祝勝会について as of 1998/12/30
元旦に優勝した場合の祝勝会の場所ですが、新横浜プリンスの可能性が高いものの、はっきりとしません。ちなみに6年前に優勝したときは東京の全日空ホテルで祝勝会(選手とスタッフのみ)が行われています。
天皇杯準決勝は1−0で鹿島に勝利 as of 1998/12/30
12月27日(日)に長居競技場で行われた天皇杯準決勝、対鹿島戦は、前半開始早々の永井のシュートの1点が決勝点となり、1−0で勝利しました。
JASの1便で大阪入りです。普通開場は試合開始の2時間前が標準なんですが、Jユースの決勝が11時からある関係で開場は10時半に。Jユースの決勝は市原と鹿島ですが、ちゃんと市原サポも応援に来ていてちょっと感動しました。
Jユースの試合は鹿島が勝って優勝したのですが、なかなかうまかったです。なんでも鹿島の主将の選手は来年はプロ契約でトップチームに上がるんだとか。そりゃうまいわな。
さて、15時からの準決勝ですが、伝統の一戦にふさわしくヒートアップします。主審はモットラムさんなのでカードはやや多かったです。
後半に入り鹿島の攻撃に鋭さが増してきます。しかしこれをことごとく防いだのは楢崎。まあ鹿島のシュートミスも多かったのですが、これは!というシュートを立て続けにセーブ。結局あの鹿島攻撃陣に1点もやらずに試合終了。ついに元旦の国立に駒を進めました。#相手は清水です。
帰りは長居に行ったときに必ず行くお好み焼きやさんにより、関空からJASの最終便で帰りました。しかしこの便はやたらとフリエサポが多かったです。なんか市営地下鉄に乗っているような錯覚をおこしました。
負けた市原の選手たちも、ちゃんとサポーター&父兄のところに挨拶に来て、伝統の?一斉前転をしていました。おまけに市原サポからもフリエコールを頂きました。うれしいやら悲しいやら、複雑な気持ちです。
先制はフリエ。前半3分の永井のボレーシュートが突き刺さります。結局はこの1点が決勝点になるのですが、中盤でのボールの動きはすごいです。さすが鹿島というか、サイドを使っての攻め、ドリブル突破と何でもございの攻撃です。しかしフリエDFもかなりいい仕事をします。マジーニョには薩川が厳しくマーク。結果として二人とも警告で退場になってしまうのですが、この駆け引きはすごいです。また尽もこのところ安定感を増してきていますし、浩二さんは気合いの入ったプレーでチームを引っ張ります。気が付いたことはフリエの選手の好プレーに惜しみない拍手が大きくされていることです。サポーターだけでなく、試合を見に来た一般の人までもフリエに味方してくれているのかと思うと鳥肌がたちました。
天皇杯準々決勝は1−2で磐田に勝利 as of 1998/12/24
12月23日(祝)に神戸ユニバ記念競技場で行われた天皇杯準々決勝、対ジュビロ磐田戦は、1−2で勝利しました。
僅か1日前に通った東名高速を横目に見ながら新幹線で神戸に向かいます。さすがに新幹線は速いです。一昨日あんなに苦労して走った区間をたった3時間で走ってしまいました。初めての新幹線にヒロ君&マア君はご機嫌。2階建て車両にある売店まで2回も探検に行きました。
久しぶりの神戸ユニバですが、このスタジアムではフリエは一度も負けていないのです。今日は難敵磐田ですが、去年の準決勝も磐田を逆転で破っていることもあり心は平静。しかしnatsukoさんも書いていますが、敵が敵だけに心の準備はしてありました。
試合が始まると、これはもうすごいです。今年のベストマッチでしょうね。あのジュビロに対して、球への寄りがすべて一歩ずつ早いのです。磐田は中盤を有効に機能させることが出来ず、大きなサイドチェンジもままなりません。
後半開始後も気持ちで上回るフリエが中盤を制圧。20分過ぎには相手が2枚目のイエローで一人退場。これで決まったかと思いきやなんと中山にゴールを割られ1−1の同点に。しかし今のフリエはこれで気落ちするようなチームではありません。
この勝利は完全に気持ちの勝利です。磐田は10人になったあと加点こそしましたが気持ちの切り替えに時間がかかったのかもしれません。
