全日空からの回答はほぼ譲歩なし as of 1998/11/20
11月20日13時から霞ヶ関ビルの全日空本社で行われた嘆願に対する回答は、「横浜F・マリノス」の名称については再度検討(12月4日に回答)するとした他は全く譲歩はありませんでした。詳しくは存続させる会のHPでご確認下さい。
全日空へ署名と嘆願書提出 as of 1998/11/16
11月16日午後に、全日空に対してチーム存続署名347,613名分と存続嘆願書を提出しました。
札幌に1−4で勝利 as of 1998/11/15
札幌市厚別競技場で行われた対札幌戦は、吉田の2得点などで1−4で勝利し今期のリーグ最終戦を飾りました。得点者は吉田、吉田、久保山、イゴール。
福岡戦は苦しみながらも勝利し3連勝 as of 1998/11/15
11月7日(土)に三ッ沢での今シーズンホーム最終戦となった福岡戦は、苦しみながらも2−1で勝利しました。フリエの得点は前田浩二と佐藤尽というDFによるもの。
横浜市議会に陳情(11月6日) as of 1998/11/15
横浜市議会に対して陳情を行いました。
対広島戦は勝利 as of 1998/11/15
11月3日(祝)に広島のビックアーチで行われた対広島戦は、前半終了前の久保山とイゴールのゴールを、後半ロスタイムの1失点のみに押さえて勝利しました。
クラブとの話し合いは平行線(11/2) as of 1998/11/15
新横浜のクラブ事務所で行われた話し合いは、初めて全日空の丸尾部長が出席して行われましたが、全く話し合いは平行線となり、翌日の朝になりようやく次回会合日程を決めて散会となりました。
クラブによる説明(10/31) as of 1998/11/01
試合後の横浜国際競技場で17時30分から始まったクラブからの説明は、完全に空転。結局クラブ側が下記の念書をサポーターの代表者と取り交わして収拾したのは午前3時半頃だったとのことです。#私は大変申し訳なかったのですが体力的な理由から途中で帰りました。
以下念書の写しです。
念書
平成10年11月2日、午後8時より、横浜フリューゲルスサポーター(以下、甲という)
と、全日空スポーツ株式会社(以下、乙という)との間で、以下の内容について
話し合いの場を設ける事において同意する事とする。
1.合併回避の可能性について
合併調印延期の可能性も含む。
仮に調印期日が決定した場合の事前公表。
2.フリューゲルスのチーム存続について
3.サポーターがチームのバックアップに役立つ可能性について
4.合併に至るまでの経緯(数字的なものを含む)
5.甲乙双方にて、今後も継続的に話合いの場を設けること。
6.マスコミの立会い、取材に制限なく応ずる。
7.Jリーグ事務局に対し立会いを要請する。
以上
本件、念書作成の証として、本紙2通を作成の上、甲乙各々にてその1通を保有する。
甲 乙
サポーター代表3名 全日空スポーツ株式会社
代表取締役社長
山田 恒彦
なお、この念書には含まれていませんが、2日当日、全日空の担当責任者が同席する旨が口頭で約束されているようです。
また、2日の説明会の場所については、1日にクラブHP上でお知らせすると同時に、電話での問い合わせにも応じるとのこと。
セレッソ戦は7−0で勝利 as of 1998/11/01
10月31日(土)に行われた対セレッソ戦は、前半に5点、後半にも2点を加点して結果7−0で勝利しました。
試合内容は、完全に気合いで上回るフリエが中盤を制圧し、サイドへの早い球回しなどから次々と加点。山口のオーバーヘッドはすばらしかったです。吉田もハットトリックを決めるなど大活躍。選手の気持ちは伝えて頂きました。
試合終了後、相手セレッソ側からフリエコールが………。セレッソコールで答えるフリエ側。セレッソサポありがとう!
