・ポンペイ

平成11年 4月23日〜5月2日

平成11年4月27日タオルミ−ナを朝7時30分に出発し,シシリア島のメッシ−ナ港よりフエリ−でメッシ−ナ海峡を渡り約25分でイタリア本土のヴィラ・サンジョバンニ港に午前9時に着く。A3を走りCOSENZAよりイオニア海にそって走りプ−リア州のアルベロベッロに長い走行の後,午後4時過ぎに到着した。プ−リア州はコソボ紛争以来アルバニア難民の流入が多く治安が良くないとのこと。
 プ−リア州はイタリア南部の最大の平原地帯でありオリ−ブを多く産し,また岩石の多い地域のため農地は石壁によって仕切られている。
 アルベロベッロは"美しい木"という意味で,昔は樫の木の森が広がっていたそうである。なだらかな斜面に各部屋がそれぞれに屋根を持つ尖がり帽子の石屋根をもつトゥルッリは1996年世界文化遺産に指定された。まるでお伽の国である。
 トゥルッリの由来として次のような話が言われている。スペインに支配されていた17世紀半ばモルタルで塗装された屋根のある家のみに税が課せられていたので,税の取立人が来ると屋根から石を下ろし,これは家でないと主張し税を払わなかったと。
 トゥルッリは壁が曲線を描いているため内部を仕切ることが難しく玄関が居間になっており,部屋と部屋とは廊下なしで隣り合っている。また,部屋はドアでなくカ−テンで仕切られていることが多い。日本の女性誌でも紹介された二階建てのマリアさんの家の内部の見学や日本人の洋子さんの家で買い物をした。トゥルッリの円錐の屋根の先端には種々の形をした飾りがあり、屋根には白い線で図像や記号が描かれており、家の家紋のようなものか?
 トゥルゥリの並ぶモンティ地区では草木染めのシルクや綺麗なオカリナまたプ−リア風のパスタなどを売っていた。
 翌日はバジリカ−タ州のサッシと呼ばれるマテ−ラの洞窟住居群(1993年世界文化遺産指定)を見学。
この地方は平地が少なく,自然に斜面を利用した洞窟住居が生まれてきたものとのこと。人々が住むようになったのは11世紀以後のことで,近代になり小作農民が多く住むようになり貧しい南部イタリアを象徴する都市として黙殺され、1952年には住民の強制退去が行われたが,景観に魅せられた作家や実業家の力により1952年保護条例ができ,現在では修復作業が行われている。
 また,8世紀ごろからの修道士たちが建てた洞窟教会が100余りあり,そのひとつのサン・ミケル教会に入った。ビザンティン様式の宗教壁画が残っている。この地区の岩は凝灰岩で柔らかく斜面であるので,観光には足許の用意が必要かと思います。
 マテッラの見学後,一路チレニア海に臨む景勝地ポジタ−ノへ。その道へのアマルフィ海岸の道路は狭く有名な渋滞道路であるため,これを避け、ソレントに立ちより,名産の寄木細工を買った(壁掛け3200円から5000円)。ポジタ−ノは素晴らしい海岸美の景勝地で崖に建ったROYAL HOTELに宿泊し、チレニア海の夜景を暫し眺め,明日のカプリ青の洞窟見学が出来ることを祈った。
アルベロベッロ・
モンティ地区
アルベロベッロのトゥルッリ
の二階から
アルベロベッロのお店
マテ−ラの風景 マテ−ラの風景 ロイヤル・ポジタ−ノ・
ホテルのテラス