試合終了後驚いたことが一つ。磐田側から「横浜フリューゲルス!」コールが始まったのです。これまでの2試合でも試合終了後相手チームのコールをしていましたが、相手チームから先にコールが始まったのは初めてでした。なにかすごくありがたい気持ちでいっぱいでした。
帰りの新幹線で体調不良になって家に帰って体温計で計ったら39度ありました。選手にも風邪がはやっているようですが、みなさまもお気を付け下さい。
この裏返しで、フリエは中盤から組み立ててゆさぶりをかけます。前半10分位に三浦のロングスロー、サンパイオヘッドで落とし、久保山シュートで得点。その後も終始試合の指導権を握るもののなぜかシュートが入らない。ことごとく嫌われて後半に入ります。
後半30分過ぎに、またしても三浦のロングスロー&サンパイオヘッドで、今度は吉田がゴール。あのゴールを目の前で見たときに勝利を確信しました。その後の磐田の攻撃もことごとく防いで結果1−2で勝利しました。
天皇杯4回戦は甲府に0−3で勝利 as of 1998/12/24
12月20日(日)に、鳥取県のバードスタジアムでおこなわれた天皇杯4回戦、対ヴァンフォーレ甲府戦は、0−3で勝利しました。
鳥取駅から車で10分ほどのところにあるバードスタジアムですが、新しいだけになかなかきれいなスタジアムです。しかし天候が安定しません。日が射したかと思うと雨が激しく降ったりとサポーター泣かせの天候です。
後半に入るといきなりフリューゲルスのペースになってきます。後半開始早々に、三浦のFKを尽がヘッドで決めて0−1とリードします。異様に喜びまくる選手達。徐々に中盤のそこから早い段階で左右のスペースに出すような攻撃が目立ってきます。これはフィールドの問題もあるのでしょうが。続けて10分過ぎに吉田がゴール。このゴールでほぼ試合が決まります。
オーレは約20名が鳥取入りしていましたが、飛行機あり、特急&新幹線あり、夜行バスあり、夜行寝台ありとものすごいバリエーション。私は子供もつれていましたので鳥取で一泊。駅のそばのホテルに泊まったのですが、窓から見える列車(電車ではない!)にマアくん絶叫。ほとんどプラレールが窓の外にあるようなものですから………。
横浜から車で行ったのですが、思っていた以上に早く着いてしまって驚きました。大阪からなら3時間かかるかどうかという感じです。
前回通りのスタメン。サブにアンデルソンが入ったのが目を引きます。甲府はJFL4位ながら、JFL最多得点を誇り、特にFWバロンは高さもあり、ゴール前でフリーにしては危険です。また堅いDFも噂通りでした。
前半はかなり押し込まれていたという印象です。特に左サイドから上げられて怖い局面が随分ありました。しかしちゃんとDFは付いているし、ゴール前に走り込んでくるMFにもサンパイオがちゃんと付いているという具合で失点に至りません。楢崎がぎりぎりセーブというのも少なかったように思いました。
結果論なんですが、この押されていた前半を無失点で乗り切ったのが大きな勝因だったろうと思います。甲府の選手もやや攻め疲れてきていたろうと思います。
中盤からの早い球さばきで相手ゴールに迫るもののなかなかゴールなりません(永井ガンバレ!)。試合終了間際に吉田が加点して結果0−3で勝利しました。
甲府、なかなか良いサッカーをしていましたし、甲府からもサポーターが乗り込んできてきっちり応援していました。J対JFL。勝者と敗者。でも心中は複雑でした。
翌日は鳥取砂丘(初めて!)を見てから帰りましたが、えらい家族旅行になってしまいました。
オブリガード トルシーダ開催 as of 1998/12/19
選手会主導によるオブリガードトルシーダが18日午後に東戸塚で開かれ、約500人!の人出になりました。
私は突然の日程と、年末の多忙もあって仕事を外せず行けませんでしたが、奥さんと子供×2人が出席。ものすごい人手にびっくりしたとのこと。
選手&スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