クラブによる説明(10/29) as of 1998/10/29
29日夜8時より、新横浜のクラブ事務所会議室において今回のマリノスとの合併について、クラブの山田社長からサポーターに対して説明が行われました。クラブ事務所前にはファンが随分と集まり、紛れて説明を聞かれたかたも多かったと思います。
まず山田社長よりの経緯説明
この後サポーターからの質問が相次ぎます。要点をまとめますと。
以上のように、サポーターとして納得のいく説明は一つもありませんでした。30日11時に虎ノ門のJリーグに、決定凍結の「嘆願書」を出しに行きます。集合は直接新日鐵ビル前に。#私も場所は定かにはわからないのですが、結構大きなビルなので行けばわかるでしょうとのこと。
不景気により、クラブのオーナー企業である佐藤工業、全日空ともに業績が急速に悪化している。特に佐藤工業は次期はクラブ運営から撤退せざるを得ないことになった。そのため新しいパートナーを第三者機関も含めて探していたが、残念ながら獲得できなかった。
一方でマリノスのオーナー企業である日産自動車も苦しい状況であり、また1都市で2チームに分かれているため、スポンサーが付きにくいというデメリットも鑑み、急速に合併の話が浮上してきた。
今日のJ理事会で承認頂いたことで、2月1日よりチームを合併し、存続会社は横浜マリノス、出資比率は日産自動車70に対し、全日空30、チーム名は横浜F・マリノスという形となる。
なぜ、ファンに事前説明がなかったのか。→事前に説明出来なかったのは申し訳ないが、企業のことでもあり(事前には)むずかしい。
Jチームという公器の私物化ではないか。→そのようには考えていない。
J2あるは地域リーグでの存続も考えなかったか?→考えたが、今回の解決策を選んだ。
合併ではなく解散した方がいいのではないか。→それは当初より考えていない。選手のことを考えると解散より合併の方がメリットがあると考えた。選手の移籍のことも考えて、この時期の発表になった。
リストラをしてでも単独での生き残りは出来ないか→現在クラブへの持ち出しが全日空・佐藤工業合わせて14〜15億になる。リストラをしても現状では持ちこたえられないと判断した。
判断した数字と根拠を示してほしい。→詳細は答えられないが、やはり10億ほど足りなくなる見込みだった。
入場料金を安くしすぎたのではないか(注:フリエの入場料金はJで一番安い)。→入場者数が増えればという想定で安くしたが、実際はうまく行かなかった。失敗だった。
横浜フリューゲルスを残すために、今日の臨時理事会での決定を白紙にしてもらいたい。→権威ある理事会で決定されたことを覆すことはできない。Jリーグに申し入れするつもりはない。
全日空にサポーターの横浜フリューゲルスを存続したいとの意見を伝えてほしい。→30日に伝え、伝えられたかどうかは31日にお知らせする。※全日空の担当部署は、関連事業本部です。
残された時間も少なく、打てる手も少ないですが、出来るだけのことはしたいと思います。31日のセレッソ戦の前に集まれればとも思っています。
クラブ マリノスとの合併を決意か as of 1998/10/29
本日の各紙およびネット上で、横浜フリューゲルスとマリノスの合併(出資比率3:7と伝えられる)が報じられていますが、おそらく事実でしょう。なかなか難しい事態になりました。
昨晩、クラブから直接電話を頂きまして、内容は言えないがとのことでしたが、29日夜に重大な発表をしますとのことでした。その時の電話の調子から、非常に重大(それも悪いほう)なことだと直感しました。おそらくは「解散」か「身売り」の話だろうと想像していましたが、新聞に抜かれてしまっていますね。
佐藤工業が撤退したいということは話を聞いていましたから、まあ不思議ではなかったのですが、替わりのスポンサー選定が難航していたようです。#一時出光で内定という噂もあったのですが。
出資比率3:7ということは、事実上の吸収合併になります。選手の移籍もすさまじいことになると思います。