翌日はソレントよりジェット船でカプリ島のマリ−ナ・グランデへ行く(約1時間)。すぐに小さな船で有名な青の洞窟に行く。そこでは,数隻の小さな3人乗りのボ−トが待っており,それに乗り換え背の低い洞窟の入口をボ−トの中に身体を低くして洞窟に入る。はじめは目が慣れず分からなかったが、暫くすると海面の透き通った青さ。狭い入口から差し込む日光と水中の穴から差し込む光が織り成す青の魔法。波があると中止になるので幸運であった。洞窟内は船頭のサンタルチアを聞きながらの2、3分で1000リラのチップ。
 カプリ島は道が狭いため島専用の小型電気バスを利用してアナカプリに行く。アナカプリは欧米人などの多くの観光客で雑踏しており、ブランド物の大きな専門店があり,道筋の土産店では名物のレモンチェロ(32%50ml 7200円)や香水を販売している。ソラ−ロ山へのリフトは修復中であった。
 カプリ島の中心カプリも多くの観光客で満ちあふれており,ウンベルト広場では街頭芸人のパ−フォマンスがあり,多くの若い人がそれを取り囲んでいた。ブランド店の並ぶ道筋を通り,2時間ばかりの自由時間を散策する。美しく花が咲くアウグストの庭園からカプリを象徴する海中にそそり立つ岩山ファラリヨ−ニを写真に。写真には絶好の場所である。
 ケ−ブルカ−のフニクリでマリ−ナ・グランデにくだり、船でナポリへ(約50分)。私たちをパレルモ以来の運転手サルヴァト−レさんと専用バスが待ち構えてくれておりホテルへ。ナポリ名物のピザ・マルガリ−タを食べる。生地をこね,炭火の釜で焼く様子をビデオに撮る。陽気なナポリの給仕人がビデオの画面を覗き込んでは,はしゃぐ。

 
カプリ島 青の洞窟 カプリ島 マリ−ナ・グランデを望む カプリ島 ファラリヨ−ニ
カプリ島 マリ−ナ・グランデ アウグスト庭園 カプリ島 ファラリヨ−ニ

  翌日は簡単なナポリ見物と国立考古学博物館の見学をし,ポンペイ観光の後ロ−マに向かった。
国立考古学美術館はポンペイで発掘された多くのモザイク,壁画が展示されておりアレクサンダ−大王とダリウス3世のイッソス戦争のモザイク(ポンペイのファウヌスの家の床にあったもの)があり圧巻であった。その他当時の日用器具や装飾品があり,またエロティックなモザイクもある。ポンペイではベッティの家や娼家くらいしか通常の観光ではモザイクや壁画は見ることが出来ないので,この美術館を見学されることをお勧めしたい。
  ポンペイはBC5世紀以来サムニウム人の土地であったが,BC1世紀にはロ-マ人の別荘が多く作られるようになった。63年激震があり,建物が多数倒壊した。当時のロ−マはネロ皇帝の時代。その13年後の79年8月24日ヴェスヴィオスの噴火により、ポンペイの町は半径12kmの範囲が5mから7mの火山灰の下に埋没した。
  当時の人口は約25,000人位で約2,000人が死亡したといわれる。高速道を降りた近くのヴェスヴィオで昼食をとり(日本人観光客の専用レスト

ランのように日本人でごったがえしていた),遺跡の見学をおよそ2時間くらいした。マリ−ナ門,フォロ,アポロ神殿,ジュピタ−神殿,スタビア浴場,ベッティの家,娼家,パン屋などお決まりのコ−スを廻った。浴場は男女に区別され脱衣場,冷水浴湯,温水浴湯があった。
  ベッティの家は大きな立派な建物で中庭があり当時の鉛の水道管を見ることが出来た。道路は車道と歩道が分けられてあり,車道には轍の後が見られる。浴場や展示室には埋没していた人や動物が展示されていた。遺跡は砂埃が多く,日陰が少ないので暑い日の観光は避けたほうが良い。
  遺跡内では日本人添乗員の説明は禁じられており,違反金は20万円とのこと。ポンペイでは,現在もなお発掘が続けられている。

アレクサンダ−大王 アレクサンダ−大王とダリウス王の戦い アポロ神殿とアポロ像(複製)
パン屋  フォロ  ガイドのマルゴさん スタビア浴場のみずかめ

1:シシリ−島の旅に

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掲示の写真はSONYDCRTRV-900のメモリ−スティックより