前田浩二選手の「ともかく今日は楽しんでいって下さい」という挨拶で始まったイベントですが、選手とはサイン&写真撮り放題、フリバスの内部解放(家の子供は随分中で遊んでいたようですが………)などなど。あ〜、行きたかったな〜。
全日空が正式回答 as of 1998/12/19
12月18日午前、全日空からの存続させる会への正式回答が新横浜の全日空スポーツで行われました。要求していた2点についてですが、
1.横浜F・マリノス のFは取れない。
2.フリューゲルスの名称等の移管についてはJリーグと協議のうえで受け皿が出来た段階で協議する。
との回答でした。
天皇杯3回戦は4−2で勝利 as of 1998/12/13
12月13日(日)に福岡県博多の森競技場で行われた天皇杯3回戦、対大塚FC(ヴォルテス徳島)戦は、2−4で勝利しました。この試合吉田選手が2度目のハットトリックを決めています。
朝一のJASで博多へ飛びます。どうやら向かい風らしく、予定より遅れて到着。しかし降り立った博多は日差しも柔らかく、風もない穏やかな天気です。オーレの仲間でタクシーに相乗りして競技場へ。この競技場は空港からも約20分ほどで歩けるのですが、あれだけの荷物を持って歩く気にはちょっとなりません。会場では九州のサポーターグループによる千羽鶴運動が行われていました。
ポジショニングはこんな感じでしょうか。
後半に入り、徐々にフリエペースに。と安心しているとカウンター1発で再度失点。マークが外れてしまっていました。
九州でのゲームということもあり、九州の各サポーター団体、選手のご家族の方、さらにはアビスパや鳥栖サポーターの方ともお話をする機会があり、またお手伝いもしていただけました。ありがとうございました。
4回戦の相手は、ヴァンフォーレ甲府になりました。20日の鳥取バードスタジアムでお会いしましょう。#入場券はまだあるそうです。一度ぴあは売り切れになったようですが、余分が再度回っているようです。セゾン、ローソンもあります。
久保山 吉田
永井
三浦 波戸
山口
サンパイオ
薩川 前田 尽
楢崎
前半より気合い充分ですが、相手の大塚FCも親会社の大塚製薬の撤退の噂もあるとのことで、非常にアグレッシブなサッカーをしてきます。先手をとったのはフリエ。前半17分に永井のシュートがポストにはじかれたところを吉田が再度シュートして先制します。
しかしこの1点で目が覚めたのは大塚でした。それまでやや引き気味でプレーしていた大塚ですが、ロングパスをうまく使って崩しにかかります。対するフリエ側は攻めにかかってしまって、中盤が大きく空いてしまう場面が多く、中盤を比較的自由に使われて、サイドから攻められます。DFの連携も今一つで、失点して同点においつかれます。
失点ごすぐに、吉田の2得点目で再び突き放すものの、DFの連携が悪いのは改善されず、ひやひやの場面が連続。なんとか前半を終了します。
しかしそのすぐ後、相手ゴール前でクリアされたボールが高くあがっり、その落下点に入った永井が豪快なダイレクトボレーシュート。祝福するイレブンに、喜びの永井。
さらに左サイドで粘った永井からのパスを吉田が押し込んでゴール。ほぼ試合決めます。しかし最後までカウンターを繰り出す徳島の攻めにはひやひや。楢崎のファインセーブがなければ負けていたかもしれません。逆にフリエは勝とうということに意識がいきすぎていた部分があって、まえががりになりすぎていて、バランスを崩す場面が多かったかもしれません。
薩川選手は柏へ移籍か? as of 1998/12/10
との新聞報道があるようです。詳細は不明です。#楢崎とサンパイオがペルージャという報道もあったようです。
イゴール選手退団 as of 1998/12/10
松尾さんの「フリューゲルスご意見番」によると、イゴール選手の退団(というよりレンタル期間満了にともなう契約解除)が決まったようです。アマリージャ、エバイールといった長身FWとはひと味もふた味も違う活躍で魅了してくれました。特に今年の2ndステージでのゴールはすばらしいものがありました。
#個人的には味方サポーターも口あんぐりのロングループシュート(市原戦)を生で見られたことは生涯の思い出になるでしょう。
ありがとうイゴール。そしてこれからの活躍を!