とりあえず確報まで待ってから、サポーターチームとしての動き方を決めたいと思います。
京都戦は、2−3で敗北 as of 1998/10/26
10月24日(土)、鹿児島の鴨池陸上競技場で行われた対京都戦は、後半イゴールが先制すものの、立て続けに失点して逆転され、永井のミドルシュートで一時同点とするものの、直後に失点し、結果2−3で敗北しました。
私は仕事の関係で、ほぼ1年ぶりにリーグ戦欠席となりました。オーレのメンバーが4名鹿児島入りしていましたので、その感想を総合するとこんな感じだったようです。
失点に関して
中盤
前線
全体として
ということです。
3連勝してきましたが、まだまだ不安定なところが多いです。今回の敗戦を前向きにとらえて、修正すべき点は修正して、リーグ戦の残り4試合と、天皇杯に向けてがんばってほしいです。
3点ともカウンター気味で、DFの裏にパスを通されてのピンチが目立った。DFをやや高くしていたのだろうか。尽のクリアが小さく、敵に渡ってしまってピンチになる場面があった。
右の波戸が非常に良かった。逆に三浦は引き気味で仕事をしていたので、攻撃面では目立たなかった。サンパイオが引き気味。山口は上がり目で、攻撃参加も多かったと思う。
イゴール相変わらず好調。永井は消えている時間が多かったが、2点目あたりはさすが。だがTOP下としてのプレーには疑問符も。京都の速い守りに最後は攻めあぐねたという感じ。途中出場の大久保は詰めが甘かったように思う。
最後まで試合をあきらめない選手の気持ちは伝わっていたが、守備のミスが多すぎる。また、中盤から先は堅い京都DFを突破出来ていない。
市原に0−3で勝利 as of 1998/10/22
10月21日(水)、雨の市原臨海競技場で行われた対市原戦は、三浦のFKにイゴールの2得点で3得点し、守っては失点を0に押さえ、0−3で勝利しました。
仕事はお休みにしていたのですが、どうしてもはずせない会議が入ってしまい、会社から市原へ直行します。東京駅から特急さざなみに乗車。正直遠いです。どうも市原でいい天気だった記憶はあまりなくて、またしても雨です。よほど相性が悪いのか………。でも今年は全体的に雨の中のゲームが多かったように思えますが、本当のところはどうなんでしょうね。
スタメンはこんな感じでしょうか。基本的には3−5−2ですが、JEFの攻勢で三浦、波戸が随分下がっている時間帯が多かったと思います。
後半に入ってサイドがかわり、ややボールが動くようになりますが、前半と大きく流れはかわりません。しかしJEFもこの悪天候で正確なプレーは出来ず、またマスロバルが昔ほど目立たなくなっていて、攻撃に厚みがありません。
内容的には非常に厳しい試合でした。かなり多くの時間を市原に主導権を握られ、非常に悪いコンディションとはいえ中盤でのゲームメークには非常に苦しみました。三浦のFKが決まっていなければどう転がっていたかわからないゲームでした。
五井駅から無料のシャトルバスに乗って競技場へ。前に電車で行ったときはバスは有料だったのですが、無料バスになっています。車内では案内テープの替わりにJEFの監督の今日の試合への意気込みを放送していたりで、なかなかやるな〜という感じです。
イゴール 久保山
永井
三浦 波戸
山口
サンパイオ
前田 尽 薩川
楢崎
試合が始まってわかったのですが、フィールドはかなり冠水していて、悪いところでは水がたまってしまっています。このためパスが途中で止まってしまったり、逆に伸びたりともうぐしゃぐしゃです。またかなりの強風です。連敗中のJEFは試合開始早々から積極的に攻め、フリエはそれを受ける形で引き気味で試合を進めます。三浦、波戸はJEFの両サイドを押さえるために引いてしまっているので、攻撃も単調にならざるを得ません。また永井の出来が今ひとつで、なかなかボールに絡めません。
