その1(明治川神社、三連水車)


明治川神社(分岐点より 1.2km 上がる)

明治川神社

社記
御社名 : 明治川神社

例祭 : 4月18日
鎮座地 : 安城市東栄町柳原9番
祭神 : 大水上祖神、小分神、
     都築弥厚命、伊豫田与八郎命
     岡本兵松命、西沢真蔵命
崇拝者 : 壹萬五千戸


由緒
  文化5年(1808年)頃、都築弥厚翁が碧海大地の開発を計画されてより、 70猶予年の歳月 経た明治13年(1880年)4月18日、松方正義内務卿 参列のもとに、用水路竣工の式(水源)と祝賀の宴(現地)が盛大に挙行された。
  祖のときの一同の歓喜と感激とがここに結集して神社を創立することとなった。
  すなわち、長年用水の歓乏をかこち、農村の疲幣に泣いたのが、用水路の開通に よって一大飛躍を見るに至ったので、水に由縁の深い神、三柱を同年12月現令 の境内地に勧請し奉った。
  その後、明治17年10月 社号を明治川神社とし、翌年1月 本社の公認を申請、 同年4月1日無格社として認可を得、同年10月10日本社が落成した。
  明治42年(1909年)8月、無格社より郷社に列格、翌43年4月、供進神社 に指定された。
  大正4年(1915年)11月 都築弥厚大人が合祀されつづいて昭和17年5月  伊豫田八郎命、昭和26年5月岡本兵松命がそれぞれ伊佐雄社より、又昭和31年 3月西沢真蔵大人抜下用水が共に合祀されて、用水の守護神として厚く奉斎を受け 給うのである。
  昭和28年1月30日 宗教法人となり、現在の神社等級は4級社である。

三連水車 (分岐点より 4.3km 上がる)   

この三連水車は、下掛け式と呼ばれる農業用水の水車を模したものです。
その直径は、上流より3.2m,3.5m.4.0mで本体は「木曽の五木」の一つであるネゴス材、
脚台は恵那産の錆入り御影石を、また動力として明治用水の水を使っている。
この種の水車は、水路の中に据え付けられており、水車が水の流れによって回転すると
同時に、水車の側面に取り付けられた柄杓が水をくみ上げる。
この地域では、過去、人が水車を踏んで廻す「踏車」が水田の灌漑に使われていたが、
明治用水の通水により姿を消していった。


また昭和の始め頃、この地に発電所ができて揚水機による灌漑が行われていたが、これ
も水路の改修により取り去られていった。


時代の移り変わりは、次々と優れた技術を生み出しているが、又我々は、先人の残した
技術遺産を、この農村風情の中に学び、受け継いでいきたいと思う。

     (水車の説明看板の文章を転記)