横浜フリューゲルス再建協議会が基金募集 as of 1998/12/10
横浜市の少年サッカー団体や旧トライスタークラブOBおよび横浜フリューゲルスを存続させる会などで構成された横浜フリューゲルス再建協議会が12月6日に発足し、12月10日より横浜フリューゲルス存続のための基金づくりのための活動を開始しました。
詳しくはこちらから。
5選手がマリノスへ移籍 as of 1998/12/05
マリノスが移籍を希望していた横浜フリューゲルスの6選手のうち、永井、三浦、佐藤一、波戸、吉田の5選手がマリノスに移籍することが決定しました。久保山選手はマリノスへ移籍しません。
もちろん心中複雑な部分がありますが、それは選手のみなさんの方が大きいでしょう。悩んだ末の選択に私はなにも言うことはありません。これからもベストを尽くされて、より活躍して頂くことを心から期待しています。
存続活動が続くなかで、移籍の印を押すべきか押さざるべきか非常に悩まれている選手もいらっしゃると聞いています。選手のみなさんの来期の所属チームの話と、横浜フリューゲルスの存続の話はリンクしていませんから、どうぞ私達に気兼ねなく移籍交渉を進めて頂きたいと思います。逆に私達に出来ることがあれば、力になりたいと思っています。
私は横浜フリューゲルスのファンです。同じように横浜フリューゲルスで活躍されている選手のみなさん、そして活躍されていた選手のみなさんのファンでもあり続けています。どうか心おきなく移籍の交渉を進めて下さい。例え他のチームを愛することは出来なくても、皆さんへの気持ちは変わりませんから。
全日空より「F」についてはしばらく保留 as of 1998/12/05
12月4日に羽田の全日空本社で行われた全日空よりの回答については、合併については手続きを進めるといった通りであるとの見解、さらに「F」についてはもうしばらく検討に時間がかかるとのことから
ペンディングとなりました。
この際、説明を受ける4名以外のファンが一部説明会場への強行突入を試みて警備員ともみ合いになり、陶製の灰皿が割れるなどしました。ファン側の女性にも軽いけが人が出たとのこと。
この場面は何度もTVに流されましたが、いままでの私達の積み上げてきた苦労が一瞬で水泡に帰すことになってしまいました。確かに全日空のやり方にも問題があったと思いますが、その不満をあのような形で噴出させてしまっては、なんのために11月7日の三ッ沢で騒ぎを起こさないで耐えたのかわかりません。
全日空スポーツ、合併の基本合意書に調印 as of 1998/12/05
全日空スポーツは、12月3日午前にマリノスとの合併に関する基本合意書に調印し、午後6時にプレス発表しました。
事前に何ら通告もなく、合併が強行されたことは非常に不愉快です。夕方羽田の全日空本社に30名〜50名ほどのファンがつめかけて、合併について説明を求めましたが、翌日全日空より回答するとのことでその場は収拾しました。
天皇杯「鳥取」バスツアー as of 1998/12/01
申し込みは今日(12月1日)までです。署名活動にご協力頂いた相鉄さんのバスが予定されているとのこと。詳細は公式HPへ。
存続させる会の活動報告 as of 1998/12/01
存続させる会の活動報告会が、11月29日(日)12時からフリエ元町で行われました。この席上で、現状の説明と今後の活動について報告がなされ、J2でのクラブ存続へ向けて新運営会社を設立する方向で動いていることが発表されました。
この新運営会社は、サポーターが呼びかけを行いましたが、実際には自治体や商工会、クラブOB等の参加も含めての市民活動となりそうです。
また、当日今後継続的にボランティア活動が出来る方を募集していました。当日参加出来なかったかたにも、NET上から申し込みが出来るようになっていますので、そちらもご利用下さい。
なお、活動報告中にもありましたが、存続活動が続いている現在、他のチームへの移籍にためらいのある選手の方も多いということでしたが、改めて「帰ってこれるチームを作っておくようにしておきますので、それまでは他のチームで活躍して、ちょっと待っていて下さい。」と申し上げたいです。
なお、存続させる会の情報については、公式ホームページ情報に集中して掲載される予定ですので、必ずそちらを参考にして下さい。