開始8分頃、JEFの武田のシュートを楢崎がはじきます。結構危なかったですね。さらに30分過ぎにもシュートを打たれますが、これは楢崎キープ。さらに40分近くの中田一三!のシュートはGK正面。中田選手は大分からJEFに移籍していたんですね。四日市の三羽烏(小倉、中西、中田)ですか。前半は攻撃面ではほとんど見るべきところはなく、DFでも楢崎の活躍が目立つというあまり好ましくない展開で終了します。
この流れを変えたのは後半10分、レディアコフがもらったゴールやや右のFK(20m)を三浦がゴール右隅のバーに当てながらもゴール。超美技でした。ほとんど空席のゴール裏スタンドを走り回ってしまいました。ここで久保山に変えて大久保を投入。徐々にペースをつかみだします。波戸のシュートおしい!30分近くに永井に変えて吉田を投入。
問題はこのあと起こりました。三浦をふっとばした中西が2枚目のイエローで退場。さらにそれに抗議した山口には一発レッド。さらに数分後、暴言?で3人目の退場。さらにJEFの監督も退席を命じられます。観客席からもJEFサポーターがフィールドに乱入、場内は騒然とした雰囲気に。これで約5分の中断。
その数分後、三浦のセンタリングを波戸がヘッドで折り返し、レディアコフがヘッドでたたき込んで、決定的な追加点を奪います。レディアコフは完全にフリーでした。
痛んだ尽に変えて井上を投入。さらに終了間際、相手GKが前に出ているのを見透かしたレディアコフは、ループ気味のロングシュート。これがなんとゴールイン。見ていた私たちも信じられずしばらく唖然とするようなゴールでした。結果0−3で勝利しました。
試合終了後、一斉にフィールドに乱入するJEFサポーター。ああ〜、選手はがんばったんだけどな〜。残念。
しかし苦しい試合でも勝利を一つ一つ積み重ねて行くことが今は大切です。試合を終えてゴール裏に挨拶に来てくれた選手のみなさんの嬉しそうな表情が見たくて市原くんだりまで出かけたようなものです。辛い試合がこれからもあるでしょうが、私たちも最後まで応援させてもらいたいと思います。
帰りのバスを見ていこうと思っていたのですが、千葉県警の警察官から「危険なので帰ってください」といわれました。なんかホーム側のゴール側は騒然としているし。ちょっと残念でしたが、海ほたる経由で帰浜しました。しかし、最後にこれだけは言いたい! 本当に寒かった!!!!
埜下選手が札幌にレンタル移籍 as of 1998/10/21
クラブからのリリースによりますと、正式に埜下選手のコンサドーレ札幌へのレンタル移籍が決定したようです。以下プレスリリースより。
この度、埜下荘司選手(DF)がコンサドーレ札幌へ期限付き移籍する
ことになりましたのでお知らせいたします。
期間は1998年10月21日〜1999年1月31日です。
■埜下荘司選手プロフィール
氏名 : 埜下荘司(ののした しょうじ)
生年月日 : 1970年5月24日生(28歳)
ポジション : DF 身長/体重: 182cm/76kg
出身地 : 愛媛県
経歴 : 1989年 愛媛県立南宇和高等学校卒業 ※1〜3年生時/選手権大会出場
1993年 大阪商業大学卒業
※3年生時/インカレ出場
ガンバ大阪と契約
1996年 全日空佐藤工業サッカークラブと契約
■横浜フリューゲルスでの出場記録
1996年 Jリーグ 2試合出場
1997年 Jリーグ 18試合出場 2得点
1998年 Jリーグ 8試合出場
楢崎選手が代表入り as of 1998/10/19
GKの楢崎選手が、エジプト戦の日本代表に選出されました。惜しくも山口、三浦両選手は選に漏れました。
埜下選手札幌へレンタル移籍か? as of 1998/10/19
一部報道によると、埜下選手の札幌へのレンタル移籍が報じられています。ちなみに埜下選手は今日、トレセンに車で来ていましたが、練習には参加せずに帰られたので、私は体調不良なんだと思っていました。なお確定情報ではありません。
今日の東戸塚 as of 1998/10/19
午後からの仕事の前に練習場に行って来ました。が、しかし、誰もいない。????と思っていると今日の練習は13時からに変更になったとか。次々にやってくる選手の皆さんの車に子供と手を振って、帰ってきました。ちなみに明日20日の練習も13時からに変更になっているようです。
神戸に4−3で勝利 as of 1998/10/19
10月17日(土)に三ッ沢競技場で行われた対神戸戦は、4−3で勝利し、2ndステージホームでの初勝利となりました。
接近中の台風の影響もあってか、開場前から雨が降り続きます。今日は試合前に中国の貝貝(ベイベイ)というジュニアチームとフリエのジュニアユースが親善試合を行いました。結果はフリエジュニアが2−0で勝利しましたが、貝貝も中盤などは随分良い組立をしていました。次世紀を担う世代ですから、目が離せません。
さて、やや小降りになった頃合いでキックオフ。前回の川崎戦同様の布陣ですが、埜下に代えて佐藤尽を投入です。
試合は、開始早々サンパイオ?のスルーに永井が反応して先制。正直「もう入っちゃったの?」って感じでした。しかしここからがしっかりしません。中盤での組立もやや不安定。雨を意識している神戸のロングボールへの対応も遅れ、左右のスペースに走り込まれてという展開が続きます。前半23分にDFの裏をとられて同点に追いつかれます。
後半に入っていきなり失点。反対側で見えず。同点にされます。ここで踏ん張るところがチームに活気が出てきたあかしでしょうか、中盤での早いパスからサイドへとつなぎます。後半6分、得点はまたしてもサンパイオからのスルーにイゴールが抜け出してGKと1対1になりけりこみます。さらにその数分後、波戸?のCKからこぼれた玉が三浦の前に、ミドルシュートはDFの間を通ってゴールに。久しぶりに見た豪快な三浦のシュートでした。これで4−2。
神戸FWはほめるんでしょうが、DFの集中が切れる局面が多かったと思います。また前回の川崎戦よりMF陣の守備の意識が低かったように思えました。やはり失点はすくない方がいいですから、踏ん張りどころですよね。山口が今ひとついつもの精彩がなかったのは心配でしたが、その分サンパイオ、イゴールの動きが目についた試合でした。
イゴール
永井 久保山
三浦 波戸
山口
サンパイオ
前田 尽 薩川
楢崎
この後は膠着状態が続きます。神戸は左右のスペースをついてくるもののDF陣が踏ん張ります。尽のポジショニングはまだ怖いところもあるのですが、薩川、前田がカバーして失点に至らず。
このまま同点で折り返しかと思われた前半終了間際にイゴールがミドルのループシュート。これがゴール右隅に決まって2−1に。イゴール最近ループに目覚めたか?このまま折り返します。
しかしこの試合に負けると入れ替え戦出場が決まる神戸は必死にくいさがいます。サイドからのクロスに合わせられて失点し、4−3と1点差に。久保山に変え吉田を投入するものの今日はあまり絡めなかったですね。永井、山口と決定的な場面が続けてありましたが、決められず。この辺りはまだまだ課題でしょう。#でも決められないからって、客席からペットボトルを投げ込むのはどうかと思いますけど。
好調のイゴールに変えて原田投入。これで中盤が安定します。結局このまま試合終了。貴重なホームでの初勝利を上げました。
#しかし18日の新聞には神戸の入れ替え戦進出?決定のことしか書いてなかった。フリエのフの字もないなんて。
次は水曜の市原戦です。市原臨海は応援に行くのも苦しいところですが、出来るだけがんばって応援してきたいと思います。
川崎にアウェーで快勝 as of 1998/10/15
10月14日(水)東京の国立競技場で行われた対川崎戦は、前半に永井のゴールで先制し、後半に入ってからもイゴール、久保山と加点、守備陣も踏ん張り無失点で試合を終了。久しぶりの快勝でした。
仕事から国立に直接向かい、着いたのがキックオフ5分前。危ないところでした。本来なら休みをとりたいところですが、仕事の方も佳境を迎えていて、さすがにそう勝手にはいきません。
スタメンはこんな感じでしょうか。3−5−2あるいは久保山がちょっと引いて3−6−1的な時間も多かったと思います。原田がサブにも入っていないのは心配。怪我なのかな〜。
立ち上がりは川崎のやや早い出足にミスの多い展開。トラップミス、パスカットされるなど不安いっぱいでしたが、開始10分頃のゴール前まで持ち込まれてシュートを一本打たれたのを最後に安定してきます。特に中盤での早いつぶしに川崎は耐えきれず、たびたびフリエがインターセプトをします。
しかし今日の殊勲はイゴールをはじめとするFW陣のがんばりだったでしょう。特にイゴールの動きは切れまくっていましたね。
後半に入る際に川崎側は円陣を組んで気合いを入れますが、肝心の試合内容には気合いが入りません。特にラモスの疲れが出てきてからは攻撃に厚みがなく単発。その攻撃も薩川、埜下らDF陣に阻まれ(というかその前にMF陣の厳しいチェックにあっているのですが)、さらに中のDFの厚いところに突っかかってくるので、楢崎の出番は多くありません。
決定的な3点目はその数分後、イゴールの右アウトサイドでのスルーパスに久保山が反応。シュートは一度GKにはじかれるものの、落ち着いてこぼれ玉をGETしました。イゴールのパスが見事でしたし、それに反応した久保山もさすがでした。
その後もほぼ一方的な試合展開。エンゲルス監督はイゴールに変えて吉田を投入するなど余裕のある采配で、結果0−3で就任2試合目にして勝利をおさめました。
試合終了後の選手の皆さんの顔が良かったですね。前田浩二選手はバックからメインまでまんべんなく挨拶をしてくれていたのは嬉しいことでした。
選手の皆さんの気持ちが前面に出ていたいい試合だったと思います。技術的には川崎に比べてパスのスピードが段違いでした。この辺はレシャック監督の置きみやげなのかもしれませんね。しかし今日の川崎の出来を見ていると、勝利をあまり両手放しでは喜べません。磐田クラスのチームと対等以上に渡り歩かなければいけないのですが、まず第一歩は成功でしょう。
長く待ちわびていた1勝です。これほど勝利が嬉しかったのも久しぶりのような気がします。次は今期ホーム初勝利をお願いしたいですし、それに向けて私たちもサポートを続けます。
追記:写真はあまりの興奮で撮るのを忘れてしまいました。すみませんです。
イゴール 久保山
永井
三浦 波戸
山口
サンパイオ
薩川 前田 埜下
楢崎
サンパイオはボランチの本領発揮。DFのフォローに、攻撃の起点にと活躍。また山口の懸命なプレーが光っていました。特に攻撃の局面で山口がチャンスに絡む場面が多く、文字通り攻守の要になっています。
前半18分、ゴール前に左サイドから切れ込んだイゴールが持ちこたえ、走り込んだ永井にパス。これを蹴り込んで先制します。わき上がるフリエ側ゴール裏。その後もたびたびチャンスを作り、36分頃に永井の惜しいシュート(相手GKに防がれる)と40分過ぎにもイゴールがクロスをダイレクトにシュート(ゴール右にはずれる)などほぼ完全にゲームを支配します。正直45分がこんなに短く感じられてのは久しぶりでした。前半を0−1で折り返します。
追加点は後半15分頃、ゴール前でDFに着かれながらも、なんと三浦がヒールパス。これをイゴールが走り込み、GKをはずして2点目。これまではシュートしてもこぼれ玉を拾いきれなかったのがウソのように重層的な攻めを見せます。選手間のフォローがうまくいっているな〜と感じます。また、足下へのボールが多かったのも陰を潜め、ヘッドや胸でのトラップが目立つように思えました。
フットレ選手退団のお知らせ as of 1998/10/05
本日クラブが発表したところによると、フットレ選手が退団することになったとのこと。以下プレスリリースです。
横浜フリューゲルスのフットレ選手は、チームを退団することになりましたのでお知らせいたします。
■フットレ選手プロフィール
氏名: PAULO JORGE DOS SANTOS FUTRE
生年月日:1966年2月28日(32歳)
出身地:ポルトガル
ポジション:FW
代表歴:ポルトガル代表44回
■横浜フリューゲルスでの成績
Jリーグ 1stステージ 8試合出場(出場時間/620分) 3得点
※第10節5月2日セレッソ戦より出場
2ndステージ 5試合出場(出場時間/395分) 0得点
ヤマザキナビスコカップ 3試合出場(出場時間/250分) 0得点
磐田戦は0−4で敗北 as of 1998/10/03
10月3日(土)に久しぶりの晴れに恵まれた三ッ沢競技場で行われた対磐田戦は0−4で敗北しました。
開場12時の予定は30分繰り上がります。開場時の列の長さはフリエ1に磐田5位でしょうか。しかしフリエも昔そうだったように、磐田も女性のファンが多いですね。ちょっと驚きました。
後半に入り徐々に押され出すフリエ。なんでもないパスをカットされてピンチを招くなど安定しません。そんな中で、DFに入った佐藤尽がエリア内で後ろから?引っかけてしまってPKを与え、レッドカードで退場になってしまいます。このPKで0−2に。その後人数の部分でも押されますが、動きが鈍くなってくる選手が多く一方的な展開になってしまいます。なんとかしのいだあたりは評価できますが、後半終了間際に立て続けに2失点して結果0−4で敗北しました。
磐田に勝てる内容ではありませんでした。前半はまあまあいい試合でしたが、後半は崩壊してしまいました。攻撃面の改善は重大な問題でしょうし、フィジカル面での問題はさらに尾を引きそうな気配です。
さらにスタメンでびっくり。不調のフットレと永井をはずし、大胆に若手を起用した新布陣。おそらくこなれた3−5−2でくると思っていましたが、実際は3−6−1でスタートします。
吉田
三浦 久保山
井上 山口 波戸
サンパイオ
佐藤尽 前田 薩川
楢崎
前回の平塚戦から比べると随分気持ちの入ったプレーがあちこちで見られます。DFは前田がうまくコントロールしながら、高さの場面では尽が活躍。磐田のサイド攻撃のピンチを救います。もっとも注目したいのは中盤。数的優位もさることながら、厳しいマークで磐田に自由にプレーさせません。ドゥンガも怒ってましたが、一歩一歩早い出足で磐田のパスを自由にさせません。
しかし相変わらず中盤から先になるとスピードダウン。FWへのパスが単純で読まれていますし、有効なサイドチェンジはほんの数回。裏をとる動きが前後半通じて少なく、また数少ないチャンスも中央に切れ込んでしまうプレーが多くて磐田の堅いDFの餌食になります。サイドがほとんど使えていないですし(というよりセンタリングの精度が問題?)、攻撃の面で言えば完敗でした。
失点は、ドゥンガのスルーを中山に決められてのもの。オフサイドだったようにも思えたのですが、副審は間に合って無くて判定できなかったようです。ここで猛然と抗議する前田浩二。イエローまでもらってしまいましたが、気持ちは分かります。
前半のチャンスといえば波戸のミドルシュート位でしょうか。0−1で前半を折り返します。
しかし選手が一所懸命にプレーしているのははっきりわかりました。結果は出ませんでしたが、次につながる試合だったと思います。幸い次の川崎戦までは1週間以上ありますから、この時間を使ってぜひ建て直しを計ってほしいと思います。
エンゲルス氏が監督に就任 as of 1998/10/03
レシャック前監督の辞任にともない空席になっていました監督に、現コーチのゲルト エンゲルス氏が正式に就任しました。
エンゲルス氏は1957年4月26日ドイツ生まれの41歳。横浜フリューゲルスのコーチを長く務め、事実上フリエの「肝」になっている重要な人物です。日本語も堪能です。
オタシリオ元監督がパラナクラブを辞任 as of 1998/10/03
ブラジルの通信社UOLの記事によれば、横浜フリューゲルスの元監督オタシリオ氏が1日、パラナクラブの監督を辞任したとのことです。
パラナクラブは今年のパラナ州選手権で準優勝を果たすなど好成績を残していましたが、ブラジル全国選手権に入ってから低迷。24チーム中16位と低迷しており、さらに30日の宿敵クリチーバとのダービーマッチを3−2で落としたことから、オタシリオ氏がクラブに対して辞意を表明していたものです。
パラナクラブ代表のDilso Rossi氏は「彼は良い仕事をしたが、残念ながらそれが勝利に結びつかなかった」とコメントしています。